ハウリング・オヴ・デーモン 2

 煉瓦を模した乾式タイルで覆われた建物だった。階数はそれ程ではないが、そこそこの家賃はするのだろう、所々に真鍮で装飾が入っていて、出入口はガラスの自動扉だ。

「SITが突入して何分になりますか?」
 憂日がちらりと白いバンに視線を走らせる。
 一人黒いボディスーツを着用していた男が顔を上げた。彼の名前も知っている。警視庁刑事部捜査第一課SITの隊長・橘旭(たちばな あさひ)だ。
「一部隊五人、三〇分前に突入した……応答は二〇分前からない」
「了解しました」

 憂日はショルダーホルスターからCZ75前期型を抜くと、もう片方の手で脇差も逆手に取った。
 ぎらり、と脇差の刀身が激しい太陽光に目覚めたかのように瞬く。
「一人で行くのか?」
 乃木警部が口を大きく開けた。大部隊を編成しようと手配していたのだろう。
「中の凶人は恐らく少ない。むしろ大人数だと人外の動きに翻弄されます。やってみますよ……あ」
 と憂日は顔を上げた。覆面パトカーに装備されている液晶ディスプレイに思い至る。
「ボディ・カメラを下さい。後、無線を入れます」
「わかった」乃木警部はすぐに用意する。
 二つの意味がある。

 それでなくとも忌避される特務処理係故に、命令に従うポーズを取り、現場指揮官と友好関係を築く必要があった。
 後は、彼が力及ばなかった場合に残す映像情報だ。
 憂日は胸にカメラを取り付けると、携帯端末の無線アプリを起動して、頭の骨伝導イヤホンとマイクのズレを直した。

「んじゃ、今度こそ行ってきます」
 憂日は捜査一課の刑事達に軽く手を振ると、脇差を逆手に持った左腕を曲げて切っ先を前に向け、その腕に乗せるように拳銃を握った右腕を構えた。
 するり、と彼の左のこめかみに汗が流れたが、今は気にしていられない。
 憂日は慎重な足取りでマンションの前に立つ。
 ゆっくりと自動扉が開いた。

「うっわー」引く、エントランスも酷いことになっていた。

 床や壁、天井に赤い鮮血が飛び散っていて、まるで忘れやすいハンドバッグでも落としたかのように、腕や脚、臓器、人間の一部分が転がっている。
 憂日は警戒しながら進んだ。
 目標が契約したのは一〇階の部屋だ。
 この有様ならそこにいないかも知れないが、人質の女の子……町田ののかちゃんが気になる。「こんなに大暴れしたんなら、九歳の女の子は連れていられないよね」
 エレベーターの前までたどり着き、考える。
 問題なくエレベーターは機能しているが、使うべきなのか。
 待ち伏せなんて大嫌いだ。
 次の瞬間振り返った。
 階段を背に、男が立っていた。
 タブレットの画面で見た、明るい茶髪のイケメン。
 
 北村秀一だ。

 憂日は躊躇わず引き金を引いた。一回、二回。
「けけけっ」
 北村は高い声で笑うと、銃撃にも怯えず、彼に何かを投げつけて階段の上へと跳びはねる。
 北村が投げつけた丸い何かを、憂日は辛うじてかわす。
「けけけけ」北村の声が上階で響く。
「素早いな」
 憂日は体勢を整えつつ呟く。
 確実に狙いは定めていた。なのに避けられた。銃弾より早く動く。明らかに人間の動きではない。
「凶人は凶人かー」
 振り返り、息を呑む。
 投げつけて来た何かを確認したのだ。

 頭だった。

 人間の、大人の男の、首から上。
 透明バイザー付きの黒いヘルメットに覆われているから、恐らくSIT隊員だろう。
『……安斉』
 今まで無言だった無線に声が流れる。橘がボディ・カメラから部下の顔を確認したようだ。
 ──SITじゃ無理だよなぁ。

 凶人はそもそも動きが人間の『それ』ではない。
 世の特殊部隊は『人間』の動きを看破するように訓練する。だが、そもそも人外相手の訓練ではないし、凶人には人体の理屈も通じない。
 憂日は素早く安斉隊員の首の状態を確かめる。刃物で切られたのではない。ねじ切られたのだ。
 戦闘訓練をした大の大人の首を力でねじ切る……。

「ね、化け物でしょ?」憂日は先程、彼を送ってくれた武藤刑事を思い浮かべて零した。
 軽く頭を振った憂日は、脇差とCZを構え直し、北村が上がった階段へと向かった。
 まだ昼間だからか、階段の電灯は消えていた。
 闇の中に迷い込む不安を覚える。
 憂日は余計な考えを押し殺し、銃口と切っ先を前方へと向けつつ、階段を上ろうとする。
「けけけけ!」
 不意に北村が再び階段の上に現れ、憂日は拳銃を撃つ。
 三発。だがそれらは北村が蹴り落とした大きな物体に当たるだけだった。
「ああっ、もう!」
 憂日は背中を真横の階段の壁に勢いよくぶつけ、大きな塊をやりすごした。
『うっ』
 無線の先でまた誰かが呻いている。

 今度は身体だった。

 大きな男の肉体……首がない、安斉隊員だろう。

 どうやら北村は『立てこもって』いるのではないようだ。『待ちかまえて』いたのだ。

 ──意外に手こずるな……。

 引き裂かれて穴が開いた安斉隊員のボディ・スーツを眺めながら、憂日は自嘲する。

 ──伊伏さんを待てばよかった。

 ここで彼は決断する。
 脇差とCZの構えを解き、階段から出てエレベーターへと歩む。
『どうする気だ?』乃木警部が尋ねてくるから、容易く答える。
「エレベーターで一〇階に行きます」
『しかし、北村が待ちかまえている可能性がある』
「どっちにしろ、一〇階まであの要領で階段を使うのは無理がありますよ……人質が生きているとしたら北村の部屋です。人質を助けられたらみんなで突撃して撃ちまくればいいんです」
『なるほど……了解した』
 憂日は回答を待たずエレベーターに乗り込み、一〇階のボタンを押す。
 どうやらここだけは戦場になっていないようだ。エレベーターの中は場違いに明るく、清潔だった。
 間をおかず、エレベーターは一〇階に到着し、ちん、と鳴って扉が開いた。

 憂日は再び脇差と拳銃を前方に向ける。
 一〇階の廊下の床には赤いカーペットが敷かれていた。
 オーナーは大損害のはずだ。
 床の上には何体もの死体が転がり、ぶちまけられている暗い赤色の液体が、カーペットをも台無しにしている。

 ──確か103号……。

 だがたどり着けなかった。
 廊下の端に北村が姿を現したのだ。
「エレベーターより速いとかっ!」
 憂日はCZ75を撃つ。
 九ミリの弾丸なら、元気な北村君も多少活き悪く出来るはずだ……ノックアウトなら最高だが。
 だが北村は廊下の天井付近の壁を、左に右と横にバウンドして、憂日の射撃をかわした。
「けけけけっ」
「くそっ!」憂日は吐き捨てた。

 拳銃は実はそれほど命中率は高くない。特に動いている物体に当てるのは難しい。
「けけけけけけけけっ」
 一度もカーペットの床に降りず、北村は壁を左右に蹴り移りながら急接近して来た。
「けけけけっ」
 さらに四発憂日は撃った。
 それらは全て外れ、北村が天井から憂日を急襲する。
「残念だねっ!」
 憂日は瞬間、左手の脇差を振るう。確かな肉の手応えが伝わった。
 こんな場面を想定して、彼は軍用ナイフより長い脇差を装備しているのだ。

「ぎゃー!」

 北村の右手が吹き飛び、彼は床に落ちる。次の瞬間その体に憂日は銃撃した。
 三発分の穴が開き血が飛び散り、「ぐぎゃぁぁ」と北村は手近な102号の扉をばっと開いて、盾にする。
「邪魔っ!」
 憂日が構わず発砲すると、北村はその部屋の中に入り扉をがしゃんと閉める。
 はあはあ、と憂日は荒い息をつく。
 致命傷は与えたが、絶命させるまで気を抜くつもりはない。
 もう一五発撃っている為に、彼は脇差を鞘に戻して、ベルトに下がるポーチからマガジンを取り替える。
 空いた手でドアノブを掴むと、一気に扉を開いた。
 金属製の扉は重かったが、顔をしかめるている暇もない。
「げっけけけけげっ!」 
 案の定、傷を負った北村は三和土の少し先にいて、扉を開いた瞬間に飛びかかって来た。
 思い切りドアを閉める。

 がつんと重い音が鳴り、スチールの扉が微かに震えた。
 憂日は再び勢いよく開き、全身を打って玄関に伏せている北村の頭部めがけて発砲した。
 教科書通りのダブルタップで頭に二発。
 北村の体は、糸が切れた人形のようにべしゃりと崩れた。  
 まだ油断をしない。止めにもう一発の弾丸を後頭部にたたき込む。
 銃口を頭部に向けたまま、北村の身体を足先で蹴る。
 周囲の音が突然止んだ。
 ボディ・カメラで状況を見ている刑事達も息を呑んでいるのだろう、無線からも何も言ってこない。
 異世界から帰還したかのような昼時の倦怠が、辺りに戻って来ていた。
 遠い蝉の声を聞きながら、憂日は油断なく北村の首筋の脈を測る。
 ぴくりとも反応しない。
「……処理完了」
 大量の息を吐きながら、憂日が報告する。
 無線の先から歓声のような声が上がった。
 憂日はまだCZを北村へ当てながら、自分の蒸れた髪をかき上げる。どこからか吹いた風が頭の汗を冷やしてくれた。
 

#創作大賞2024 #漫画原作部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?