小学生の宿題に付き合うという修行

泣くのをこらえる息子(一号)の姿を見て、心の中で「あぁ、やってしまった・・・」と思った。
けど、その心中に反して口からは正反対の言葉が出る。
「ちがう、ちがう、書き順がちがう」
3回も「ちがう」と言われてしまい、一号はまた目とまゆげをきゅっと寄せるような仕草をした。

どちらかというとわたしは甘いというかゆるい方だと思う。
なぜなら自分自身が自分に甘いから、他人にも甘い。
なので、これまで一号の宿題事情にはあまり口を出してこなかった。

(学校からは『保護者の方も宿題見てあげてください』と言われているので、やっているかどうかはチェックしている)

音読は毎日行って、保護者サインをしているが、プリント類を見ない。
あれ・・?と思ったら、ランドセルの中に無造作に突っ込まれたぐちゃぐちゃのプリント類から未記入の宿題プリントが出てくる出てくる。

赤字で『さいきんしゅくだいわすれがおおいぞ!!しっかりやろう!!』というコメントが書かれていた。

これはまずい、と思い、「一緒に宿題をやろう」と言って、リビングで一緒に取り組むことにした。

まだ小1だからか、男の子だからか、もしくは特性か、とにかく落ち着かない。
宿題やろうって言ってるのに漢字ドリルを持ってこない。
一旦ランドセルがあるところまで戻って、ドリル持ってきて、席に着いたらノートがない。

今度はノートを取って、戻ってきて、そしたらふで箱がない。

・・・いつ宿題始められますかぁ?

ようやく必要な物がそろって、さあやろうとなっても席に座らない。
いや、座れや。
キミはまず落ち着いて座ることを覚えなさい。
素直に「うん」と言って座る。ありがとう。

漢字ドリルをパラパラとめくって宿題になっているページを開く。
『じどうしゃにのる』の『しゃ』を漢字で書くという問題。

車という字は縦棒を最後に書くことになっているようだが、書き順がめちゃくちゃ。さらに横棒を右から左に向けて引く。(ちなみに右利き)

いや、書き順も書き方もひどいな。

「ちがうよ、日本語はひらがなも漢字も横棒は左から右、縦棒は上から下に書くんだよ」

「うん」

返事はいい、返事は。

次の問題は、『てをあげる』の『手』を書く。

「横棒は左から右に向けて書くんだよ」

「2本の横棒は下の横棒の方が上の横棒より長くなるよ」

「縦棒は最後はしっかり跳ねるよ」

「ぅん」

ん?なんか声小さいな。

ここまでですでに20分くらいたっている。

二号と三号は助っ人で来ている祖父母がお風呂に入れてくれているが、そろそろお風呂から出る頃だ。
あいつらがリビングに来るとやっかいだ。早く終わらせたい。

次の問題は、『しろいくもがみえる』で、『白』と『見』を漢字で書く。

『白い』は送り仮名の『い』も含めて書けた。

「いいね!」すかさずほめる。

漢字ではない「が」の書き方が雑だった。
なんていうか、とめないといけないところを流してしまい、払っているように見える。

「ここははらうんじゃなくて、止めるんだよ」
もう一度書き直そうと消しゴムで消すと、消し方が雑なので他の文字も消えてしまう。

「ちがうって、貸して」
消しゴムを奪って、自ら消す。

二号と三号がお風呂から出てくるまでに終わらせたい~!
あと四問かぁ・・。無理かもなぁ。

そんなことを考えていたら、また適当な『が』を書いている。

「ちがうって、止めるの」

一号の口数がだんだん減っていく。

『見』を書くとき、書き順が違っていたので、思わず「ちがう、ちがうって、書き順がちがう」と言ったら、冒頭の様子ですわ。

その時ふと自分の子供のころを思い出した。

たまに父親が勉強を教えてくれた時、言い方がきつくて泣くのをこらえていたことを思い出した。
(父親は特に指摘しなかったが、鼻をすすっていたので半泣きだったのはばれていたと思う)

きっと、父もこんな気持ちだったのかなぁ。

別に怒っているわけじゃないけど、大人になると漢字って当たり前に書けるものだって思っちゃうから、つい「なんでできないの!?」という気持ちが言葉に乗って相手に届いてしまう。

泣いてはいないけど、明らかにいやーな気持ちを持ってる顔してる一号を見て、『教育虐待』という言葉がよぎる。

よくない、よくない。
おちつけー。わたしー。

そこからは、できるだけ口をはさまず、見守るようにした。
(まぁそこそこ口ははさんだけど、できるだけ要点をしぼって言うようにがんばった)

1時間弱くらいかけて、宿題を終わらせた。
つ、疲れた・・・。今日の仕事1日分より疲れた気がする。

小学生の宿題に付き合うって、めちゃくちゃしんどい。
今日はまだ祖父母が来てくれているけど、お母さんしかいない家で、小さいきょうだいがいたら、みんなどうやって小学生の宿題見てるの?無理じゃない?

我が家は子供が3人いるけど、日ごろから手が3本ないと絶対にやれない場面がひんぱんに発生する。

それとも、よさのおうちの小学生は宿題をもっとさっさと終わらせられるくらい優秀なんだろうか。

書き順くらい大目に見てあげたい気持ちはある。
指摘しない方が楽だし、早く終わるだろうし。

だけど、書き順うんぬんというよりは、何事も基本が大事であるということを知ってほしい。

手書きよりはパソコンで打ち込むことの方が多いだろうから、書き順なんて知らなくても漢字は使えるかもしれないけど、書き順を適当にする、というような小さいことの積み重ねが『適当な人間』をつくることにつながってしまったらどうしようと考えてしまう。

とは言え、一号には人生を楽しんで生きてほしいと思っている。

だけど、親として何事も適当に流すような人間にはなってほしくないとも思っている。

古い考えでごめんよ。

宿題一緒にやるなんて、せいぜい小学生くらいまでだろうから、あと5年くらい辛抱してくれ。

けど次からはもう少しやさしく言うよ。

今日はおつかれさまでした。ありがとう。おやすみ。


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