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愛することよりも愛される勇気が大切

梅雨と夏が重なり合う季節ですね。

今回は私の恋愛感について、スラスラと語りたいと思います。どうかお付き合いいただければと思います。


好きなタイプ

私の好きなタイプは決まっていて、『ご両親、ご家族を大切にしてる人

これは私の家族がとても仲がいいからていうのがいちばんの理由。仲がいいというかみんながみんなを応援している。こっちが正解かも。ベタベタするような家族ではないけど、両親の結婚記念日にはできるだけ全員でご飯を食べに行く、もし行けなくてもなんらかの形で関わってくる。誰かがつまずいた時にはみんなが応援する。似てる境遇の方と話す機会をくれたり、スタバのチケットを送ってくれたり。私はそれが本当に心地がいい。

だからこそ私はご両親、ご家族を大切にしてる人に沼ってしまう。
これを知れるのは仲良くなってからなのが難点。でもいい意味で、ギャップの差が少なくなるのですれ違いは少なくなると思う。(私の場合)

もう一つ挙げるのであれば『キツネ顔
これは私の好きな顔なので、前文かつキツネ顔なら私は死に物狂いでアタックするでしょう。笑
なんでしょう。キツネ顔の方って決まってみなさん笑った時に目が時なくなるんですよね。可愛いです。通常はキリッとしてるのに笑うとふにゃとなるのが本当に好き。癒される。可愛い。守りたくなる。

もうそろそろ、出会えるといいな。

元カレ

私の元カレは私を旅行に誘うことが多かった。何もない季節や、記念日でもなんでもない時にも。色んな理由をつけて行かなかったせいで結局お付き合いしてる時には数えられるくらいしか行かなかった。

別れてから知ったこと。彼にとって”旅行に誘う”という行為は彼なりの愛情表現だったこと。共通の友達から聞いた話なので本当かどうかはわからないけど、結構な回数誘われていたことはほんと。

別れたことに後悔はしていないが、彼の愛情表現を私は受け入れずになんなら跳ね返してしまっていたこと。すごく後悔してる。行けなくても行きたいといえばよかった。

悲劇のヒロイン病

私は世間でいう”メンヘラ”達をこう呼んでいる「悲劇のヒロイン病」と。
(私が勝手に名付けているだけなので無闇矢鱈に使わないでくださいね)

メンヘラと言う言葉で大切な人を傷つけられた事があるのでこう呼ぶようにしている。そうすると皆、何それ?と興味を持ってくれる。勘のいい子には「メンヘラってこと?」と言われることが多々あるが。私は決まって「違うよ悲劇のヒロイン病だとよ」否定する。メンヘラと言う言葉は嫌いです。

この子達にはある特徴がある。それは

自己肯定はめちゃくちゃ低いのに自分のことが好き。そして、愛することは好きなのに愛されることは苦手。

当てはまる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

まず、前提として私は悲劇のヒロイン病の子達がめっちゃ好きです。
ただのエンターテイナーなので。

自己肯定感が低いのに時自分のことが好き

自己肯定感が低いのに自分のことが好き。これはプライドが高いと言うことでもあります。そして大体の方が完璧主義。さらに人間関係で拗れたことがある。自分のことが好きすぎて、自分を否定してくる人が苦手なんですよね。それが交差していつの間にか捻れて爆発してしまう。そして自己肯定感が下がる。これの繰り返し。

では、治すには?どうしたら?
完璧に治すことはできないと思います。いや、治さなくても良いです。
それがあなたなんですから。私はそんなあなたが可愛くて好きです。
でも心のどこかで悩んでいて、治したいなと思ているのであればこちらをお勧めいたします。

私がお勧めしているのは、尊敬する人達だけと関わること。 

そうすることにより、毎日が刺激的で、人の良いところが沢山見えるようになる。そしていつの間にかプライドがなくなる。
いつの間にかと言う言葉は、曖昧で抽象的です。

”自分より下”と思っている人たちと関わると、負けたくない。だったり、どうして私は評価してくれないの。と思うことが増えなおかつ完璧主義なのでどんどんプライドが高くなります。
学校でも、職場でも、自分が尊敬する人たちを見て、真似っこして、仲良くなって自己肯定感が高くなりますように。

愛することは好きなのに愛されることは苦手

これは一時期話題になった蛙化現象とはまた違うことということを、頭に入れておいてください。そして愛されたくないわけだは決してありません。もちろん愛されたいですよね。でももそれは、強制はできないことです。頭の良いあなたならわかると思いますが。

そしてこの現象は「」が関係していることがほとんどです。

私の友人は周りから見たら幸せそうな家族で、羨ましいと思われていたりしている。しかしその子もまた非劇のヒロイン病の一人です。3人兄弟のいちばん末っ子で沢山愛情をもらったことを自覚しているのに、どこかで拗れてしまった。
私が思う理由としては

沢山愛してもらったけど、私はそんなにも愛していない。

この思いがあると罪悪感が生まれ、愛されたことをなくすために相手の期待に応えようとし、とっても頑張ってしまうのです。
本当は期待に応えるのではなく、ただ、愛されたと言うことを認めるだけで良いのです。でもそれがとっても恥ずかしいのです。

これを乗り越えるための薬があります。それは
ありがとう」と「ごめんなさい」です。特効薬です。いちばん近くにあていちばん使いやすいのに、なぜか使えない人が多い。
簡単なことが、実はいちばんん難しいですからね。

愛されることが苦手と思っているあなたに一つだけ。
愛せれるのが苦といえるのは、愛してくれる人がいるからこそ。
誰も愛してくれないなら、「誰も私を愛してくれない」と悲しむことになります。誰も自分を愛してくれない寂しさというのは、経験してみないと分かりませんからね。

長々とお読みいただきありがとうございました。
最後に一つだけ。ここに書いてあることは全て私に起きたことです。
ご清覧いただきありがとうございました。

                                紅葉


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