自分見つけ日記1
みなさんは、
自分のこと、
どう思いますか?
もし、
めっちゃ好き!
ってすぐ答えられるなら、
この記事は読む必要なし🎵
でも、
そうじゃないなら、
気が向いたら読んでみて。
もしかしたら、
力になれるかもしれない。
俺、
自分のこと、
ずっと生きる価値のない人間やって思ってた。
正確に言うと、
そう思ってたんやなって、
最近気づいた。
ずっと生きるのが苦しいとは感じてた。
でも、
こうやって言語化できたのが最近ってこと。
幼少期、特殊な環境で育った。
家族が分裂しないためだけに生きてきた。
だから、
自分が役に立てない🟰自分は価値なし
という価値観が
自己形成の上でも1番になっていた。
だから、
そんな価値観で生きてるとね、
1つミスしただけで、
自分への誹謗中傷がやばい。
自分の責任で、
自分だけでなく周りを傷つける訳だから。
でも一方で、
人を妬むし、
マウントとるし、
自分を上回る可能性のある存在は非難するし。
あと、
肩書きもどんどん増やしていく。
とにかく自信がない。
何かしらの形で、
自分で自分の存在価値を高めていこうとする。
けど、
一向に満たされない。
そして、
メンタルはガラスのように脆い。
そんな俺が、
変わり始めたのが、
じいちゃんの葬式だった。
辛いのは分かるが、
涙が止まらない。
写真を見てるだけで、
涙が出て止まらない。
理由は分からなかったが。
葬式の最後に、
どうしても思いを伝えたくなって、
喪主の代わりに、
マイク持って、
来てくださったみなさんに挨拶するんじゃなくて、じいちゃんへの思いをただただ話した。
理由は分からんけど、
ここで伝えないと一生後悔する気がしたから。
そこから数ヶ月が経って、
妬みがMAXになったある日。
ふと、
俺って、
誰にも愛されてきてない。
と思った。
大学も卒業して、
社会一般的には愛されてたと言われるかもしれない。
でも、
唯一無二の存在としては、
愛されてきてないってふと思った。
でも、
それに気付いた時、
普通は悲しくなると思うねん。
でも、
凄い安心できたんよ。
それは、
妬んだり、ひがんだりする
大嫌いな自分が許せるようになったから。
そして、さらに数日後、
まだ元気に過ごしてくれているばぁちゃんと、
2人で話していると、
亡くなったじいちゃんとばあちゃんは、
すっごい自分のことを唯一無二の存在として愛してくれてたことに気付いた。
ずいぶん前になくなったひいじいちゃんたちも、飛び跳ねて俺の誕生を喜んでくれていたと聞いた。
その瞬間、
出る出る涙。
その時思った。
人って、
テストで100点とるとか、
スポーツができるとか、
いい企業に入るとか、
そんな社会的肩書きで褒められるんじゃなくて、
1人の人間としてありのままを受け止めてくれたら愛を感じるんやなって。
それを、
じいちゃんとばあちゃんはしてくれてた。
生前にじいちゃんに、
ちゃんとそのことお礼で伝えたかったなぁ。
無償の愛を感じれたら、
人は自分のことを好きになれるのかもしれない。
今、
俺はそう思ってる。
だからもし、
自分のことを好きになれない人がいたら、
自分を責めなくていい。
無償の愛をもらえてないのかもしれない。
または、
俺みたいにもらってたけど、
気付けてないだけかもしれない。
爺ちゃんの葬式で涙が止まらんかったのは、
俺のことを誰よりも愛してくれた人って、
俺の思考では分かってなかったけど、
本能は分かってたんやな。
最後まで読んでくれて有難うございました!