京住日誌5日目
【What day is today ?】
日に日に起きるのが早くなってきた。本日は4時50分起床。普段ならまだまだ夢の中を彷徨している時間だ。ただあれこれ活動して朝8時位に猛烈な睡魔に襲われるので良い習慣なのか悪いのかよくわからない。
シャワーを浴び、コーヒーを入れて昨日の資料に目を通す。6時にデジタル版が更新されるのでそれを待ってiPadを立ち上げた。1番楽しみにしている朝日新聞の「人生の贈りもの」から目を通す。現在、映画監督の崔洋一が取り上げられているが「考えてみたら彼の監督作品は観たことないな」と思い、出世作?「月はどっちに出ている」をU-NEXTで視聴。面白かったけど朝っぱらから観る映画ではないですな。
朝食はご飯を炊いて昨日のタマネギスープの残りでリゾットに。
空腹を満たしたところで、市内散策?に出掛ける。今日も天気が良いのはありがたい。予報によれば夏日になるらしい。もう上着は入りませんな。
京都は1200年以上の歴史があり、長く少なくとも文化の中心であったから(今も?文化庁も京都に移転しますね。)町を歩けば史跡に当たります。
京都だけでなく、日本の歴史に詳しくないのでおちおち町も歩けない。そして本日のお目当ては先斗町にある歌舞練場。明治5年から続く伝統の「鴨川をどり」を鑑賞する。今年で183回を数える京都の5月を彩る風物詩であるが、コロナの影響で2年間休止で3年ぶりの開催だそうだ。
残念なのは開催中提供される芸妓さんによるお茶のサービスが今年はないということ。まぁこのご時世だから仕方がないのかもしれない。
受付でチケットを引き換え入場。8割程度の入りか?。ややあって開演となった。演目は「先斗町四季絵姿」。七景に分けて京都(先斗町)の四季が描き出される。舞踏は馴染みがないから、退屈するかと思ったが1時間弱の公演はあっという間だった。舞踏の良し悪しは分からないけれど、動きが大きく速いテンポで退屈している暇がない。邦楽、囃子、笛が一体となって官能的とさえいえるハーモニーを醸し出し、それが踊りの動きをますます魅力的にさせている。圧巻はフィナーレ。舞台上に15名の舞妓、芸妓さんがところ狭しと立ち並び堂々たる踊りを披露したのは圧巻だった。ただちょっと驚いた、というか残念だったのは邦楽部門?の女性が全員マスクを着用していたこと。笛はおそらく布製なのだろうけど暖簾のようのマスクをしていてその下?で笛を吹いていた。ちょっとやり過ぎ?来年はマスクなしを望みたい。
会場を後にし、先斗町、木屋町の散策の続き。
まずはこちらから。
木屋町沿いに高瀬川が流れているがこの運河を慶長年間に開削したのが角倉了以(すみのくらりょう)だ。高瀬川は木屋町二条から南下して東九条で鴨川を横断して伏見に通じる。伏見からは淀川を通って大坂まで、物資の輸送が可能になった。大正年間にその役目を終えるまで、大坂からまた、大坂へと船の往来があったという。
交通の要衝の地であったからなのか木屋町沿いは幕末にはしばしば歴史の舞台になった。
特に龍馬ファンでもないからほぼ素通り。
足を止めたのはこちら。
佐久間象山は元治元年(1864年)、大村益次郎は明治2年(1869年)に同じ場所で「遭難」つまり暗殺されている。それだけ物騒な場所だったのだろう。
大村益次郎は世間体には日本陸軍の創始者ということになっているが武士階級の出身ではなく、山口の村医の息子であった。一時本人も医者になったが、蘭学を納め、その後時代の要請に従って兵書(オランダ語)の翻訳に努めた。つまり彼は翻訳家だったのだ。翻訳を通じて兵法を身につけ、最終的には軍隊を率いることになったのだ。その辺りの事情は司馬遼太郎の「花神」に詳しいらしい。ずっと読みたいと思っていたが良いきっかけを貰ったので今夜から読み始めよう。
木屋町をさらに上ると「一乃舟入」が見える。要は船附場でこの辺りが高瀬舟の起点となった。二条から四条まで9箇所作られたがここを除いて全て埋め立てられたそうだ。
一乃舟入の先には二条通りが見える。その手前に「島津製作所創業記念館」。
なかなか風情のある建物で興味をそそられたが残念ながらコロナのためしばらく休館の張り紙。何でもかんでもコロナのせいにすればよいってもんじゃないぞと心に思いながら帰路に着いた。