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自動化社会、成熟期を想像してみよう。

私たちの社会の自動化が進行しています。
「自動化」とは「無人化」と同じ意味ですね。
少し広げると「省力化」という言葉もよく使われます。

有史以来、人類は、我々の先輩たちは、「少しでも楽をしたい」という生物としての本能的な欲求から、肉体的な強さと持続力の限界を超えるパフォーマンス(結果、成果)を得るために、「省力化」が希求され、「無人化」に憧れる潮流は、今この瞬間も全く変わりありません。

そして、この潮流は、誰も止めようとしないので、止まりません。
仮に誰かが止めようとしても、これは止められません。
止められなければ、遅かれ早かれ、「社会の自動化が成熟」しますね。
ここまでは、よろしいでしょうか。
これを「自動化社会の成熟」と名付けます。
そして現在を「自動化社会の黎明期」と名付けます。
その後「自動化社会の過渡期」を経て、最終的に「自動化社会の成熟期」に至ります。
まずは、この「自動化社会の成熟期」を想像してみましょう。

すでに、「人間が汗水たらして貢献しなくても良い職業・職種」が増えてきています。
自動運転、自動レジ、自動改札、ルンバ(自動清掃機)、自動梱包システム、ドローンなどなど、私たちの周辺で労働を代替する製品が登場して、着実に「自動化」を進行させている現実を目の当たりにできます。
この傾向は、今後もさらに加速すると簡単に想像できますね。

だいぶ以前から、多くの工場内は「無人化」を目指して設計され、極めて少人数の作業者(生身の人間)だけで運用できるように企図されています。
また、物流業界でも、倉庫内の仕分け業務は「無人化」「自動化」が浸透してきています。
その理由は、人間を介在させない方が優れたパフォーマンス(結果、成果)を期待できるからです。
なにしろ、間違えない、疲れない、事故らない、スピーディ(早い)かつ継続可能(長時間労働)、さらに、クリーンですから、「生身の人間」では勝負になりません。
半導体製造工場のクリーンルームなどは、人間が持込む微細なゴミ(パーティクルといいます)が不良品の最大の原因ということもあって、何十年も前からフルオート(無人化)が原則です。
このように、ずっと前から長年にわたって、人類は「省力化」「無人化」つまり「自動化」に憧れて、追い求めて、エネルギーを費やしてきたのです。
要するに、「自動化」は、今に始まったことではないのです。
大げさに言えば、資本主義・貨幣経済の宿命であり、私たちの行き着く先、到達点は「自動化社会」なのでしょう。

最近急速に発展している「AI技術」や「ロボット技術」は、自動化社会の主犯でも主人公でもありません。
ただの「加速器」であって、スピードアップを担っているだけです。
他ならぬ我々人類の「生存・生活スタイル」そのものが、主犯(あるいは主人公)です。

「この職業はなくならない」「どの職業は生き残るか」といったほのぼのとしたお話をしようとしているのではありません。
「生身の人間が汗水たらして貢献する必要のある労働は、早晩、すべて消滅する」と、まずは推測してみるところから始めたいのですが、「働く必要がなくなる」と表現すると少しソフトに聞こえますね。

AIの登場で多彩な話題がマスコミを賑わしているので、皆さんそれぞれにイメージをお持ちなのです。
こうした話を(対面、リモートを合計して)数十人にしたことがあります。そのときの反応がとても興味深いので紹介しておきます。

それは、次のような「3つの思考停止」です。

①「そんなことにはならないよ」という「楽観的思考停止」
おそらく根拠はないのでしょうが、なんとなく「そんな極端な社会にはならないんじゃなかな」と思い込んでいる方々は、かなりの割合でいらっしゃるように感じています。
「自分の生きているうちは、そうはならない」という時間切れ狙いもあるかもしれません。いずれにせよ「自動化社会の成熟」そのものを頭の中で否定してしまっているので、その後の議論には興味を示しません。

②「そんなの嫌だ」という「感情的思考停止」
上記①とは異なり、「そうなるかもしれないな」とは認めているのですが、「そうなってほしくないな」という感情に染まっている方々です。
①の方々よりも積極的に否定する感情なので、その後の議論にも否定的な論調になる傾向があります。
なぜ嫌うのか、この思考回路はとても面白いのですが、それは、またの機会に。

③「楽になるなら良いじゃないか」という「技術的思考停止」
上記①②とは異なって、目の前の利便性だけに心を奪われていて、楽になるんだったらそれでいい、とばかりに賞賛スタイルに染まっていて、その後の議論には興味を持ってくれません。

読者の皆さんはいかがでしょうか。
私は、なにも論争をしようなどと思っているのではありません。
できれば、「ちょっと違った視角からの将来像・未来イメージ」を、単純に楽しんで頂きたいと思っています。
今回は、そのうちのいくつかを書きます。
(以下、私の推測ですので、そのおつもりで。)

【推測①】「貨幣の消滅」
「成熟した自動化社会」を思い浮かべてみましょう。
そこでは、あらゆる職業的な専門性は消えています。
生身の人間にはボタンを押すくらいの作業(あえて仕事とは呼びません)は残されるかもしれませんが、才能や経験は必要なく、職人でなければできない仕事はロボット技術に、専門家しかできなかった分析や企画といった頭脳労働はAIに取って代わられます。
言うまでもなく、機械に報酬は不要です。
自動化が成熟すれば、生身の人間に対する報酬は不要になります。
労働に対する報酬という貨幣経済の基本が、根底から崩れます。
つまり、その未来では「働かざる者食うべからず」は過去の遺物となっています。
もちろん「誰一人取り残さない」という世界的な合意がなされているでしょうから(そのように期待します)、自動化社会が成熟する前の「過渡期」にはベーシックインカムのような仕組みが不可欠になるでしょう。
(ベーシックインカムやそれに代わる「逆税」のような仕組みや「労働生産性の意図的な漸減(だんだんと減らしていくこと)」については、またの機会に詳説しようと思います。)
これは「富の偏り」というような問題ではありません。
大多数の人間が「貢献労働による報酬」から無縁になるのですから、ごく一部の人間に貨幣が集まってしまう可能性はありますが、その集まった貨幣の使い道は、すでになくなっているのです。
貨幣は、大多数の人間が使用するからこそ、その役割を果たせるのです。

【推測②】成熟期の恩恵①「究極の平等」
自動化が成熟した結果として、前述のように、職業における専門性が機械に代替され、貢献労働による報酬とともに貨幣がその役割を終えているので、人間の個人的な能力差がほぼゼロになっていますから、あらゆる「格差」が解消して、究極の平等が実現します。
たとえば、幼児など未就労者、就労が難しい高齢者や病人や障害者についても、一般の健常者と同じ恩恵を享受できます。

【推測③】成熟期の悲劇①「生きがいの消滅」
小さい頃から勉強して、努力して、成長して、才能を開花させて、豊富な経験を積んで、労働貢献を通じて正当な報酬を得る、という一連の人生パターンが、生きがいの源泉であったのは、成熟期から見れば「古代」と化している現代に生きている我々までなのかもしれません。
労働貢献が不必要になった「自動化の成熟期」という時代における人間の生きがい、あるいは喜びとはどんなものになるのか、イメージすることは簡単ではありません。
ようやく捻(ひね)り出したイメージとしては、「現代の裕福な老人」化です。
悠々自適、つまり「好きなことを好きなときに好きなだけ」という生活スタイルです。
「現代の裕福な老人」とは・・・
「貢献の時間(労働・貢献):成長の時間(勉学・訓練):消費の時間(趣味・娯楽):回復の時間(睡眠・治療)」の比率が「0:0:7:3」であって、
「現代のブラック企業の従業員」の同比率は「7:0:0:3」、
「現代の大学生」の同比率は「2:3:3:2」、
そして「自動化成熟期の人類」のそれは「0:0:7:3」つまり「現代の裕福な老人」と同じになるように推測しています。
私(筆者)は古代人なのでイメージできにくいのですが、新人類は貢献不要時代に苦もなく順応できるのかもしれません。

【推測④】成熟期の不安①「責任」はどうなるか?
我々は、もともと企業や専門家を「信頼するしかない」社会に生きている、と以前書きました。
自動化社会が成熟すると、全員が「多弱(大勢の情報弱者、情報を持たない集団)」になります。
つまり誰もが「何も知らない、何も分からない、ひたすら信じるしかない」という「究極の信頼社会」です。
もちろん、自動化社会が成熟しても、私たち人間が「信頼せざるを得ない」という現実はそのまま残ります。
今現在の社会は、我々の「信頼を裏切らない」ための「責任」を背負ってくれる企業や専門家(という人間)がいてくれるので、まだマシなのです。
すべて自動化された社会(自動化社会の成熟期)で、「責任」はいったいどうなってしまうのか、少し(いや、かなり、いや、とても)心配です。
そこで一つ提案です。
今から準備しておくこととして提案したいのは、「金に糸目を付けないという条件つきで、あらゆる責任を果たすことができる業務プロセスを考案し提示しておくこと」です。
前述のように、お金はいずれ成熟期になれば霧消しますから、前もって準備しておいた「責任を果たす究極のプログラム」は、コストが全く気にならなくなるので、簡単に実現します。(自動化された諸システムにプログラムされるのでしょうか。)
もう一つ、もし憲法を改正するなら、頼まれてもいない我田引水ではなく、「貨幣消滅」という激変への対応する追記や、「誰一人取り残さない」という基本方針を明確に宣言してほしいものです。

いかがでしたか?
テキストだけでイメージしていただくのはいささかハードルが高く、字数だけが増えていくので、今回はこのくらいにさせていただいて、またいずれ、上記の各論を書きたいと思います。(*^_^*)

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