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【物語】 貴婦人の予祝 《第7章》 そして、奇跡  緑 Vert 

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第7章  そして、奇跡  緑 Vert 

《第4チャクラ》
色   緑 
象徴  ハート 
主題  愛と人間関係を信じる
目標  自分と他人の赦しへの調和


 帰国した後も夢の続きのような感覚を体の一部に残しながら、私は日常に戻った。
 もう迷いはなかった。不思議なことに、あれだけ心を囚われていた恋人を思い出すこともなかった。私にとっては幸いなことに、その存在はいつの間にか心の中から跡形もなく消えていた。仕事に対する感情もまったく違うものになった。フランスから戻ってすぐに次の補充教員の誘いがあり、ありがたくその仕事を引き受けることにした。
 目の前にいる高校生は、その誰もが私に何かを教える存在に変化した。彼らの表情や言葉はそのまま百パーセント、私の意識の反映になった。彼らといて私が不快なら彼らも不快になり、私が楽しいと感じれば、教室には穏やかな空気が流れた。私は生徒たちを通して、自分が発している感情をまるで鏡を見るように知ることになった。


 
 仕事が終わると受験生に戻り、不況の中で座席を争う教員採用試験に向けた日々に参戦した。マダムが言ったように、いつか自分が表現するべきことを文字に起こせるようになるまで、逃げないでじっくり生きてみようと思った。そのために、たとえ遠回りになったとしても、日本という国のレールに一度はちゃんと乗ってみよう、と。
 毎日仕事に出かけ、何百人もの高校生や同僚と接する。想像ではなく現実の世界でしっかりと人に向き合う。究極のグラウンディングだった。地に足をつけること。どこまで変われるか。どこまで人を愛せるか。そして、どこまで自分を愛せるか。それは文字通り修行そのものだった。内向的で、ありとあらゆる自信が欠けていた私には、山に籠ることの方がまだ楽だったかもしれない。
 それでも私はマダムと出会うことができた。運命は、きっと私を見放していない。だから私も何があっても、自分を見放さないでいようと決めた。中途半端で自己否定の強い、外見も中身も誰かと比較すれば見劣りばかりする、この「ただの私」。その彼女に深く寄り添って、一緒に生きてみることにしたのだ。
 翌年に正式に県に採用された私は、その直後に一人の男性と恋に落ち、結婚した。不思議なことに、彼は「ただのこの私」を心から求めていた。たまたま旅行で日本を訪れたアメリカ人。狭かった私の世界に、マダムとの出会いに次いで違う国の価値観や文化が流れ込んできた。結婚して一年後に娘を授かった私は、誰かの妻となり、母となり、そして社会人になった。
 


 腰を据えて働くようになって初めて、私は学校という場所に渦巻く「人」のエネルギーを実感するようになった。私が働いてきた学校は生徒数が八百人から千人規模の、どれもとても大きな学校。一クラスに四十人の生徒がいる毎日が日常になった。教室という狭い空間には、常にそれだけの数の目に見えない思いや感情が放たれている。気にしないと決めればどこまでも無自覚でいられる。でもひとたび注意を向ければ、そのエネルギーというか、インフルエンスの力を無視することはできなかった。
 誰かが強い何かを発すれば、瞬時にしてそれが伝わる。ぶつかり合えば苦しい空間になるし、共鳴すれば素晴らしい力が生まれる。生徒会でも部活動でも、それは同じだった。高校生にとっても私たち職員にとっても、その力が大きなリスクになることもあれば、現実の楽園にもなる可能性を秘めていた。


 
 それでも高校という職場で働き続けることで、私は次第に自分と他者への理解を深めていくことができたと思う。
 


 いつだったか、私が担任をしていたクラスの男の子たちが、書道室でサッカーをして、天井に備えつけられていた扇風機を壊してしまったことがあった。もともと古かった扇風機の留め金が飛び、ものすごい音とともに派手に落ちてしまったのだ。結構な騒ぎになり、生徒指導部の職員が駆けつけて、「前に出てこい!」と怒鳴りつけるはめになった。実際にボールで遊んでいたのは数人だったにも関わらず、なぜか男子全員がぞろぞろと前に出てきた。
「こんなにたくさんの声はしなかったぞ! ふざけるな!」
それでも誰も動かない。結局みんな指導室に連れていかれることになり、担任である私も、もちろん後で呼び出されることになった。
 

 放課後の指導室で話を聞いて、全員が名乗り出た理由がようやく分かった。書道の授業が自習だと聞いたのでボールを持ち込んでチームを組み、交代でパスやリフティングをして得点を競っていた、というのだ。
「だから全員で前に出たのね。やっと分かった」
私がそう言うと、生徒指導部の主任をしている男性職員がじろっと私を睨んだ。何か、まずいことを言ったのだろうか。なんだか怒っているような気がするけれど。
「でも、どうしてわざわざ書道室でサッカーなんかしたの? 狭いのに」
取り繕うようにそう聞いたら、今度は彼らを怒鳴りつけた男性が眉を吊り上げた。
「狭いのに……?」
野太い声で私の言葉を繰り返す。おい、叱るところはそこじゃないだろう、と言わんばかりに。もっとまずかった、ようだ。
どうにも居心地の悪い空気が流れ始めた。誰も何も言わない。「普段甘やかすから、こんなことになるんだ」と言われている気がした。
その時、一人の生徒がたまりかねたように口を開いた。
「だって、先生、ひどいぜ。俺たちのクラス、三回連続で体育が潰れたんだから」
言っていることがよく分からず、私はその子の顔をまじまじと見た。この子は何を言おうとしているのだろう? もしかして、自習中にふざけて備品を壊してしまったことの弁明をしているのだろうか。でも、私ですら理解に苦しむその言い分が、ここで通用するとは思えない。よりにもよって、この恐ろしく気まずい状況の中で。
私の切ない苦悩をよそに、生徒たちは口々に訴え始めた。時間割変更とか、講演会とか、公休日とか、そういう事情が重なって、週に二回しかない体育の授業が三時間も潰された。一学期もそうだった。ひどすぎる……。一人が口火を切ったのを皮切りに、みんなが次々にまくしたててくる。今、体育ではサッカーをしていて、隣のクラスはトーナメントを組んで本格的な試合までしているそうだ。
「これって、差別じゃん?」
差別って言ったって……。 
「そんなにサッカーがしたいの?」
真顔で聞いた私の一言に、彼らは深く傷ついたようだった。この人、何も分かってない、と言わんばかりだ。その表情は、さっき私を睨んだ二人の男性教師とどこか似ている気がした。
「マジ、先生、おかしいんじゃん? やりたいに決まってるだろ。国語とか数学は毎日あるのに、なんでいつも体育だけ潰すわけ? 部活も引退したし、学校に来る唯一の楽しみなのに」
「ばか! 国語って言うな。先生がかわいそうだろ!」
「あ、違う。先生、ごめん。先生が嫌なんじゃなくて、俺、勉強できないから。ただ体育がしたいだけで。なんで俺たちのクラスだけなのかって、なんかイライラして」
言えば言うほど声が小さくなっていく。しゅんとしたその様子が、あっという間に他の子達にも伝染していった。さっきの勢いはどこにいったんだろう。みんな、こんなにうなだれて。
――高校3年生って……。まだ、子どもなんだ。
それは、今までに感じたことのない感情だった。本当に、私はこの子たちのことを何も分かっていなかったのかもしれない。世の中には、ただスポーツが好きな人だっている。純粋にボールを蹴って蹴って蹴って蹴って、そしてシュートを決める。同点。止まるな、走れ。あいつがいい所にいる。走れ走れ走れ走れ。パス。蹴ろ! 逆転! もっと試合がしたい。もっともっともっと、ずっと。その、週に二回だけの楽しみ。私がただ、目で活字を追うことに意識を吸い取られるように、一つのボールの行方に没頭する人だっているんだ。時間を忘れて。心を震わせるものが違うだけで、震わせたいと願う気持ちは変わらない。どうしてそんな単純なことに気づかなかったんだろう。気づかない、気づけない大人と毎日ずっと一緒にいる彼ら。それでも「私」を責めたような気になって、しゅんとして、おまけにこれから親にも連絡されて。
 

 「テストが終わったら、国語の時間を体育と交代できるか、頼んでみる?」
無意識に出てきた言葉だった。でもその一言で、みんなの表情が、がらっと変わった。嘘だろ? 声にならないざわめきが聞こえる。私と彼らの会話を目の前で(無言の圧力とともに)聞いている二人の男性は、学校でも存在感のある体育科の職員だ。普段なら声をかけるのさえためらってしまうような、自分とは何もかも違う人々。
「いいですか?」
私は主任にそう尋ねた。仏頂面で生徒にも職員にも無意識に気を遣わせてしまう根っからの体育教師は、もう一度、私のことをじろっと睨んだ。私は彼の目を真っすぐに見た。やがて、厳めしい顔に満更でもない表情が浮かび始めた。
「お願いできれば嬉しいです。今日のことはちゃんと反省させます。でも、体育もさせてあげたい。だってこんなに好きなんだから」
指導室で見た時とは打って変わって、生徒たちはものすごく元気に帰っていった。歌まで歌っている。意外にあっさりと、主任が授業を交代すると言ってくれたからだ。
「こいつらは一時間じゃ足りないよ。また、何も考えないで扇風機を壊しても仕方がないし、先生がよかったら二時間くらいさせたら? けっこう上手い奴らだから、先生も一緒に見たらいいよ」
 

 その後の5日間、特別指導を受けることになった生徒たちは、草むしりやゴミ拾いといった奉仕作業に、朝早くからわいわいと仲良く取り組んでいた。抜かなくてもいい庭園の草まで抜いて、また怒鳴られていたけれど、怒鳴っている方も怒鳴られている方も、なんだか楽しそうだった。そのうち、山のような書類の処理や鳴り止まない電話に疲弊しきっていた教頭が、生徒たちと一緒に草をむしるようになった。
 怒鳴りながらも早朝から生徒の面倒を見てくれている男性職員が、
「教頭、暇なんですか? それとも老化防止ですか?」
と茶々を入れる。
「何とでも言え。お前が代わりに教頭席に座ってこい。何ならずっとそこにいてもいいぞ」
教頭も負けていない。二人の会話を聞いている生徒たちが笑い出す。クラスの女の子たちが放課後のゴミ拾いを手伝い始める。反省日誌はどれもこれも、しおらしい言葉とともに、大げさすぎる表現で私への感謝が書かれていた。
 その出来事の後、今まですれ違って挨拶をしても会釈を返す程度だったその二人の体育教師が、何かと私に声をかけてくるようになった。何気ない会話が冗談に繋がり、急に飛び出た意味のないダジャレに素直にあきれると、静かな職員室で笑い声が響いた。明らかに共通点の少ない、多くの場合においてかみ合わない私たちの会話に、気がつけば何人もの人が加わっている。
 
 何が人の琴線に触れるのか分からない。
 
 それが、私にとっての「学校」という職場だった。世の中には本当にいろんな人がいるのだ。自分と同じ感覚を持つ人を探すことの方が難しいのかもしれない。でも、その違いを違いのままで受け入れることを自分に許せば、足元の土壌が豊かになるような実感があった。学校という場所は、そのことを日々私に教えてくれる所だった。
 


 生徒たちと過ごす毎日も同僚との関係も、上手くいくこともあればいかないこともあった。でも、どんなに「くそったれ」な人間関係の中で、どんなに自分が「くそったれ」にしかなりようがない時でも、とにかく仕事に通うようにした。私にとってこの場所以上に人と自分の愛し方を教えてくれる所はない。多分、どこにも。なぜかそのことだけには確信があったから。
 


 そして1年に1度、私はマダムに手紙を書いた。取り繕うことはせず、その時に感じていることを正直に書き続けた。自信がない時には自信がないと書き、感情が嵐のように吹き抜けて苦しい時には、素直にその気持ちを書いた。
 マダムも毎回返事をくれた。手紙を出してから2カ月か3カ月の間をおいて、薄い封筒が届く。そこには美しく簡潔な言葉が、分かりやすい英語で綴られていた。
 マダムは私の感情を否定も肯定もせず、私が感じていたことを、彼女なりの言葉に置き換えて表現していた。「あなたはこのように感じたのね」といった具合に。でも美しいアルファベットを追っているうちに、なぜか私の心はいつも自然に落ち着きを取り戻していった。心の深いレベルで、彼女は私の思いにただ共感してくれていた。そのことが何よりも深く私を癒した。
 

 教員になって15年が過ぎた頃、私はマダムの言っていた「放たれた意識が波動になり、現実になる」ということを、肌で理解できるようになった気がした。どんなに無言で空気の重たい教室でも、自分の感情が軽やかならそこは自然と心地よい静寂の場になった。時には何気ない笑いさえ出てくる。その笑いに誘われて、熟睡していたはずの生徒が不思議と目を覚ますこともあった。
 結局のところ過去に起こったいろんなことも、私の意識がミラーリングのように反射していただけなのかもしれない。そう思えるようになってきたことが、一つの転機になった。自分が発する空気感やエネルギーに気を遣うようになってから、私はそれまでよりも楽に人と接することができるようになった。夫に対しても娘たちに対しても、言葉以上に自分の意識に注意を払うようになった。何を伝えるにも、まず意識にその思いを乗せるようにしてみたのだ。すると、お互いの激しい感情の波や強ばった価値観が、少しずつやわらかに変化していくのが分かった。その変化を逃したくなかった。私はマダムの言葉を思い出しながら、まずは自分の感情を満たすことを優先するようになった。その感覚を下地にして、自分以外の人との会話や関係にゆっくりと入っていく。そうすると、不思議なくらい物事がスムーズに運んだ。上手くいかない場合でも、その場しのぎの言葉ではなく、素直に謝れるようになった。そしてその後は必要以上に自分を責めず、翌日には自然に相手に声をかけた。
 マダムが言っていたことを、体感として理解できた気がした。ずっと背負い続けてきた重い荷物をやっと下ろせたような、すごく身軽な感覚。何もかもが楽になっていく。日常のすべてが、線で繋がり始める。
 

 掴んだ、かもしれない。何かの拍子に、ふと、そう思った。やっと……。
 

 でも、その幸福はそんなに長くは続かなかった。長い時間をかけてやっと掴んだはずの、そのささやかな悟りは、突如として現れた大きな渦にのみ込まれ、瞬く間に消え去ってしまった。
所詮はその程度だね、偽善者ぶったところで。
 そう見透かされていたのだろうか。いずれにせよ気がついた時、私の目の前に横たわっていたのは、混沌としたカオスのような「現実」だった。それも、信じがたい。
それまでに、聞いたことさえなかった言葉。「パンデミック」が始まったのだ。
 
 

 教室にも廊下にもグラウンドにも体育館にも、誰一人いなかった。
 毎日あんなにたくさん、「当たり前にいた」はずの高校生が、本当にただの一人もいない。
 学校から子どもたちが姿を消した。ほんの少しの前触れとともに、あっという間に。瞬きすらする間もなく。
 

 4月の学校は、入学式や始業式に向けた慌ただしい空気に満ちている。去っていった生徒や同僚への思い。初めて会う新しい職員への気遣い。変わらない職員室で、いつの間にか席に並ぶ顔ぶれだけが入れ替わっている。それでも、否応なく差し迫ってくる新学期。
 

 でもその年の4月は、そんな違和感とは比較にならない戸惑いに満ちていた。
 

 誰もが何らかの「決定」を待っていた。
 誰もが「素顔」を見せることができなかった。
そして当たり障りのない会話を続けながら、心の中では本当は誰もが恐れていた。
 自分の、家族の、そして生徒の「命」が脅かされている、目の前の現実を。


 まさか、という言葉とともに不意に閉じてしまった、この世界を。
 
 
 2020年から21年にかけての1年は、私にとっては生涯忘れることのできない一年になった。
 その年、私は既に経験値のある1人の教員として、ある程度の責任を負わなければならなかった。繰り返し続く休校と学校再開。共通テストの導入。初めて経験するオンライン授業にオンライン入試。9月入学という話題すら飛び交い、騒乱が日常になっていた。対応に次ぐ対応に追われる毎日の中、娘たち2人もそれぞれに大学受験、高校受験を控えた1年だった。世界中がそうであったように、私の生活もまた、混乱する世の中を手探りで歩く日々が続いた。
 でも私にとってその1年は、それまで生きてきた中でも最も心穏やかな1年だった。不思議なことにその混乱に満ちた世界が、私の中の無駄な感情の一切を削ぎ落してくれた。私は自然に家族を愛し、自然に人を思いやることができた。何に対しても自分を責めることもなかった。あまりにも状況が特殊すぎて、責めるという意識すら消え失せていた。毎日目の前のことにだけ意識を集中させていた。本当に忙しかったけれど、心は平和で穏やかだった。何が起こっても、必ず誰かが助けてくれた。同僚たちと、たくさん笑ったような気がする。

 
 いつの間にか1年が経ち、気がつけば2年が過ぎていた。その間、「高校生」という存在に、何度心を打たれただろう。
 こんなにも厳しい状況で、子どもたちは時に強く特に脆く、でも純粋に人との繋がりを求め、日々激しく変わり続ける世の中で、誰もが自分なりに精一杯生きようとしていた。もちろん学校や家族の存在もあったし、綺麗ごとだけでは済まない部分もあった。でも少なくとも、私の目の前の高校生たちは誰も心を腐らせなかった。実に見事に、そして逞しく、生き続けてくれた。
 この子たちを守らない大人にだけは、絶対になりなくない。私ですらそんな思いがほとばしるほど、この国には宝があふれていたのだ。

 

 ――時間が、速くなっている……?
 ある日ふと、そのことに気づいた。特殊だった状況もいつしか特殊ではなくなり、いろんなことが元に戻りつつあるかに見えた。これまでのように、時計もカレンダーもちゃんと目の前にある。一見すると何も変わっていない。
 でも、確かに速いのだ。正確に言えば、時間の流れが一定ではないような気がした。周りの同僚の多くが一様に疲れていた。誰もが仕事をこなすことで精いっぱいの毎日。会話をしているはずなのに、相手の心にまでは届いていないような違和感。
 それにも増して異様に感じたのは、日本でも世界でも、あり得ないはずのことが次々に起こり続けるようになったことだった。本当に、立て続けに。天災も人災も、百年分くらいのものが一気に押し寄せている気がした。それに、その起こり方も不自然だった。大切なことから目を逸らさせるために、誰かが意図的に「起こして」いるような、そんな感覚を抱かずにはいられなかった。
 まるで、何かのバーチャルリアリティの映画を3倍速で観ているようだった。知らない間に時間も次元も違う世界に迷い込んだような、そんな浮遊感。それは、私にとっては体感を伴った確かな感覚だった。時間の流れが変わり、目には見えない何かもまた、大きく変わっている。何かが、違う。
 
 

 それからしばらくして、私は誰かに呼ばれるように、ある神社の裏手にある小高い丘に通うようになった。自宅から10分ほどで行ける、地域で慕われてきた小さな神社だ。
 夜明け前、まだ暗い神社の境内を抜けて鳥居をくぐり、その丘を登る。よく手入れされた敷地内には夜通し灯りも灯っていて、そんなに恐いとは思わなかった。なぜそんな気持ちになったのか、自分でもよく分からない。私は特に宗教に携わっているわけでもないし、その神社にも新年や娘たちの七五三で訪れたり、飼っている犬と時々散歩をするくらいだった。でもその時は、そこに行かなければならない気がした。夜明け前に毎日出かける私のことを最初は心配していた夫も、しばらくすると好きなようにさせてくれた。
 

 同じ頃、不思議な夢も見るようになっていた。
 

 夢の中で、私はどこまでも続く草原に立っている。腰をかがめて地面に顔を近づけた私は、大地を覆う一面の緑のすべてが四つ葉のクローバーの群生だと気づき、思わず胸を高ぶらせる。澄み渡る空。頬にそよぐ風。微かに揺れる無数のクローバー。瑞々しいその風景に半ば無意識に溶け込んでいた私は、しばらくして少し先の辺りの一部が仄かに光っていることに気づく。不思議に思って歩いていくと、やがて目の前に小さな緑色の板が現れる。光はその板から放たれていたのだと知った私は、自然とその板に手を伸ばす。表面に彫られた、見たことのない不思議な文字。その時、どこからともなく声が聞こえてくる。

「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」
 
 私ははっとして辺りを見回す。そこでいつも目が覚める。
 

 その神社の小さな丘に1カ月ほど通い、私は手を合わせてしばらく座っていた。人にどう思われるか、といった心配も不思議と抱かなかった。梅雨時で雨が降っていることも多かったが、濡れることも気にならなかった。傘をさしたまま、激しい雨の中でも手を合わせて座っている奇妙な女性を、心優しい神主の方はそっとしておいてくれた。そのおかげもあって、私は気の済むまで自分を洗い流すことに没頭し続けていた。
 夢の中の草原に置かれていた緑色の板が、マダムが教えてくれた「エメラルドタブレット」なのだということには、気づいていた。でも、今になってどうしてその古い記憶が、不思議な形で何度も夢に出てくるんだろう?
 

 ……すべての願いを叶え、望む現実を創造するための真実……錬金術に必要とされる「賢者の石」は、実は形ある物質を指しているのではない。それはあなたの「意識」を指しているの……心に抱いた意識があなたの放つ波動に転写され、その波動があなたの現実に反映される……
 

 耳元でマダムの言葉が響いていた。木魂のように。
 私の、今の意識……。私の、今の現実……。
 

 そしてある時、それは起こった。
 心の奥深くで、からまった紐がほどけ始める。
 耳元で水門が開く音がした。
 めくるめく感情があふれ出る。
 なぜか、涙が流れた。たくさんの涙が、とめどなく。
 

 心から思った。
 あれだけの痛みを目にしてもなお、私はまだ、こうして存在している。しっかりと、大地に立って。
 生き続ける人々。この世を去ってしまった人々。
 なんて愛おしいんだろう。なんて大切なんだろう。
 この世界は。そこに生きるすべての人々は。去っていった友人は。命を落とした家族は。
 「私」という存在は。

 
 そして、「あなた」という存在は。
 
 
 その意識に辿り着けたことが、私にとっての何にも代えがたい奇跡となった。
 なぜなら、私は今、やっと「あなた」に辿り着くことができたからだ。
 あなたがこの物語に寄り添ってきてくれたことで、私は「あなた」に今、ようやく真実を伝えることができる。
 

 「エメラルドタブレット」に記された言葉は、比喩でも象徴でもない。あの言葉は、実はあなたの隠された神性を表している。あなたに宿る無限の力を記した、真実を告げる言葉なのだ。
 「エメラルドタブレット」は、この地上のどこを探しても見つかることはない。あなたもまた、それを実際に目で見ることはできない。その理由は、あのタブレットがあなたの胸の中に存在するからだ。そう言ったら、あなたは私のその言葉を信じてくれるだろうか。つまり、あなたの「ハート」そのものが伝説の「エメラルドタブレット」なのだと。
 最後の夜、マダムがそれを教えてくれた。
「それはあなたの胸の中にある。あなたの心が完全に愛で満たされた時、タブレットが燦然としたエメラルドの光を放つ。その純粋な愛の意識の中で思い描いたすべての望みは、あなたの波動に転写され、あなたの意図は何の抵抗も受けずに、真っすぐに天に届く。そして時を待たずして、地上に顕現する」と。
 

 目には見えない7つのチャクラを、あなたが深い自己愛とともに意識し始めると、あなたは次第に、その存在の確かさを実感するようになるだろう。あなたの心と体を繋ぐチャクラが車輪のようにゆっくりと回転し、今までに感じたことのないエネルギーが次第に活性化し始める。深い呼吸を繰り返すことで、感情が美しく整えられ、健康が徐々に回復の兆しを見せ始める。そして、何か新しいことを始めてみたいという創造性が芽生えてくる。
 心と体、魂を統合する橋渡しとなる七つのチャクラ。第4のチャクラ、別名ハートチャクラは、私たちの肉体のちょうど中央、天と地を繋ぐあなたの中心にある。そして美しい緑、エメラルドの光を放っている。心臓はただの臓器ではない。それは、あなたが天(未来)に描いたものを、地(現在)に顕現させる力を宿す、あなたの神性の器であり、象徴なのだ。
 

 私がここであなたに伝えていることをどう受けとめるのか、私はそのすべてをあなたに託したい。あなた自身の直感と感性を大切に、自由に判断してほしい。
 ただ、私はそれを伝える役割を授かった。古(いにしえ)から連綿と伝えられてきた「意識が波動となって、現実を創造する」というこの世の真理が、より大らかに受け入れられ、そしてより切実に求められる時代が来る。その時に向けて準備をする時間を、私はあの旅で与えられた。それは私だけに留まらない。この世界の実に多くの場所で、意識的に、あるいは無意識に、来るべき「時」に向けて多くの人が準備をしてきたのだ。
 

 何ら特筆すべきものを持っていなかったはずの私が、マダムに、そしてマダムを支えていた大いなる存在に見出された理由も、今なら理解できる。それは、「目には見えない真実を、どうすれば多くの人の心に響く形で伝えられるか」という問いに対する一つの答えだった。
 「エメラルドタブレット」に秘められた力を発動させるためには、自分で自分に神性が宿っていることを、確かな思いとともに信じることが必要とされる。「自分には無限の価値も力もある」と信じきるためには、私たちの無意識の領域(潜在意識)に刷り込まれてきた、あらゆるネガティブな自己認識を洗い落とさなければならない。
 マダムは、それが最も難しいと思える私を選んだ。マダムとの出会いも含めたすべてのことを、私が身をもって体験する。日本という古い価値観が偏在する国に根を下して、様々な失敗や葛藤にもがきながらも、最後には「愛そのもの」に辿り着く。それが、マダムの意図したことだった。私にそれができるのなら、それは「あなた」にも必ずできることだから、と。
 

 私があなたに伝えていることは、一部の宗教の教えでもなければ、科学とは無縁の夢物語の話でもない。量子力学や素粒子物理学の目覚ましい進化があり、今では多くの人がエネルギーや波動について語るようになってきた。スピリチュアルの分野でも、たくさんの人が声を上げている。「引き寄せの法則」は、馴染み深い言葉になって久しい。マダムが私に伝えたことは、私にとっては信じるに足るこの世の摂理だった。だから私は彼女の思いに応えるために、マダムから預かったメッセージをあなたができるだけ抵抗なく受け入れてくれることを願い、自分自身について正直に語ることを選んだ。
 私たちの魂は既に知っている。一人ひとりに宿る神性のことを。自分には無限の可能性があることを。私たちの誰もが、心の奥底では本当は気づいている。自分の究極の願いが、人間関係も健康もお金も、すべてが限りない豊かさに満たされた日々の中で、もう何も思い煩うことなく、ただ「愛」のままで生きたいのだと。そしてこの星に住む誰もが、そのすべてを手にできるだけの資源も可能性も権利も、本当は既に与えられていたはずなのだ。
ずっと遠い昔、長い長い時間のとばりの向こうの、この美しい惑星で。
 

 あなたの心がこの物語に共鳴したのだとしたら、古いしがらみや歴史、価値観によって植えつけられた「自分」を縁取るすべてのフレームを手放し、クリアな意識で「あなた」を再度見つめてあげてほしい。本当に価値ある存在として感じ、信じ、そして心から愛してほしい。
 その上であなたの望むすべての願いを、世界に向けて放ってみてほしい。
 時間の速度が加速し、今まで疑いもなく信じてきた「現実」と、あなたが辿り着きたい「未来=真の現実」を隔てるベールが、今、限りなく薄くなってきている。報道されている「あり得ない現実」は恐怖を抱かせるものも多いかもしれないが、信じられないほどの幸福に満ちた「あり得ない現実」もまた、すぐそこにある。
 
「あなた」には、それを手にする価値がある。そして、力がある。
 
「あなた」の胸の中に確かに存在する美しい「エメラルドタブレット」は、あなたの至福の人生を現実化するために輝くことを、ずっと待ち続けているのだ。
 
 

~第4チャクラ・ハートチャクラ~ 


 
・チャクラ名……ハートチャクラ(心臓チャクラ)
・サンスクリット語……アナハータ(衝突のない)
・色……緑
・関係する体の部位……心臓・循環器・肺・胸郭等
 
 
 第4チャクラの象徴はハートです。
 このチャクラはあなたの胸の中央辺りにあり、私たちの物質世界と精神世界を繋ぐ橋のような役割を担っています。そして、愛情や思いやり、友情、温かさ、共感などを育む大切なエネルギー場でもあります。第3チャクラでは「自己」がテーマでしたが、この第4チャクラでは、自己受容に加えて他者の受容も大切なテーマとなります。第4チャクラが適切な開き方をすることで、下部のチャクラで整えられてきた自己愛を基盤に、他者への愛が育まれると言ってもいいでしょう。他者との関係や、いかに愛をもって自分以外の他者と接することができるかは、豊かな人生を送る上での重要な鍵となりますが、そのためには、まず自分を受け入れ、愛することが必要です。私は、「自分を心から受け入れ、無条件に愛する」ことができるようになるまで、50年近くもかかりました。私にはその価値があると100パーセント断言できなかったことが、その一番の理由です。言い換えれば、私は自分自身を無条件に愛せるようになって初めて、「無条件の愛」の本質を知ったとも言えます。 
 あなたはどうでしょう? 
 小さな神社の裏手の丘でそのことに気づいた瞬間は、生まれて初めて、心と魂のすべてが幸福感に満たされたひと時でもありました。それは同時に、たとえ結婚しても、子どもに恵まれても、自分自身を愛することができなければ、相手が求める形での愛を抱くことは叶わないのだと、そう知った日でもありました。

 
 ハートチャクラのバランスを整えることは、愛を体感する上でとても大切です。自分を愛するのと同じように自分にとって大切な人を愛し、自分を大切にするのと同じようにその相手を大切にすると、自然と思いやりやサポートが望む形で得られ、人生が好転します。その感覚が分かるようになった時が、ハートチャクラの別名「エメラルドタブレット」を起動させる大きなチャンスです。
 夢の中で伝説の「エメラルドタブレット」を見つけたという点でも、実は、意識を現実化させる鍵は、私自身の心の中にあったのだと実感しました。
 ですから、心臓の鼓動や胸の辺りの状態に注意を払うことは、とても大切です。いつも自分の心を外面、内面の両方から見つめ、その変化に敏感に気づけるよう、意識することから始めてみてはどうでしょう?
 

 心臓の辺りに手をあててみて下さい。
 そして、最近あった嫌な出来事を思い出してみてください。もちろん、過去を遡ってもかまいません。
 その時、特に胸の辺りにどんな感覚が蘇りますか?
 ドキドキする。動悸がする。悲しい。重い感じがする。痛い。塞いだ感じがする。
 こうした「心地のよくない」感覚が、ハートチャクラのバランスが整っていない、あるいは閉じている感覚です。原因は今の人間関係かもしれないし、過去のトラウマかもしれない。様々な心配事に端を発しているかもしれません。
 その要因を無理に解決しようとする前に、こうした感覚に敏感になり、その都度ケアしていく習慣を身につけることが大切です。
まずは、自分を安心させてあげること。
 深く呼吸をして心臓が正常な速度で動くようになるまで、ゆっくりと呼吸を続けて下さい。あまり思い悩むことだけに時間を費やさず、落ち着いて「自分はこの状況のケアを受けるに値する大切な存在である。必ず必要なサポートが受け取れる」という意識を定着させてから、信頼できる人に相談したり、解決方法について調べたりしましょう。そして、ゆっくりと休息を取るようにもしましょう。特に睡眠は大切です。心配事で眠れない場合にも、自分に負荷をかけすぎずに、目を閉じてこう考えてみてください。
 「問題を抱えていることは、決して恥ずかしいことではないし、生きていれば誰にでも起こりうること」なのだと。むしろあなたは今まで一生懸命に生きすぎて、家族や周囲のことを優先し、自分を労わる時間や心の余裕さえなかったのかもしれない。だからその状況は、あなたの心や体が全身であなたに助けを求めているのかもしれません。私たちの人生に起こる「問題」は、ある意味でそのことを気づかせてくれるきっかけにもなり得ます。あなたが助けに値しないことなんて、絶対にありません。綺麗ごとを言っているのではありません。これまでお話ししてきたように、私はたくさんの「恥」を経験しました。今でも課題のすべてが解決したわけではありません。でも、「自分はこの状況から救われるに値する」と信じられた時、いつも何かが動いた。だから、あなたにもそのことを伝えたい。あなたの意識があなたの状況を変えるのです。
 

 ハートチャクラを整える際には、このチャクラに関わりの深いアロマ(ローズ・ベルガモット・メリッサ)や、パワーストーン(ローズクォーツ・ヒスイ・エメラルド)を身近に置くことも効果的です。
 

 自分を気遣い大切にする習慣を身につけていくことで、愛情あふれる豊かな人生を手にすること。あなたが愛と幸せに浸りながら生きていくこと。それがマダムとマダムを支え続けた存在たちの、心からの願いなのです。



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