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わたしのばあちゃん

わたしは、ばあちゃんっ子だった。
今ももちろん好きだけど、なかなか会いに帰れていない。

会えない分、ばあちゃんとの思い出が頭の中で拾えなくなってきてる。ので、
しっかり覚えているうちに残しておく。


ばあちゃんは、若い。
ばあちゃんが39歳のときにわたしは生まれて、青天の霹靂なばあちゃんデビューだったと思う。
望まれていたかはわからない。
ママはまだ19歳だったから。
パパは、いるんだかいないんだか、わからない人だったらしい。


でもいざ生まれてみたら、玉のようなわたしをこれ以上可愛がれないくらい可愛がってくれて(おそらく)
食うもん着るもんには困らず育った。

ちゃんとした子に育てたいママと、
いいだけ甘やかしたいばあちゃんの間で
私はすくすく、自由に育った。
初孫、バンザイ!



アーモンドチョコレートのチョコレート部分だけなめて、残ったアーモンドは全部食べてくれた。

魚のハタハタを焼いて、魚卵の部分を食べるけどうまく飲み込めなくて、吐き出したら全部食べてくれた。

ばあちゃんが揚げた美味しい豚カツの、脂身部分だけ食べたいと言ったら切って分けてくれた。

秋になると、ばあちゃん手作りのいくらの醤油漬けを毎週のように食べていた。いくらというのは高級品で、作るのも大変なんだと知ったのは中学生になってからだ。

近所に移動販売車が来ると、必ずバニラヨーグルト三個入りを買ってもらって食い尽くしていた。高級なヨーグルトだと知ったのは高校生くらいだ。


近所の古いスーパー(倉庫の中で、電気がほぼ点いてない暗闇)に二人で歩いて行き、プリンエルを買って、カラメルもちゃんと作って、黄色いコップに注いで冷やし、一緒に食べる。
私のプリンのベースはここで作られた。

あるときはインスタントコーヒーを淹れてコーヒーゼリーを作ってくれた。

またあるときは、紙パックのグレープフルーツジュース1リットルをそのまま凍らせてシャーベットにしてくれた。

あれ、ゼリーとかシャーベットとか…色々作ってくれたけど、ばあちゃんってハウスの人?


いやいや、ばあちゃんは小さな町で介護員として働いていたんだよ、ハウスからの回しもんではない。


幼稚園が終わってから、ばあちゃんの働いてる介護施設によく遊びに行っていた。
おじいちゃんおばあちゃんは可愛がってくれるし、楽しそうに働いてるばあちゃんを見るのが好きだった。
使用済みのオムツが大量に入ったデッカいバケツを開けてしまって、天を仰いだのもいい思い出。


わたしがハタチのとき、まぐれで銀行員をやっていたのだけど、ダメダメで落ち込んでいた。
そんなときに職場で認知症サポーターの研修を受けることになった。
高齢のお客さんもよく銀行に来るからね、ってことだったと思う。

介護施設の人が来て講習をしてくれたとき、脳みそがスカーッとして、これだ!!って閃いた。
ばあちゃんをずっと見てきて、介護の仕事の楽しさを教わってたじゃないか、って。

そこからはも〜う早かった。介護の資格をとるために職業訓練に通うことを目標にして、支店長にも辞めることを伝えた。9年前の9月14日だったかな。(覚えてんのこわ)

その2週間後には辞めさせてもらえて、サクッと職業訓練も合格。
3ヶ月通って資格もとれた。

ばあちゃんはもちろん喜んでくれたと思う。

思う、っていうのは、あんまり覚えてないってこと。
ばあちゃんは感情を出すのが苦手なタイプで、大喜びしたりしない人。
お酒飲めばテンション上がるけど、それはただの酔っ払いってことなんだよな(笑)


そこから地元の介護施設に就職して、最終的にばあちゃんをスカウトして同じ会社で働くまでになった。

その頃わたしは事務に異動してしまってたけど、ばあちゃんが利用者さんに接してる、生き生きとした顔をそばで見ていられたのは孫冥利に尽きていた。



色んな食べ物をくれる優しいおばあちゃん、ってイメージが湧くかもしれないけど、実際は少しファンキーで、昔は忌野清志郎に似てた。
下ネタで笑ってくれるし、酒も飲むしタバコもガンガン吸う。


昔みたいにお菓子を作ってくれることはもうないかもしれないけど、わたしの話を聞き流しながら自分の話ばかりをするばあちゃんが好きだ。



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