自分史上、一番古い惨めな感情
お花を摘む話。
5歳のとき。
髄膜炎の疑いで入院させられた。
体が弱くて月に一回くらいは入院していたので、病院の雰囲気は慣れっこ。
ママも同じベッドで寝てくれていた。
でもなんだか、今回はいつもの入院と違う。
背中にぶっとい注射を刺されて、なにかを抜かれた。あれはきっと髄液(?)
そのあとめっちゃめちゃに背中が痛くなって
歩けない状態になった。
看護師さんが「歩けないとトイレ行けないから、オムツにするね〜」なんてサラッと言って
気づいたら紙オムツを履かされていた。
この段階で、自分史上一番古い「戸惑い」の感情を知る。
でも貴重な体験でもあることはわかった。
せっかくだし、寝たままのおしっこにトライ。
よし、、出すぞ、、、ん〜〜〜
ん〜??出ない、出せない!なんで!?
「理由はわからないけど、トイレじゃないところでおしっこは出ないんだ」と理解した。
理解したうえで、大人になった今、
そんなこともないよ、しようと思えばどこでもできるよ、と、5歳の私に応用編を教えてあげたい。
まだ応用のきかない5歳児は、「おしっこできない」とママに報告。
すると看護師さんは"おまる"を持ってきた。
自分史上一番古い惨めな感情への入り口だ。(入り穴?)
でもまだその不穏な空気には気づかない。
「おまるだってぇ〜 笑 赤ちゃんみたい」
くらいに笑いとばした気がする。
ちなみに我が家にあった"おまる"はアンパンマンの顔がついていた。またがると自分には見えないのだが。
しばらくは尿意がこなかったのでおまるの存在も忘れていた。
そしてなぜかママは家に帰っていった。
いつも退院までいてくれたのに、なぜ。
孤独。そして夜中の尿意。
廊下の明かりだけがうっすら差し込む病室を鮮明に覚えている。
トイレに行ってみようと思うが背中が痛すぎて歩けない。
渋々、本当に渋々、おまるにまたがった。
もう、赤ちゃんじゃないのに。なんでこんなところでおしっこしなきゃいけないんだ。
他の子も入院してて同じ部屋にいるのに。
薄いカーテン越しに複数人の寝息を感じながらの放尿。Shaaaa…
「惨め」という言葉はもちろん知らなかったが、まさにこのときの感情がドンピシャだったと思う。
ママが付き添ってくれていたら、「おまるでおしっこだ〜笑」と、赤ちゃん返りを装えたかもしれない。
それができなかった。
ひとりでお尻を丸出しにして、背中をかばいながらヨロヨロとベッドに戻る姿は、たとえ5歳であっても惨めさに包まれている。
今思い返せばそんな5歳児はかわいいもんだし、漏らすよりはマシだ。(その後の人生で何度も漏らすが)
でも当時は本当に恥ずかしくて、この気持ちをどうしたらいいのかわからなかった。
誰に言うこともなく、次の日からはどんなに痛くてもトイレまで歩いて行った。頑張ればできるじゃん、わたし。
こうやって色んな感情を知っていくんだな〜〜
恥ずかしいから努力する、って、あるよね。
惨めから学べたことのひとつ。
そして髄膜炎ではなかった。
めでたしめでたし。