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のりかな毎日エッセイ241112:親も社会も大人も自分もシンジるな:ボルテスVとエヴァ②

2024年11月13日、0時00分。
おお、ぞろ目。日付が変わってしまった。
にしても前回ボルテス話の閲覧数低いなあ…。
note民はサブカル的な話に興味が無いのかしら。
と言っても続けるけど。前回の続き。
というかボルテスの話をしたいわけではなくて、ボルテスVとエヴァの間に喪われたものについての話。
だから皆にも興味ある話だと思うけど。
まあ個人の感想だけどね。

前回は、ボルテスVとエヴァンゲリオン、二つの巨大ロボットアニメ、の
第一話について、似てる所と違っているところについて僕の見解を書いた。
似ているところは、違っているところを際立たせるためにあえて模倣したのではないか?という仮説。
エヴァの庵野監督と言えば作品内にパロディを盛り込みまくる芸風だけど、
間違い探しみたいに、というかウォーリーを探せ、みたいに誰もかれも、
このシーンはあのアニメのパロディだ、このセリフはあの映画の引用だ、とか言うよね。聖書の一節が使われてる、とか。
だから何?って感じ。
引用箇所があってるかどうかのクイズをやってるのかな?
オレこんな発見したぞ!偉いだろ!みたいな?
知らんし。
なんか文章にトゲがあるな今日は。カルシウムが足りてないのかな?
穏やかに行こう。カームダウン。
というわけで僕も、ボルテスとエヴァの第一話似てるよ!大発見!という話がしたいのではないわけで。
どちらかと言うと、ボルテスの1話をあえて引用したのだと仮定すると、エヴァの物語が全部理解できてしまうのだ、という話をして褒められたい。
キモがられる前に先に進もう。

たぶんボルテスVを模倣したというより、典型的な巨大ロボットアニメの第一話を意図的に模倣したのではないか?
そうすることで、両者の親子関係の描き方の差異と少年パイロットの自信の強さの違いを視聴者に強く印象づける。そしてその、ロボットアニメから失われてしまったものを補完するために、人類補完計画は進められる。
そこに同じように、親子の信頼関係の喪失に苦しむ視聴者が共感し、90年代当時は大ヒットし、今も根強いファンがグッズを買い続けている。
ボルテスVを古臭いアニメだ、という先入観を外して一話と二話を見ると、その価値観はむしろまっとうであると感じる。
まっとうな大人がまっとうな使命のために戦い、素直で自信にあふれた少年兵たちが大人の命令を信じて戦う。大人たちは子供達の信に足る行動を率先して行う。時に大人たちの命令の意図が理解できなくても、「あの母ちゃんの言うことだし何か意図があるんだ」と子供はその通りにやってみる。
厳しい母ちゃんの厳しい訓練を乗り越えてきた子供達には自信がみなぎっている。自分への信頼と、両親や大人たちへの信頼関係がはぐくまれている。
ボルテスVの第一話で描かれるのは、そんな健全な家庭とキャラクターたちだ。従って、現代の視聴者には違和感を持たれることになる。
例えば、「地球防衛のための閉鎖的なセクト」で育った子供達は、両親の歪んだ価値観によって「信頼」というより「洗脳」されているのではないか?
現代の視聴者からこう揶揄されてもおかしくないだろう。
確かに、侵略宇宙人との戦争の尖兵となるべく実の息子や娘を隔離し、特殊な施設で目的も告げずに日夜厳しい訓練を課すというのは、児童虐待と言われても仕方ないだろう。「巨人の星」の星一徹・飛雄馬の父子関係も、現代では虐待シーンだと抗議する人もいると言うしね。
僕は野球は好きじゃないけど、巨人の星の漫画版は全巻もってるし、名作だと思う。巨人の星の話に入ると長いのでそれはいずれまた。
ボルテスVの1話に出てくる特訓のシーンでは、機関銃の実弾を避けて手裏剣で破壊したり、海中で人食いザメの襲撃をかわして切り殺したり。児童保護団体や動物愛護団体から抗議が殺到しそうな内容だ。そんな厳しい訓練を課し、子供達に優しい言葉一つかけない母ちゃんこと剛光代博士。にもかかわらず親子の関係は冷え切っていないどころか、実の子供にそんな仕打ちを課すほどに強い使命感をうちに秘めている光代博士を子供達は理解し尊敬し、信頼している。厳しい訓練を課す母を尊敬し、その期待に応えられる自分であろうとしている。そういう信頼関係は、現代では、「両親のそんな過分な期待が子供の自由を奪い、両親の操り人形にしてしまうのだ」と言われてしまうのではないか?
こういう信頼関係を、視聴者の子供達や親御さんたちに見せても違和感を持たれない、という前提が1977年時点ではあったのだろうか。
1979年のファーストガンダムで初めて、かどうかは知らないが、息子である主人公アムロをネグレクトする父親が登場する。父親も母親も、実際にはそんな立派なもんじゃないだろう。ロボットアニメに出てくる両親は立派過ぎて全然リアルじゃない。現実の両親なんて、大人なんてこんなものさ。
そんな描写が視聴者である若者たちの共感を得たのか、以後、「立派な両親」や「立派な大人たち」はロボットアニメで描かれなくなっていく。
その方がリアルだからだ。
そして95年のエヴァンゲリオンにおいて、庵野監督はボルテスVの1話をトレースしながら、全く信用できない父親・碇ゲンドウと、親にネグレクトされ自尊心を持てない少年兵・碇シンジを描くことになる。信用できないのは父親だけではない。人類を侵略者=使徒から守るための防衛組織自体が、一種のカルト集団に支えられているのだ。
巨大ロボットアニメの世界から、強い使命感を持った厳しい両親を排し、自己保身のために組織や子供を利用する「リアルな」大人たちばかりにして、人類防衛を二次的な目的としか考えない防衛組織を登場させる。この世界には何かが足りない。77年と95年では、何かが失われてしまっている。
「大人は信頼できるものだ」という常識が消え、「大人は信頼できないものだ」という常識に取って代わられた。
ガンダム以降のアニメを「リアルロボットアニメ」と言う。リアルな大人や組織が出てくる。使命感を持った大人は出てこない、出てきても狂信者として描かれる。リアルだ。90年代の僕らのコモンセンスにフィットしているから。大人なんて皆嘘吐きだ、という気持ち。
「大人は信頼できない」という常識を持った子供達は、30年経った今、信頼できない大人になっているのかな?
エヴァという物語が描いたのは、目標の喪失。「あの人のようになりたい、勝ちたい」という目標が無いから、そこに近づくべき努力も分からない。「達成」が無いから、経験の蓄積も無い。自信も生まれない。
目標を描いたボルテスVのようなロボットアニメは古臭い、カルト的だと揶揄され、庵野監督は、じゃあお前らが言うリアルロボットアニメってこれなのか?本当にこれで満足なの?とエヴァを作った。のだと思う僕は。
目標と達成、そのための努力、立派なあの人とちっぽけな自分。あの人に勝ちたいから努力する。失敗、挫折。
そういうのは虐待だ、価値観の押し付けだ、カルトだ、痛いのはやだ、気持ちいいのだけがいい、敵をフルボッコして勝ちまくる爽快なシーンだけでいい。それで何がいけないんだ。
エヴァのシンジ君は、なぜか毎回使徒に勝つ。でもその理由が分からない。
だから不安になる。自分の努力と成果で勝ってる気がしない。成長した気がしない。目標に近づいた気がしない。というか目標がいない。父さん?
「目標をセンターに入れてスイッチ」する反復練習は、爆煙を上げて目標を視認できなくしてしまう。でもなぜか勝つ。エヴァとのシンクロ率が高いから。主人公だし。「母さん」の子供だから。そういうアニメの設定だから。
シンジ君が使徒に勝つことは、シナリオ通りの展開らしい。
エヴァの物語の中では、「裏死海文書」というシナリオが何千年も前に発掘されている。この文書を見知っている一部の者たちにとって、この世界は台本通りにお話が進むアニメのようなものらしい。文書を読むことを許された秘密組織をゼーレという。
碇ゲンドウもゼーレの一人だ。彼が息子を褒めないのも当然だ。
ゲンドウにしてみれば、周囲の人間は自立した意志で努力して成果を出しているのではなく、シナリオ通りに動いている人形にしか見えない。息子もシナリオ通りに勝っているだけだ。「よくやったな、シンジ」と劇中1回だけ褒めるシーンがあるが、たぶん自分のシナリオにそういうセリフが書かれていたのだろう。だからシンジ君も、褒められたのに演技っぽい、本気っぽくないから不安が消えない。父さん初めて褒めてくれた、でもなんか嘘っぽい、本当は怒っているのかな?何がいけなかったのかな?どうすれば怒られないのかな?だめだ分からない。とにかくエヴァに乗ってさえいれば、怒られないはず。

先の見えない未来に向かって、失敗や挫折の恐怖と戦いながら、目標を定めて進んでいく人を大人というのなら、そういう大人が周囲を巻き込んだり、子供を巻き込むことは悪なのだろうか。一人でかってにやってろということか。教育上よくないのだろうか。そういうアニメはカルト的なのだろうか。そういう大人はカルトだし教祖だし毒親だから信じちゃいけない、というのが現代のリアルなのか。ボルテスのようなアニメを今見て、いや絶対こんな大人いないよ、リアルじゃないよ、いたらヤバいよ、剛光代博士がやってるのは自分のエゴのための児童虐待に決まってるよ、と言うことが現代的でリアルな態度なのだろうか。そんな大人いない、そんなまっとうな組織なんてない、子供達がこんなアニメを信じて変な団体や教祖を信じたら大変だ。昔のアニメはこれだから困る。ちゃんと子供達が、大人や社会を信じなくなるように教育しないと。
庵野監督はあえて、そういうロボットアニメを作ったのではないか、と僕は思ってしまう。そういう不信教育を受けた子供がどうなるのか。
大人も組織もうさん臭い奴ばかりの世界。人類を防衛できる唯一の組織がカルト集団だったらどうしよう。見本となる大人、拠って立つべき理想や価値観が全て偽者の世界。ロボットアニメなのに、信頼できる防衛組織も見本となる司令官もいない。努力もできない。ただロボットに乗っていろ、余計なことはするなと言われる。余計なことをすると失敗する。でもその失敗もシナリオの通り。裏死海文書に書かれている通り。その文書の通りに歴史を遂行するのがゼーレの役目。ゼーレの下部組織であるネルフは使徒の殲滅を目的としているけど、それは市民を守るためじゃない。全ての使徒を殲滅しないと、人類の補完は始まらないから。ゼーレもまた、シナリオに書かれた自分たちの役割を演じているだけ。
市民の防衛のために使徒の殲滅を依頼している各国政府も、その先に何が起きるのか知らされていない。
ネルフの職員ですら、碇ゲンドウ以外は裏死海文書の存在も知らない。
あらゆる人々の努力や目標設定は、シナリオ通りの演技に過ぎない。
努力して失敗したり成功したつもりでも、その行動はエヴァンゲリオンというアニメの台本通りの演技に過ぎない。シンジ君が使徒を殲滅するのは、シナリオにそう書かれているから。自分は本当に自分の意志で戦ってるんだろうか?成長しているのだろうか?人類を守るために戦ってるんだよね?
でもそのシナリオの先にあるのは、人類の補完。
補完とは、人類が一つの生命体になって、個人が死滅すること。今までそのシナリオに沿って動いてきたキャラクターたちは、今さらそんなことが分かったところでゼーレの目的、補完を阻止するために何ができるだろうか。その行動や決意すらシナリオの一部かもしれないのに。なすすべなく補完されていくキャラクターたち。
流れを変えるための努力も、流れの一部かもしれない。人類を守るための唯一の防衛組織が、信頼できない価値観や目的を持っているかもしれない。
そんなこと知ったところで何もできないなら、知らずに信じ続けた方が幸せだ。でもその幸せの先にあるのは、人類の補完というバッドエンド。
いやバッドエンドというのは言い過ぎか。少なくともゼーレの人たちはそれを人類の救済、ハッピーエンドと信じてるわけだし。彼らにとって使途を殲滅して市民を守ることも、人類を補完することも等しく善なわけだし。
人類の補完を阻止すべきという僕たちの常識こそ、ゼーレにしてみれば救済を阻む悪い考えなんだし。つまりここでは、
「偉い人達だってそれなりに正しい目的をもって行動してるはず、悪人なんてめったにいないよ」
という考えも通用しなくなる。使徒を殲滅するのは正しいことです、というゼーレは別に嘘ついてないし、悪人じゃないし、悪事を働いてると思っていない善人なのだから。
「この人はウソついてるかな?大丈夫、嘘ついてるようには見えない」
という判断が正しくても、その先には補完が待っているかもしれない。
なら私たちはどうやって、何かを決めたり、目標を持って努力したり、組織に属したりできるのだろうか。自分の信じて入った組織のトップが剛光代でなく、ゼーレや碇ゲンドウかもしれないのだ。いや、剛光代なんて現実の世界にはいない、というのが「リアルな」現代の価値観らしい。
ならその「前提」で、シンジ君はどうやって生きていけばいいのだろうか。
あらゆる組織や人間関係を、でもこの会社もゼーレかもしれない、この上司もゲンドウかもしれない、と半信半疑で信じてるふりして不安なまま、何にも誰にも本気にならないまま適当に付き合っていくのか。自分の目標や努力も誰かのシナリオ通りなのかもしれないと疑いながら、でもニートになるわけにはいかないから不安と不信のまま働いてみせる。何に対しても全力になることはない。補完計画の一部かもしれないし。なるほど人類を守るための戦いなら全身全霊を傾けられるかもしれない?そんなわけがない。それを疑え、というのが現代の価値観だ。人類救済のための組織?カルトに決まってるだろ。ピースボート?地球温暖化?騙されるなみんな嘘だ陰謀だ。
しかしそんな強度の不安にさらされたシンジ君は、ネルフという組織と父さんからますます離れられなくなっていく。それを疑ってしまうと全てが信じられなくなるから。世の中の多くの人たちは実際、カルトを信じるな、と言いながら、自分が属している会社や自治体はカルトだと思わないのだ。いや、このコミュニティは大丈夫、ここを疑い出したら終わるし。
ここを信じてさえいれば毎日給料は入る、20年先も30年先も大丈夫さ。うちの会社はまっとうだし、悪い取引なんてしてないし、たまに褒めてくれるし。ここを出たら俺なんか他に雇ってくれるとこなんてあるはずないし。ここの人たち以外、誰も信じられないし。
ヤバいもう3時だ。終わりにしよう。また長い文章を書いてしまった。
つづきはまた明日!ではまた♪

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