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今月のメディアあれこれ #18 浅草松竹演芸場の巻

今回は浅草松竹演芸場を特集していきます。
今のROXは場所にありました。
1944年開館。1983年閉館。全盛期はなんといっても60年代の演芸ブームの頃ですかな。
ただ大須みたいに赤字では無く黒字だった為、演芸場としては繁盛していたのかと。

66年から73年にかけては劇団風林火山(75年まで)とデン助劇場のW常打ち公演がありました。デン助解散後はくるま座なんてのもありましたな。

その後もルーキー新一劇団(6回で終わっているが。)
じん弘劇団、東八郎劇団、関敬六劇団の特別公演、演芸まつりなど色々な企画がありました。
出演者もバラエティーに富んでいて漫才、漫談、コント、浪曲講談、民謡、奇術、殺陣、落語、曲芸、演歌、紙切りと様々。今の東洋館の原型のような物ですな。

ルーキー新一劇団 伝説の初回公演のパンフ

今回は1969年のプログラムを見ていきましょうかね。
69年と言うと演芸ブームは落ち着き始めて55号とドリフターズが台頭して来た時期。
デン助劇場はこの時期でも8割くらい入りがあったとか

まずは正月中席公演。

デン助劇団「デン助のお手柄作戦」

チャンバラトリオ
スリーピー藤
コメディじんロック
コントラスト
即興都々逸

宮田陽司.昇司
ブラック福田
大空みつる.ひろし
チャンピオンレディース
三春ブラザース
大瀬しのぶ.こいじ

天津龍子舞踊劇団 「女郎蜘蛛

まだ69年は河野通夫がいる。

68年辺りまでは河野氏が一座に在籍しているのは確認していたが69年もいたとは。ちなみにwikiの浅草キッドの頁は間違い。

65年頃まで

名和青朗はお笑い三人組などテレビ初期のコメディを書いていた人。66年辺りを最後にTV脚本では名前を見なくなったがデン助劇場を書いていたとは。
内容は手柄の無いお巡りさんに手柄を立てさせようとする世話焼き物。

チャンバラトリオはこの時既にいつものメンバー。
山根、結城、南方、伊吹の黄金メンバー。
スリーピー藤。知らん。

コメディじんロックはじん弘と六平良のコンビ。
じん弘とスリーポインツ解散後のコンビか?
スリーポインツはじん、北海道太、九九八十一。
んで九九が67年に抜けたらしくその後は小島ひと志が入ったがまだ変遷があるかもしれん。
じんロックの後にまだ何かしらのコンビがあった気がする。じんト健ってコンビだっけ?
ハッピーどんかんは70年代。あれは北海道太と十四三閑。82年には既に解散している。

コントラストは成美信と大平耕志の新コンビ。
成美は68年にトリオザパンチを抜けたはず。
この後に泉太郎とコンビを組む。
その後成美信はギャグメッセンジャーズに。
泉太郎はナンセンストリオに加入。76年に泉わ助に改名。ナンセンスを抜けた後は愛うえおと組んでいた。その後はピンになり由利徹の芝居なんかに助演でよく出ており、山﨑街道の相方もやっていた。

チャンピオンレディースは猪狩定子のコンビ。
パンさんの妹。青井しんごと組んでいた時期もあった。

しのぶこいじは解説に新コンビとあり。
wikiには67年結成とあるが68年の間違いではないのか?
司会はお馴染み佐々木つとむ。
65年に松竹の司会でデビューしてこの時は地道に司会で下積みをしている時期。もちろん声帯模写でも舞台には出演していたが。

天津龍子劇団

劇団風林火山は休み。正月はやはり天津龍子劇団だったのですね。

お次は69年の5月下席。

デン助劇団「デン助と二泊三日の切符」

まだ河野さんが在籍している!

ダスターポット
天中軒清月
伊藤一葉
丸の内権三.助十
叶家洋月.花井雪子

リラックスフォー
ザ.ギャラントメン
花園のいる.こいる
桂楽之助
コントABC

劇団風林火山「泣きとうござんす

あらすじ大雑把すぎ。

メンツが渋いなぁ。ダスターポットは65年に那須三郎とスクラップサウンズから那須が抜けて結成。
67年のメンバーは岡本八、車忠乗、石川春、佐藤はじめ、平長平だが69年5月には岡本、車、石川、守谷勲、辰巳浩になっている。
平長平、守谷勲は後のベートーベン鈴木。
71年〜72年は猪熊虎五郎も在籍していた。72年解散。71年のメンバーは岡本、猪熊、守谷、石川、辰巳。つまり70年頃に車が抜けて猪熊が入ったという事だろうか。
石川は解散後は紅はこべなるグループを組んでいたらしい。辰巳は北島三郎の専属司会者に。
相田幹夫、佐藤邦男というメンバーがいた時期もあった。

伊藤一葉。ブレイクは6年後の75年。デビュー年が不明。資料を読み込めば判明するだろうが。
権三助十はまだこの時漫才していたのか。驚き。
解説に枯れた味わいなんて書かれてるw
叶家洋月は妻と音曲漫才。渋いなぁ。

リラックスフォー。知らんなぁ。デビューしたてらしい。ギャラントメンも名前だけは知っているがよく分からない。
のいるこいるは花園時代。デビュー3年目。
ブレイクしたのは平成に入ってから。
桂楽之助は後の橘家二三蔵。
コントABCも知らない。

司会は西川のぼるで岸千恵子の専属司会者でモノマネ芸人として後に活躍。

ちなみに国際劇場では1〜5日まで東京ぼん太ショー。まだこの時期は単独でショーを行える位ではあったのか。70年代入ってからだよなTVから干されるのは。とはいえ舞台やキャバレーなどの営業にはよく出ていたが。

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