攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間を視聴した感想
先ほどアマプラレンタルで視聴した。
余りにも頭痛が酷くて寝込んだため感想を書くのが遅延してしまったが、感想を述べたい。
ざっくり述べれば、テロリストと思われた”ポストヒューマン”が、「社会の摩擦係数をゼロ化するためのそれぞれ別個の幻想を全ての民に見せつつ、それを織り交ぜた現実に綺麗に着地させる」という力押しを働いた話だ。
瞬間的にマトリックスのようなシーンが出てきたりもした。
江崎は可愛かったけど、何か演出にもう少しシネマ感のある重みをつけてあげた方が良かったんじゃないかな?
アメリカの特殊部隊の(光学迷彩使ってた)連中のフォルム、アップルシードのブリアレオスのフォルムに続いていく感じがして良かった。
作戦の終盤、結局主人公は上の摩擦係数をゼロ化する方法を否定しなかった。
ポストヒューマンの人類に対する提案はとても合理的で誰も不快にならない・安心できる良い考えだし、視聴していた私自身も大昔に似たようなやり方を考えた事がある。
「全ての人間に現実に着地させることを前提として納得のいく幻想を見せる」まあこれが全て上手くいくかといえば、人間には各自のエゴが存在する以上中々難しいと思うけれど。
ただ、あまり納得いかなかったのは、今回のシリーズでも昔の他のものと同様、主人公が気づかないうちに鬱に陥ってしまい、ネットの海で行方不明になる選択肢を選んでしまった事だ。
思考形式が殆ど同様なので気持ちはわかるものの、見ている側としては話が変わってくる。
可愛らしいタチコマや愛想はないがバトーやボーマなどの情深い仲間、毎度ヒロイン枠に入ってしまう可哀想なトグサ他の面々を置いて、コマンダーの役割を置いて自己の所在を探求しに出て行ってしまう辺りが共感と理解と…
というより、「他のシリーズでもその選択肢に至ってるんだから、あの回に関してはあれ以降イノセンスでもバトー達を助けに来たわけだし、自分一人ゴリ押しで一時的な長期休暇期間を作った」って事で、今回までそういう孤独の境地に赴く必要はなかったんじゃないの?っていう。
でも24時間365日縛られる環境で自己の所在を探求できない環境から抜け出したくて、居ても立っても居られなくなる気持ちもわかってしまうから頭を抱える。
精神的なショックを受けるとかそういうのではなく、自分を構成する要素を疑う点に都度都度ぶち当たって、論理回路で徐々に積み重なっていくタイプの鬱の出方だからわかりづらいんだよな。同じ思考回路の基盤を持ってる人間でないと彼女が鬱に陥ってる事を判別するのは難しい気がする。
探求の足を止めない癖があるから、本人ですら学習過程にあるのと鬱である事の境目が曖昧で、メンタルによほど来てようやく「これ鬱だったのか」とやっと自覚出来るくらいだ。同じ思考タイプで更に悪化したパターンではセフィロスが良い例だろう。彼は諸々に気づかず、最悪の道を選ぶ以外なくなってしまった。
ずっと見てるとわかる方もいるという事で少し安心したけれど、主人公のメンタルがワンチャンヤバいのは、攻殻の全シリーズで一貫して、初見ではマジでわかりづらいと思う。
理想のエンディングがあったとすれば、「期間未指定で休暇を取らせてもらうわ」これだった。
パーソナリティタイプ(どころかセクシュアリティの傾向までもが)が同じなせいで、「これ表情にも出してないし本人も自覚してないけど犯人に言われて今グサッときてるというかマジで言っちゃダメなやつだよ、脚本家ひでえな」とハラハラして視聴してる事が多い。
「お前とAIの何が違うのか」「私(ポストヒューマン他アンドロイド)とあなたはよく似ている」系はいかんよ。鬱の入り口だから。
何も所有させてもらえない境遇の人間に、唯一の持ち物である自我を疑わせるような事だけは言っちゃいかん。
有機体の先天的なデバイスで生きている私ですら「己の所在について」なんて、この世からのログアウトを考えるレベルで思考の地獄を歩んでいるのに。脳以外何も持っていない彼女にそれはキツすぎる。
・攻殻機動隊の世界では「魂/自我」が現象・物理的なものとして解明されている?電脳技術に於ける「ゴースト」の概念
まあ既に現実「脳の情報統合現象が自我なのではないか?」という仮説が実験の結果から有力視ところまで解明が進んでいるわけで。
スピリチュアルな分野ではなく、この世界の時代にはもう自我や魂は取り扱う事の可能な物理的現象として扱われているのが面白い。
見てきてて今更思ってる事だけど。