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物語 「ルディのダイヤモンド」《第7章》

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《第7章》


 ルディは作業場にこもりきりになりました。食事はおろか、時には寝ることさえも忘れて、ダイヤの原石と格闘する日々がはじまりました。しかし、どんな方法を試してみても、原石はびくともしませんでした。工具の刃は折れ続け、特別な機械を回転させて圧力をかけても、石はほとんど形を変えません。ルディは地下室の本を何度も読みかえしては、手がかりを探しました。それでも、ほんの小さなヒントさえ見つけることはできませんでした。

 真夜中の作業場で、ルディは箱につめたたくさんの原石を、一つ一つ研磨機にのせていきます。もしかすると中には削れる石があるかもしれない……。そう思って、大切に貯めてきたお金で、いろんな国から原石を取りよせてきたのです。でも、そのどれ一つとして、思い通りになった石はありませんでした。

 ルディは手がかりを求めて、遠くの街やほかの国に出かけてみることにしました。先輩たちに教えてもらい、有名な宝石職人を訪ねてみることにしたのです。ですが、彼らが提案するほとんどの方法は、ルディがすでに試したものばかりでした。すすめられた本を読んでも、これといって役に立ちそうなことには出会えません。自分で思っていた以上に、ルディは宝石職人としての一流の腕と知識を身につけていたのです。少し前までなら、そのことを誇らしく思えていたかもしれません。でも、今ではそのことがルディの胸をいっそう重くしていました。誰に聞いても分からないことを、どうやって解決すればいいのでしょう?

 親方との約束から長い時間が流れていました。エレナの容態は少しずつ回復に向かっているようでした。事故で折れてしまった背中や足も、どうにか動かせるまでになっているそうです。親方との約束で、ダイヤモンドの研磨法をつきとめるまでは、エレナとは会わないことになっていました。それでも、ルディにはエレナの気持ちが痛いほど伝わってきました。親方はエレナに、ルディとの約束について話したようです。その話を聞いて以来、エレナがだんだんと良くなりはじめたのだと、先輩の職人が教えてくれたのです。

 ルディはため息をつきました。本当にどうすればいいのか分かりませんでした。ルディに話しかけてきたダイヤモンドの原石も、あれ以来口をつぐんだままです。ルディは原石を手にとると、あの時に言われたことをもう一度思い出してみました。

 私と同じ本質を有するものでなければ、その術を知ることは永遠に叶いません。
 そなたは何のために私に刃を向けるのですか? それをよく考えるのです。誰かに言われたつまらない言葉で崩れ去るほど、そなたの思いはもろいのですか。若者よ。目を覚ましなさい。

「ダイヤモンドと同じ本質?」
ルディは呟きました。

 ———ぼくは何のためにこの石を削ろうとしているんだ? 世界で最も硬いこの石を。ぼくは、ただエレナと一緒にいたいだけなんだ。ぼくが望むのはそれだけ。エレナもそう思ってくれていることが、ぼくには分かる。だから、絶対にあきらめるわけにはいかない。ぼくとエレナの夢が叶うかどうかは、ぼくのこの手にかかってるんだ。だから譲れない。たとえダイヤがどんなに硬くたって、ぼくの決意はそれ以上に固くて……。

 それ以上に、固い?

  ルディの脳裏を何かが激しく突き抜けていきました。なぜか、体が震えています。思わずよろめいたはずみに左足がぐにゃっと曲がり、ルディは体ごと床に倒れてしまいました。大きな音を立てて作業台がひっくりかえり、ダイヤの原石を入れた箱が勢いよく吹き飛びました。
「しまった!」
その時です。パチパチッ、パチッと音がはじけ、暗闇にいくつもの火花が飛び散りました。それはほんの一瞬の出来事でした。辺りには何かがげたような匂いが漂っています。

 ———石を削る時の匂いだ……。

 ルディは不意に、エレナと初めて話した時のことを思い出しました。

 こんなに神秘的で……でも道具としてしか使われてないのね……。

  道具……。そう、ぼくたちはダイヤモンドを道具にしてきた。ダイヤは一番硬くて、どんな石でも削れるから。どんな石でも……。

「そうだ!」
ルディは叫びました。 
「ダイヤは一番硬い石だ。だからダイヤを削れるのは、ダイヤモンドしかないじゃないか! さっきの火花は、石と石がぶつかった時の摩擦まさつなんだ!」ルディは急いで立ち上がりました。かつてない力が体中にあふれてきます。
 「ぼくには、できる」
 ルディはやっと答えを見つけたのです。

 

 

 

 燦然さんぜんと輝くダイヤモンドの指輪を手にとると、ルディはそっとエレナの薬指にはめました。それは、二人が初めて出会った時にエレナが好きだといった、そして厳めしい声でルディをしかりつけた、あのくすんだ原石でした。原石の言葉は本当でした。ルディが心をこめて作り上げたその指輪を身につけた瞬間、真っ白なドレスに身を包んだエレナの表情が、かつてないほど美しく、そして気高く輝きました。

 あの夜思いついた方法で、ルディは見事にダイヤモンドの原石を削り、磨きあげることに成功したのです。ダイヤの粉末に特別な液を混ぜたものを研磨機の台に塗り、高速で回転させながら、機械にセットした原石を押し当てて磨く……。それが、ルディの辿りついた答えでした。

 ルディの手によって研磨されたダイヤモンドは、陽の光やランプの炎に反射して、時には星のようにきらめき、時には虹のような七色の光を放ちました。いくつものダイヤモンドを店頭に並べたとたん、それまで誰も目にしたことのなかった女神のように神々しいその宝石に、人々は瞬く間に心を奪われていったのです。

 今では何百人もの貴族や王族の使いまでもが、店の前で列をなしています。
 ルディはついに親方との約束を果たし、永遠の愛を手に入れることができたのです。

 

 

 もうずいぶんと前、ルディのおじいさんが最期の旅に出た水路を、ルディとエレナを乗せた舟が静かにすべり出しました。川岸にはお祝いに駆けつけたたくさんの人々が並び、大きく手をふっていました。白や淡いピンクの花びらが花吹雪のように宙を舞い、水面を美しく染めています。

 先輩の職人たちが滅多に見せない笑顔を浮かべ、口々に何かを叫びました。舟は、夕日の待つ水路の向こうへとゆっくり進んでいきます。二人はこれから、街のすべての水路が行きつく大きな川に出るのです。舟が川下に着くころには、沈みかけた夕日とともに、星が瞬きはじめるでしょう。ルディはエレナに話したいことがたくさんありました。エレナもルディに話したいことがたくさんありました。でも今のところ、二人にはなんの心配もありませんでした。ルディとエレナは、一緒に過ごす長い時間を約束されたばかりでしたから。

 二人はこれから、何千もの星空を見上げるかもしれません。ある時は舟の上で、ある時は賑やかな子どもたちの声が響く、心地よい庭で。そして、石たちが語る物語を分かちあう。

 

 これが、ルディのダイヤモンド。
 今から500年以上も前に生きた、ある宝石職人の物語です。

 

 

 ✧ ダイヤモンドの言葉 ✧

 

 あなたが自分の真価を信じて行動する時、あなたを阻んでいるかに見えた強固な壁は、美しい扉へと変わる。そしてあなたが望む素晴らしい世界に向けて、一斉に開き出す。

 

 

《再び、大切なあなたに》

 

  あなたにはダイヤモンドの原石のごとく、無限の価値と可能性が秘められている。いつ、どの瞬間においても、この真実は不変である。自分を磨くと決めて生きる者は、必ず美しく輝く。
 あなたの真価を知る隣人と大いなる叡智に愛されて、限りなく、どこまでも。



《あとがき》

 

  この物語は、1477年、世界で初めてダイヤモンドの研磨技術を発明したベルギーの宝石職人、ルドウィグ・ヴァン・ベルケムの人生をモデルにしています。

 ベルケムは伝説の宝石職人です。その生涯は不明な点も多く、彼にまつわるエピソードの多くも、言い伝えの範囲に留まっています。身分が低かったとも、片足が不自由だったとも言われていますが、真偽のほどは定かではありません。

 いくつかのベルケムのストーリーの中でも、彼の恋の話は特に有名です。

 ある時、まだ青年だったベルケムは一人の女性に会い、一目で恋に落ちてしまいます。その女性はベルケムの師匠で工房の親方の娘でした。ベルケムは悩みに悩んだ末、彼女との結婚を許してもらうよう親方に申し入れます。しかし親方の返事は厳しいものでした。

「ダイヤモンドの原石を研磨して輝かせることができたら、娘と結婚してもいい」

 誰も成し得るはずのない無理難題をつきつけて、ベルケムをあきらめさせようとしたのです。

 ご存じのように、ダイヤモンドはとても硬い鉱物です。ですが、結晶の構造上、結合力が比較的弱い面があります。この「へきかい」と呼ばれる性質を利用してダイヤの原石を切断することは、ベルケムが生きていた以前から行われていました。ただ、ほかの宝石のように自由に研磨することは不可能で、親方が出した条件も到底叶うはずのないものでした。その難題にベルケムが果敢に挑んだことが、ダイヤモンドの歴史を大きく変えるきっかけになったのです。

  彼はスカイフという、鋳鉄の円盤が取りつけられた特別な研磨機を考案して、見事にダイヤの原石を磨き上げます。粉末状のダイヤモンドを溶剤(一説にはオリーブオイルとも)に混ぜ、それをスカイフの円盤に塗り込み、高速回転させながら、円盤の表面にダイヤモンドの原石を押し当てて研磨する———。「世界で最も硬い石を削ることができるのは、ダイヤモンド以外にない」という発想の転換が、不可能を可能に変えました。

 その後、ベルケムは時のブルゴーニュ公シャルルに依頼され、サンシー、ボーサンシー、フローレンティンという伝説のダイヤモンドを生み出していきます。

 ベルケムにまつわる話が事実ではなかったとしても、かつては誰も研磨することができなかった鉱物を、宝石の最高峰にまで磨き上げた宝石職人がいたことは確かです。
 情熱と挑戦。挫折と苦悩の中で生まれるひらめき。インスピレーション。ダイヤモンドの歴史は、私たち一人ひとりに宿る限りない可能性を象徴する、美しい寓話のようにも思えます。

 

 ベルケムの逸話には以前から心を動かされていましたが、少年ルディの物語が生まれた直接のきっかけは、「地上のダイヤモンド」と呼ばれるラボグロウンダイヤモンドの存在を知ったことです。私は昨年、ジュエリーデザイナーで起業家のヒロコ・グレース先生による、「愛の講座」を受講する機会がありました。その際に、ヒロコ先生がラボグロウンダイヤモンドのみを使用して、新しくジュエリーブランドを立ち上げたことを知りました。

 ラボグロウンダイヤモンドは、その名の通り、ラボ(研究室)で生み出されるダイヤモンドです。天然のダイヤモンドが成長する環境を再現した施設で生産されるため、科学的にも物質的にも天然ダイヤとまったく同じ特性を持っています。結晶の成長環境を管理できるので不純物を含まず、採掘の必要もないことから、地球環境に配慮した生産が可能です。何より、原産国の人々の貧困や搾取を伴わない点に、心を動かされました。

 アメリカの推理小説作家ヘレン・マクロイは、「ダイヤモンドは貧しい人々の涙である」という言葉を残しています。ダイヤの美しさに魅了される心や感性に、まったく罪はありません。でもこれからは、この美しい石がもたらす恩恵を、誰もが等しく受けとれる世界で生きることを選択したい。長い教職の経験からも、私はそう思っています。テクノロジーと人類や地球への愛が融合した結晶という点で、ラボグロウンダイヤモンドの誕生は、どこかベルケムの物語にも重なるような気がしました。生まれも育ちも、ハンディも格差も乗り越えて、ただ、自分が夢中になれることに没頭し、愛する人と一緒に生きることだけを追い求めた宝石職人。

 少年ルディを生み出す機会を与えてくれたヒロコ先生と「愛の講座」に、心から感謝しています。

 

 この本を手にとってくれたあなたにも、ルディのように、無限の可能性と力が宿っています。あなたがその「真実」を信じた時、目の前の壁が理想の未来に続く扉へと変わる。

 現在は時代の大きな変容の中にあり、経済の面でも政治の面でも不安を感じたりネガティブな気持ちに陥る情報があふれています。ですが、こうした状況を凌駕して現状を乗り越えていく力、理想を現実化する力が、私たちの一人一人に宿っている。
 そのことをベルケムと、そしてダイヤモンドの輝きが私たちに伝えてくれています。いくつになっても、性別がどうであっても、そして国籍がどこであっても、その「真実」に例外はありません。

 ルディの物語とともに、あなたの心に「ダイヤモンドの言葉」も留めてくれたら本当に嬉しく思います。一見混迷を極めているように見える世界ですが、見方を変えれば、子どもたちだけでなく大人たちもまた、自分自身の価値と可能性について再認識し、純粋に花開いていける岐路に立っているのかもしれません。
 この小さな物語が、あなたのこれからの人生に光をもたらす一助となることを心から願っています。

2024年7月
いづみ


※この作品は、現在、Amazon Kindleで出版中の「ルディのダイヤモンド」の全文であり、「あとがき」を一部改変しています。

 

《参考資料》

・『Mavie Japan』ウェブサイト Mavie Japan (mavie-la.com)
・『新世代の輝き、ラボグロウンダイヤモンド: 持続可能でエコロジーな金剛石を未来のために』 (日本グロウンダイヤモンド協会) 石田茂之 (著), 結城創也 (著), (株)PERFECT (編集) 形式: Kindle版



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