南海電車の歌(走る電車は緑の電車)伴 久美子
南海電車は未だ本線は鶯色に下はダークグリーンの7000系7100系、特急サザンは10000系が7000系と7100系が連結されてた時代、高野線はアメリカバッド社のライセンスを付与された6100系(台車がP3を装着していた時代で)6000系は冷房化
台車もMc(モハ)(クハ)がS型ミンデン(方押し型踏面ブレーキ)T(サハ)が
ミンデンドイツ式台車(クラスブ式踏面ブレーキ)でバッド社のライセンス返上で6200系と共に無塗装のステンレス車。山獄地帯を走るズームカーに今や過剰生産した2000系が登場した時代で在来の21000系(ひげ新ズームカー)と22000系角ズームによる「大運転」(なんば~極楽橋の通し運転)急行に活躍していた時代
関空開業前の僅かな期間南海電車は「緑の電車」の最盛期で支線区では1521系が京阪でしか採用例のないシンドラー式エアサス台車に旧国鉄63系のモーターを組み込んだ電車が闊歩していた。今はCI化と共に塗装変更されグレーにダークブルーとオレンジラインの入った1000系の台頭、空港特急ラピートの登場で緑の電車は「京阪電車」になってしまい。今はこの歌が嘗ての南海電車を偲ぶ歌となってしまった。時代と共に電車も変わる。