正直婆さんみたいに生きたい

若い頃、ふとしたことで知り合った東大の人が
「女の人って顔がかわいいだけで人生が全く違う」
と強い口調で主張していて、
若かった私はそれを真実だと思えなかったし、
すごく心がざわついて
必死でそれを否定した

結婚できないのは単にモテないせい、
と主張する(賢い)人の話を聞いて、
私は、そんな古い記憶を引っ張り出した
そして、また胸がズキンと痛んだ
あの時と同じように

賢い人は、というのは、
私のコンプレックスであり、偏見かもしれない
誰でもそんなことを言うのかもしれない
それをありがたがって、
まるで真実のように聞いてしまう自分のせいなのかも
それでも賢い人で自分がどんなに勝っているか
言うことが好きな人は多い
美しいと生涯で何円得するとか
IQが低いとこんなふうになるとか
あからさまで美しくなく、画一的なものの見方

本当はデリカシーがないと思っている
自分たちは努力し恵まれているから
それ以外の人への配慮はいらないってことだろうか
それに傷付くなんて、ナンセンスだって
ことなんだろうか
実験で、論文で、データで、と言いながら
自分より頭が悪かったり、劣っていると思う人への
軽蔑を隠すつもりがないのだろうか

私が若かった頃はもう少し、
そんなことを言うのは品がない
という風潮はあった気がする
そこは明らかにしない
余白を残しておくというのは、
日本人的美徳ではなかっただろうか

上手くいかない人もいる
挫けてしまう人も
たまたま可愛く生まれなかった人も
貧しい家に生まれた人も

実は、私は未だにそうは思わない
かわいい人が得をするのは
ものすごく表面上の話だ
どんなことも本当に欲する人の下に
降ってくるような気がしている
得も知れない力が働いて、
世の中はなるようになっていると
昔から信じている

負け惜しみに聞こえるかもしれないけれど、
私はこの迷いやすくて、
何一つはっきりしない自分を
賢いとは思わずとも
良かったと思っている
正解の見えない道を歩いていくのは
無鉄砲で楽しいから
私は正直婆さんみたいに生きていきたいのだ
優しくて、愚かで、幸せな世界
そしてそれは案外正しいんじゃないかと思っている



































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