映えない晩ご飯から考える、人間の“慣れ”のシステム
タイトルの映えない写真は私の今日の晩ご飯。
白米と、砂肝のザンギ。
ちなみに私は西アフリカの国、ガーナ共和国在住。
途上国生活1年目を迎えようとしている私が今日の晩ご飯について語る記事。
「日本米うめーーーーーーー!」
感動。
いつもはガーナ米。
今日は日本から少しだけ持ってきていたお米を炊いた。
うっま。つやっつや。歯触りよい!!
本当に美味しい。
「米はやっぱり日本のに限る!」
そう言っていた友人の言葉を思い出した。
ガーナのお米はタイ米に似ている
ここでは長細くてパサパサのお米が一般的。
そして、ガーナの人はお米を炊くときに必ずお塩を入れる。
そのことからわかるように、ここの料理は基本的に塩分濃度高め。
私はガーナ料理が好きだけれど、健康のことを考えると大好きとは言えない。
ガーナ料理を食べ慣れていると起こること
ここに1年住んだことで、私の舌はガーナの味をデフォルトにしたようだ。
いつの日からか、日本食特有の甘辛いものを食べると「甘すぎる」と感じるようになった。
ばあちゃんのおかずが大好きな私。
あれを今食べたら激甘に感じるんだろうなぁ。
というくらい、ガーナでは料理に甘味を足すということをしない。
ガーナ人に歌舞伎揚をあげた時は
「甘い!なんだこれ!」
と言われて突っ返された。
慣れという、人のシステム
ガーナに慣れた私は今日、日本米の美味しさに感動した。
日本にいた時には何とも思わず食べていた。
ガーナに来た時、私は初めてのガーナ料理たちに心を躍らせた。
日本を離れて1年が経った今、それが日常になった。
極寒の地域で生まれ育った私が常夏のガーナで生活できているのは、この“慣れ”というシステムがよく働いてくれているからこそ。
その一方で、新しいものへの好奇心や素晴らしいものへの感動は慣れるごとに薄らいでいく。
慣れ。絶対的に必要だけれどたまになければいいのにとも思う。
慣れの恩恵にあずかりながらも、いつでも新鮮な気持ちで好奇心に突き動かされていたい。