見出し画像

私の勉強はどこへつながっていくんだ。

 最近自分の進める学問について悩んでいる。



 1ヶ月程前、東京のフードテックサミットに参加した。
いろんな最新フードテック(フード×テクノロジーなので、食に関する最新技術のようなイメージ)を見た。


例えば、新たな調理法の可能性を感じさせる技術、面白いアイデア、本物により近くなっていくであろう代替食品、パーソナライズ(:その人に合うように調整すること)された食品などなど。


その数週間後、その報告会を開いた。

北海道にいたらこうした最新フードテックを知る機会はあまりないし、何よりそこで感じたワクワクを、食に興味を持つ他の人に伝えてみたかった。

報告会のチラシ
友達のじゅのん作。


 報告会後の交流会では、科学技術に対する怖さ、に関する意見がとても多かった。

それもみんなただ怖い、じゃなくて、自分の経験談や歴史、環境との関係を鑑みて怖さを感じて、それを論じているから、かなり自分の考えが揺るがされた。

たとえば、おいしさを求めるという人間の欲をどこまで暴走させていいのかとか、

科学が発展しすぎると、伝統的な食事や地産地消という概念ががなくなってしまうのではないかとか、

自分が得られる食に満足していただく、つまり「足るを知る」の考え方を失ってしまうのではないかとか。

科学進歩と相反しそうな意見をたくさんぶつけてもらった。

そうした意見をを受けて、私が勉強していることは、ただ科学や産業化を推し進めるだけなのか、人間の欲を肥大化させることにつながるのか、環境を壊すことにつながるのか、1週間くらい考え込んでしまった。


 もともと私は新しい技術にワクワクする方だ。
その技術がどう応用されるのか、応用したらどのような課題の解決に役立つのか、その道筋が見えた時にワクワクする。

(昔高校の部活の顧問の先生に、「意外とミーハーだよな笑」と言われた。意外とミーハーだったらやはり新しい物好きなのかもしれない。)

3Dフードプリンター

まあ確かに今の時点では奇妙さ、怖さがあるのかもしれない。
応用した先の道筋を考えると
面白いんだけどなあ。


だけど、自分が今後進める学問は、「ワクワクするから」の理由だけでは足りない。それではやはり、また考えを揺るがされる場面がたくさんあるのだろうと思った。


食事にはこういう歴史があって、私はこうした食事の意味を大切にしたいとか

この食品はこういった社会の流れでできたものなんだとか

文化的背景や自分の思いの詰まった研究をしたい。

それでこそ、自分の進める学問に自信を持てるだろうし、その学問を好きになれるだろうし、やりがいも感じるのだと思う。


まだまだ私の勉強が足りないから、その意義を感じられるような学問に出会えていないのだろうか。


きっとそうなのだろうと思って、今、すがるように色んな本に手をつけている。
あと10ヶ月弱で、研究室を決めないといけない。

それまでに学びたいのは、畜産関連の学問体系、食に関する文化的背景、料理現場の課題、行動経済学的に見た人々や食に対する嗜好、食と健康の栄養学的つながり、etc...

まだまだ学ぶことは山積み、、だ。


p.s.
今日は実験医学別冊の『食と栄養のサイエンス』を読んでいる。少しずつ知識体系を作っていくしかない。

わかりやすいと思った図。
人間の食行動メカニズムについて。

いいなと思ったら応援しよう!