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歴史薫る「木屋旅館」でほっと一息

こんにちは!うわじま市民ライター2024の直也です。

今回ご紹介するのは、宇和島市にある国登録有形文化財「木屋旅館」です。

歴史ある建築の面影を色濃く残しつつ、1日1組限定のコンセプトで再生された老舗旅館。
木屋旅館支配人のグレブ・バルトロメウスさんに木屋旅館と宇和島にかける想いをおうかがいしました。

人々を温かく迎え入れてくれる旅館

「どうぞ自由にくつろいでください。一棟まるごと貸切なので、自分の家のように思ってもらって、利用してください」

チェックイン時にグレブさんがそう語りかけてくれる木屋旅館は、木造建築ならではの温もりと光の差し込み方にこだわりが感じられる空間が広がります。
2025年大阪万博のパビリオン設計を担当した建築デザイナーの永山裕子さんによって、古き良き日本家屋の趣を残しつつも、開放感あふれる採光のしかけが施されました。
欄間の美しい細工やアクリル板を取り入れたモダンな要素が、歴史と新しさを絶妙に組み合わせ、訪れる人の心をほっとさせながらもワクワクさせてくれます。

2階の床には一部アクリル板が用いられ、1階に明るい日差しが差し込む

木の温もりとグレブさんのホスピタリティが相まって、まるで自宅のようにリラックスできると同時に、ちょっとした旅の冒険気分も味わえる。
初めてなのに、不思議と安心感できる空間がここにはありました。

縁が生んだ再生プロジェクトとの繋がり

なぜドイツ出身のグレブさんが、宇和島の木屋旅館に携わることになったのでしょうか。
「元々、日本の文化や歴史に興味を持っていて、大学時代には松山に留学していました。2009年にはワーキングホリデーで再来日し、まちづくりや町おこしの仕事をしたいと考えていたんです。そんなとき、知り合いの紹介で木屋旅館の再生プロジェクトが立ち上がっていると知り、参加しました」

木屋旅館は明治44(1911)年、創業。
政治家では後藤新平、犬養毅、作家では司馬遼太郎など、多くの著名人が宿泊しましたが、1995年に惜しまれつつ一度廃業しました。
長らくそのままにされていましたが、2012年春、多くのデザイナーが参加した再生プロジェクトにより、再オープンしました。

グレブさんの日本の文化を深く知りたいという思いと、まちづくりにチャレンジしたいという思いが、このプロジェクトへの参画につながりました。

まちづくりが観光に先立つという想い

木屋旅館を再生する過程で、グレブさんがとくに感じたことの一つが「地元の人たちに、この歴史ある旅館が意外と知られていない」という事実でした。

「観光客だけではなく、宇和島市内の方々にも知ってもらいたい。そして、もっと気軽に足を運んでほしい」という想いから、旅館の1階専用スペースはギャラリーとしても活用しています。

過去には、牛鬼人形や宇和島人形の展示、ブータンやポーランドの写真展、手仕事展など多彩な文化イベントを開いてきました。
コロナ禍や改修工事などで、しばらく開催できなかった時期もありましたが、「今後も開催していきたい」という熱い気持ちは変わりません。

市内外の事業者が制作した牛鬼人形の展示

グレブさんが強調するのは、「まちづくりが観光に先立つ」という考え方。観光客を無理に呼び込むのではなく、まずは地元の人たちの暮らしをより良くし、住んでいる人の宇和島愛をより一層深めてもらう。
結果として宇和島の魅力がより外に伝わりやすくなり、宇和島の文化を体験してもらう“質の高い観光”へと繋がるはずだと語ります。

「合併前の旧市町村ごとに培われてきた文化を大事にして、眠っている知識を高齢者の方から掘り起こせば、もっと面白いことが見つかるはずです。それは今だけでなく、30年先の宇和島のためにも必要な取り組みだと思うんです」

まずはできることから新しい挑戦を続けていく

そんな想いのもと、木屋旅館では新たな企画にも取り組もうとしています。具体的には、旅館の周辺を巡りながら宇和島の文化や歴史に触れる観光客向けツアーを検討中とのこと。

木屋旅館は、古き良き建物を活かした趣深い空間であると同時に、「まちづくり」や「文化の継承」、「新しい旅行体験」についても実践しようとする拠点でした。
1日1組限定という特別感あふれる宿泊体験の裏側には、地元の文化を絶やさずに未来へ紡ぐためのグレブさんのチャレンジ精神が詰まっていました。

宇和島に訪れる機会があれば、ぜひ木屋旅館へ足を運んでみてください。
きっと、あなたを優しく受け入れ、新たな気づきへと導いてくれるはずです。

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