近年のM-1で評価されやすい漫才、競技漫才の傾向と考察
競技漫才と寄席漫才の傾向は異なる。特に、寄席でウケているネタがM-1でウケるとは限らないし、逆もまたそうだ。そして、「M-1で勝ちやすい漫才」というのは確かに存在する。
このnoteでは、M-1グランプリ2024決勝ネタを引用しながら、近年のM-1の審査員評で特に評価をされやすい要素を一つ一つ分析してみた。
(12/31時点で出した記事にさらに追記しています。)
評価が高くなりやすいポイント
・ウケ数
これは近年強く評価されるポイントだと感じる。
審査員は観客のウケも込みで審査する場合が多いので、笑いがない時間が長くあるネタよりも、常時観客がウケているネタの方が高得点を付けやすい。
ここでは、こちらの動画を参考にさせていただいて、M-1 2024における各ネタのウケ数(ボケ数)を数えてみた。
こちらの動画は、制作者の独自の基準でネタのウケ量を時間経過ごとにグラフ化したもので、今回はその棒グラフ部分を「1ウケ」としてカウントしてみた。
得点順(最終決戦は票数順)で並べる。
各組のウケ数にそこまでの大差はなく、13ネタの平均ウケ数は31.3回になった。
漫才タイプ別に見てみる。今度は出順で並べる。
漫才コント
漫才コントはボケ数を増やしやすい構造のため、他の漫才タイプに比べウケ数が増える傾向にある。平均ウケ数は33.7回。
今回マユリカが低得点で終わってしまった要因の一つに、マユリカの前に2組続いた漫才コント組が、2組とも特にボケ数で勝負するタイプの漫才コントだった、ということもありそうだ。
しゃべくり漫才
しゃべくり漫才は漫才コントに比べると、ウケ数は少なくなる傾向にある。平均ウケ数は28回。
その分後述のキャラクター性やワードで勝負するものも多く、一つのウケのパンチが強くなる。現にエバースは最も少ないウケ数であるが、ファーストラウンドの点数が848点という高得点であった。
システム漫才
こちらの平均ウケ数は31回。
システム漫才の場合は、ネタの構造がシステム化されているため、ウケポイントが予測しやすいという特徴がある。その特徴が裏目にでる時もあるのは否めないが、キャッチーなネタが多く、観客の印象に残りやすい(後で真似しやすい)漫才はここに多くある印象がある。
・キャラクター性、「人」の見せ方
これは初期のM-1から評価され続ける項目であり、M-1 2024でも特に評価されたポイントと言えるだろう。
漫才を見る以上、「どういう人がこの話を語っているのか?」は誰しもが気になる点であり、そのキャラクターを見ることができるほど、ネタにより深みが増すと考える。
キャラクターを見せる点においては、しゃべくり漫才が最強である。
M-1 2024では令和ロマンの髙比良くるまが「最強の漫才バカ」を見せつけ、バッティリズ・エースの「ピュアなバカ」が場を救済し、エバース町田の「友達思い」にふっと心が綻んだ。特にバッティリズのしゃべくり漫才は、エースのキャラ一本の振り切ったネタであったため、キャラクター性で一番に評価されたネタであっただろう。
自分たちを演じる漫才コントも、しゃべくり漫才と同程度、本人のキャラクターを見せることが可能である。
ダイタクが双子ならではのエピソードから推測できるクズ要素を披露し、ママタルトからは「いつもありがとう」の言葉から、普段も一緒に銭湯に行っていそうな仲の良さを見ることができた。
ただ、この2組に関しては、ダイタクの「システム漫才」とママタルト檜原の「強くて長いツッコミ」が、それぞれのキャラクター性を若干弱めさせる要素になっていたようにも感じられる。システム漫才は双子エピソードを観客に予測させ、強くて長いツッコミは日常生活には似つかわしくなかった。もっとこの2組の人間性を見たいという審査員の思いが点数に表れていたのかもしれない。
別人物を演じる漫才コントは、「人」を見せる点で完全に不利になる。
特にボケが複数人物を演じるタイプの漫才コントでは、次々に登場する人物の中にそのキャラクターを見出すことは難しい。
よって、真空ジェシカの1本目ではその点で勝負をしていない。しかし、今回の真空ジェシカで特異的だと感じたのはネタの入りだ。商店街のロケが世の中に必要だと話す川北に同調するガクに対し、「いや、今一番求められてるのは子育て支援だろ。お前がちゃんと否定しろこういうときは」と言って見せた。これは今までの真空ジェシカではあまり見られなかったフリで、基本的に川北に寄り添うスタイルであるガクに対する役割を、「素の川北」が示したように見えるのが斬新で、これは一種の「人」の見せ方だと私は感じた。
令和ロマンの2本目もこのタイプの漫才コントであるが、令和ロマンは髙比良の圧倒的な演技力を以てして、複数人物を演じ分け、それぞれの人物の幾ばくかのキャラクターや彼らを取り巻く人間関係を見ることが可能になっている。これは非常に特殊なケースであると考える。
ボケが一人の人物を演じるタイプの漫才コントでは、本人ではないが、その役のキャラクターを見せることは十分に可能であり、擬似的に本人のキャラクターをうっすら類推することも出来る。ヤーレンズやマユリカはこのタイプである。
ヤーレンズ楢原はとにかくしゃべり続けるウザキャラを演じることが多く、マユリカ阪本はどこか気持ち悪いずれたキャラを演じることが多い。
このタイプの漫才コントの難しいポイントは、本当にこの人物とそれを取り巻く世界が存在するように見せなければならない点だ。これは漫才のネタであるということを観客から忘れさせる必要がある。そのため、無理な漫才要素は親和性が低く、観客に「作られたネタ」だということを思い出させた途端に観客が冷めてしまう恐れがある。例えば、システムや伏線回収といった要素は、このタイプの漫才コントには毒になってしまう可能性があるように思う。
M-1 2024では、ヤーレンズは歌ネタの繰り返しというシステム要素、マユリカには「モーニングセット」という伏線回収が持ち込まれていた。この点が作り物要素を感じさせた点は若干否めないように感じ、ここが全体のウケに響いたような気が個人的にはしている。
このタイプの漫才コントは、無理にウケを狙おうとせず、本当にその人物が言いそうな「意味の無いボケ」をし続けるというのが重要なのではないかと考える。
・観客の過半数が分かるワードや題材の選び方
分からないことで笑うのは難しい。笑いは基本「知っていること」で起きるので、観客が分かるワードや題材を用いる必要がある。
難しいのは、どの層が笑うことを想定するか、である。もちろん笑う人数が多ければ多いほど好ましいものであり、「誰でも笑える漫才」が理想形ではある。しかし、本当に全員が知っていることでネタを作ろうとすれば、その題材は最低限の教養や日用品などになってしまうだろう。
逆に、笑う想定観客層を限定すればコアな笑いを起こすことも可能だ。マニアックな知識や動作はそれを知っている人たちにとって、最高にニッチなお笑いになる。しかし、それで笑える層は限られる。M-1はあくまで「テレビ番組」であるため、テレビやスマホなどの電子機器を持つ全ての人が見ることを考えなければならない。これは予選の話になってしまうが、準々決勝で十分なウケを取っていたさすらいラビー「ブラウザ」や20世紀「エビフライ」は、それぞれパソコンに精通している人やエヴァンゲリオンが分かる人に特に笑いやすいネタであったことが、準決勝に進出できなかった要素になったのではないかと個人的には感じた。
つまり、「過半数の観客が笑えて、そこまでありふれているわけでもない」題材やワードを選ぶ必要がある。この感覚のアジャストは大変難しく、M-1 ファイナリストはこのあたりの感覚が特に優れているように見受けられる。
ここまでは主にネタの題材の話だったが、ワードの選び方、これも特に重要な要素であると考える。ウケを取れるワードは、
・観客の内にあるもの
・観客の外にあるもの
で分けられるのではないかと思う。
まず、観客の内にあるもの、それは「あるある」の言語化である。
うっすらと頭の中にあるものが言語化されたり、言われてみれば思い出せるような古い記憶を突かれた時、それは笑いに変わる。重要なのは、頭の中に完全に存在しているのではないもの、ということだ。あるあるワードだけでなく、韻を踏んだ言葉や、反対言葉などもこれに当たる。
ネタを聞いている時の観客の頭の中を想像し、頭の中の「もやもや」を言語化してあげる。これはある意味「観客の頭の中クイズ」である。
M-1 2024でいうと、令和ロマンの1本目「一文字一文字風船の中に入った保健だより」、真空ジェシカの1本目「今年の都知事選みたい」、エバース「ポムの樹」などが挙げられるだろう。
真空ジェシカは、あるあるワード大喜利の使い手である。しかし、そのあるあるワードが刺さる層を毎年広げてきている。
というように、ワードの元ネタを大衆に寄せてきており、アニメや映画など、そもそもよく知らなければ笑うのが難しいようなワードは年々少なくなっている。特にM-1 2024の一本目で用いられているワードはテレビやニュースを少し見ている人であれば分かるものが多く、その点がファーストラウンド3位の高得点に繋がったのではないかと考える。
次に、観客の外にあるもの、それは「予想外のワード」である。
話の流れにあまり関係ないワードがねじ込まれた時、それが笑いに変わる瞬間がある。それは観客が次に来るのではと予想しているワードより固かったり、逆に柔らかすぎるものだったりする場合に笑いが起こりやすい。前述の「観客の頭の中クイズ」の、こちらは不正解を当てるゲームである。
バッテリィズの戦い方はまさにこのワードの畳みかけだ。といったように、その人名に対して全く予想だにしていない感想が飛び出したときに、特に笑いが爆発していた。
全く流れに関係のないワードで笑いが起こる場合もある。これはM-1 2024でいうと、マユリカの「うんこサンドイッチ」であったり、M-1 2023だとヤーレンズの「北京原人のDVD?」あたりのワードがこれにあたる。
海原ともこがヤーレンズに対する評で「もっとくだらないことをやってほしかった」と言ったのはこのあたりにあると思われ、現にマユリカの「うんこサンドイッチ」を評価していたことからも分かる。ヤーレンズのM-1 2024ネタはM-1 2023の一本目に比べて、この突飛なワードが少なくなっていたように感じた。
・最初の爆笑までの時間の短さ
これはウケ数と関連する話でもあり、最初の笑いが早い方が全体の笑いの数も多くなりやすい。また、いつまでも笑いがない状態でネタが進んでいくと観客が不安になってしまう場合もある。
この時間を短くするために、積極的に「つかみ」が使われる場合がある。
ここでもM-1 2024から観客の最初の爆笑を取るまでの時間を計測してみた。
最初の爆笑までの時間は平均18秒となった。(ママタルトは今回抜いて計算した)
10秒以内に爆笑が取れている場合は、効果的な「つかみ」を用いている場合であり、それよりも時間がかかっている場合はネタ中の最初の爆笑がカウントされている。
「つかみ」には色々なタイプがあり、大会そのものをイジるものやネタの説明を兼ねているもの、大会にもネタにも関係ものまで、様々である。
今回最初の爆笑までに特に時間がかかったのはエバースとなった。エバースは「つかみ」を使用せず、ネタの状況説明の時間に1分ほど割いた後で、「さすがに末締めだろ」が最初の爆笑ポイントとなった。この点に関して、「つかみがもっと早ければもっと高得点だった」という審査員評があった。ここからは個人的な意見となるが、あの難しい設定を観客に理解させるための説明は(あのネタ順では特に)必要だったように思われ、それを言うとこの形式のしゃべくり漫才は漫才コントには勝てないという一種の事実呈示となってしまっているようにも感じた。この点をクリアするために、(ネタに関係あってもなくても)なんらかの「つかみ」を入れることは、彼らにとって今後より高みを目指すための課題となるのかもしれない。
・笑いのピークが終盤にあること
最初から最後まで安定してかなりのウケが取れることが理想の漫才であると思われるが、特にネタの終盤に爆発的なウケポイントが作れると、漫才の読後感ならぬ「笑後感」が強くなる。ネタが終わった直後に審査員は点数を付けるため、当然ネタの終了間際に爆笑できるポイントがあると印象に残りやすく、高得点が付きやすいと考えられる。
今回もこちらの動画を参考にさせていただき、動画内で定義されているウケの数値が10を超えている箇所(特にウケているポイント、爆笑ポイント)をまとめてみた。
このデータから読み取れる範囲で言うと、M-1決勝の場で評価されるネタは「全体を通して爆笑ポイントが少なくとも2か所ある」かつ「ネタ終了時間から遡って1分以内に爆笑ポイントが少なくとも1か所ある」という特徴がある。
爆笑ポイントを作ること自体がまず難しいが、M-1決勝の場で評価されるのはさらに上記の特徴を抑える必要があるのかもしれない。
ここからは、そこまで説明を必要としないが、M-1決勝で評価されている印象を受ける要素を並べてみる。
・新規性
これも大事な要素である。「どこかで見たことがあるようなネタ」はM-1 決勝の場では評価されにくい。
M-1 2024において、博多大吉は、
を審査の評点としていたと、M-1終了後のラジオで明かしている。
完全オリジナルの場合、5点も付くことを考えれば、新規性は重要な要素のうちの一つと言うことができるだろう。
・声量
お笑いライブや寄席を見に行ったことがある人なら分かると思うが、「大きな声」は現場では笑いやすい要素になる。テレビだと生の声は聞くことが出来ず、音量も各自で調整できてしまうため、このあたりが伝わりにくい。
大声は必死さや深刻さを伝える上で良い役割を果たすもので、しゃべくり漫才において特に効果を発揮しやすい。
・アドリブ力(度胸)
緊張が伝わると笑いは起こりにくい。M-1の観覧客は、これが芸人の人生を変える大会であるということを理解しているため、緊張が伝わると、嚙まないかやネタを飛ばさないかの心配が起きてしまい、それは笑いのストッパーになりうる。
その点、それを感じさせない度胸や、多少のトラブルを笑いに変えるアドリブ力がある漫才師は客に安心感を与え、笑いを増幅させる。これは令和ロマンが評価されている要因の一つである。
評価が分かれるポイント
ハマれば綺麗な要素であるが、審査員評としてネガティブな意見を送られることもある要素を2つ分析してみる。
ここまでの話に被る部分もある。
・システム
システム漫才とは、「同じ流れの繰り返しがある」ような漫才のことを言う。直近のシステム漫才のM-1王者は2019年のミルクボーイである。「それ○〇ちゃうか?」「ほな〇〇ちゃうな」の形式を繰り返しながら、ほぼ悪口とも取れるあるあるを適宜繰り返していくスタイルだ。また、形式ばかりの型があるだけだが、2022年王者のウエストランドもある意味システム漫才にあたる。
システムの特徴は、笑い待ちが起きる点にある。ある程度ネタが進むと、ここでボケが来るというのが観客が分かるようになるため、そこで予想を上回るボケが来ると爆発が起こり、反対に予想通りか予想よりもあまり面白くないボケが来るとほぼ笑いが起きず、そのまま無風で終わっていく。まさにギャンブルを体現したかのような要素である。
直近3年のM-1でのシステム漫才の結果をまとめてみる。
一部を除いてあまり成績は振るっていない。
システム漫才の難しさは、前述の「展開が予測できてしまう」というところ以外に、M-1で評価されやすい「キャラクター性」と相反しがちになるという点が挙げられる。
2019年王者のミルクボーイと2022年王者のウエストランドは、ネタの中に「人」を見ることができた。ミルクボーイのネタからは、日常生活の中でいちいちツッコミを入れている大阪のおばちゃんのような姿が、ウエストランドからは社会に文句を言い続ける小市民の姿がそれぞれ浮かび上がってきた。
その点、歌ネタや言葉遊びを題材にしたネタなどは、ネタの展開に時間が割かれるため、ネタ中に漫才師自身のキャラクターを見出すことが難しい。よって、ネタの展開や繰り出すワード一辺倒の勝負となり、そこがハマらなかった場合にマイナスの評点に繋がりやすい要素となると考えられる。
ただ、ハマった時の爆発力は凄まじいものがあり、上手くシステムを使いこなせればもう優勝まで見えてくる、博打のような要素である。
・伏線回収
これはハマると非常に綺麗な要素である。
M-1 2024では、真空ジェシカの1本目「出口が近そうだな」、マユリカの「湯舟来てるやん」「モーニングセット」、バッテリィズの2本目の「墓」など、一大会だけでも様々な伏線回収があった。
これはワードの項目で述べた、「観客の頭の中クイズ」に近いものがあり、うっすら覚えている前半のボケが回収された場合に、大爆笑が巻き起こることがある。実際、真空ジェシカの1本目やバッテリィズの2本目は、客が分かっていながらの伏線回収かどうかで差があるが、効果的な伏線回収であったように思う。
ここからはNON STYLE石田の著書「答え合わせ」の受け売りになってしまうが、伏線回収は「作り物感」を出してしまう点で非常に取扱いが難しい要素の一つであると考えられる。
当たり前だが、漫才師はネタを作って、そのネタを舞台で披露している。しかし、漫才においては、それがその場で初めて起こったリアルな立ち話のように見せることが重要であり、「ネタ感」は出来るだけ薄れさせた方がよい。
その点で伏線回収は、後半の1ボケのために前半に要素を散りばめる必要があり、それをしていたと後で気付いた瞬間、観客が冷めてしまう恐れがある。
実際2024年のマユリカのネタは、「なんで私が卵を担当せなあかんの!?」という中谷の伏線回収のボケのために、阪本の「うんこサンドイッチ」や友達の「サラダ」「コーヒー」のエピソードが作られていた印象があり、実際に存在する人物でないことは重々分かっているものの、「モーニングセット」のために作られた架空のキャラクターという様な印象を最後の最後に受けてしまい、「作り物感」が強まってしまった瞬間があったように思う。
伏線回収はキャラクターで勝負するような漫才には不向きな側面があり、ネタの「生っぽさ」を損なう恐れがある。これを避けて伏線回収をネタに持ち込むためには、よりネタの自然さを意識する必要があるように考えられる。
ただ、ボケが1役を演じるタイプの漫才コントでは、最初から作られたキャラクター性で勝負をする分、「作り物感」を出さないことに一層注意をする必要があり、その点でこの伏線回収の要素は特に自然に盛り込まないと、「作り物感」を増強させる危険性がある。
どのように自然に伏線回収を持ち込むかが、重要なキーとなりそうだ。
近年そこまで減点対象でないポイント
こちらは過去のM-1において審査員に言及されることがそれなりにあったが、最近あまり言及されなくなっている要素を列挙してみる。
・ネタ時間
M-1では、ネタの持ち時間は、1回戦は2分、2回戦・3回戦は3分、準々決勝・準決勝・敗者復活戦・決勝戦は4分となっている。
予選では15秒を経過すると警告音が鳴り、30秒を経過すると強制終了となるという厳しいルールが設けられているが、決勝の場で警告音が鳴ったり、強制終了となる場合はない。
実際に、M-1 2019王者ミルクボーイのインタビュー記事で、
とあったように、大会側から出場者に対してこのような認識の共有があるようである。よって、結局、ネタ時間の超過を減点対象にするかは、実質審査員の裁量に委ねられることになっている。
これまでのM-1決勝ネタのネタ時間データは、以下のnoteを参考にさせていただいた。
5年ほど前まではネタ時間の超過を審査員が指摘する機会も複数あり、それは和牛に対するコメントとしてあったことがある様に記憶している。
しかし、M-1 2024では令和ロマンが4分46秒のネタ時間で優勝し、M-1 2019でもミルクボーイが4分28秒という最終決戦の中では一番長いネタ時間で優勝している。
ネタ時間は確かに審査項目の一つであるが、同じ満足度のネタであればネタ時間が短い方に軍配が上がるが、内容としてより秀でていた場合はネタ時間の長さは不問にするといったような審査が近年では行われている印象がある。
ただ、M-1 2024では令和ロマンとバッテリィズのネタ時間に約1分もの差があり、この点がネタの満足度に影響を及ぼした点は否定はできないように感じる。よって、大会側がもう少しネタ時間を厳密にするか、そのような是正が行われない場合は、出場者側がネタ時間が長めのネタを最初から持ってくるといったような対策が必要になるかもしれない。
・仕草、所作
これも過去に言及されることが多かった印象であるが、特にM-1 2024でこの要素に言及している審査員はいなかった。
仕草で大きく減点を食らってしまったのは、直近では2019年の見取り図だったように思う。盛山がネタ中に髪や鼻を触ってしまうのが気になるという審査員コメントがあった。
M-1 2024でもバッテリィズのエースが体を常に動かしていたり、頭を掻いたりする癖が見受けられたが、バッテリィズに関してはそれも「バカ漫才」の一要素として受け入れられたのかもしれない。
とにかく、仕草や所作はここ数年のM-1では言及されにくい。
最後に、この記事を書く上で大きく参考にさせていただいた本を2冊紹介して、この記事を終わろうと思う。(この記事を読んでくれるような人はもう読んでいそう)
ありがとうございました。今年もたくさん笑える一年を。