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どんな子どもだったか
美大卒という経歴はちょっと人の目をひきます。
そして、
「(子どもの頃)どういうお子さんでしたか?」
とよく聞かれます。
尋ねた方は、
ご自分のお子さんに見える工作に夢中な姿や
ちょっと感心する絵を描くこと
先生に褒められたことを
照らし合わせたいのでしょう。
そこで、お尋ねの私の美術的な生育面にしぼってお答えします。
幼児の頃にお絵描きや工作に
特に夢中だったという話は聞きません。
小学校一年生の時、
「友達と竹馬をする」絵が学校の代表に選ばれました。
当の本人としては何がそんなに評価されたものなのか、
評としては「いきいきとした様子がよく伝わってきます」
といったところだったと記憶します。
その後は時々何かに選ばれましたが
周りには、自分よりずっと上手な人がいたので、
得に才能を感じたことはありません。
リカちゃんやコエダちゃんのごっこ遊びが好きで、
ミニチュアの家具をレイアウトして楽しみ、
高学年になると、もっぱら住宅販売のチラシを見ては
間取りを想像するのが好きな子供でした。
その姿を見て、『建築士』という仕事があると
母が教えてくれました。
他に素質といえば
手先が器用なこと。
料理、手芸、クラフト、とにかくものを作るのが好きなこと。
大きさや差を見分ける力があること。
(あくまでも平均より上という程度です。)
美術の成績は特に高かった覚えはないですし、
誰かに勧められたこともありません。
ではなぜ美術大学を目指したのか、それは、二つの縁があったから。
一つ目は、中学校の副担任の先生の娘さんが通っていたから。
(娘さんの受験の日、大切なデッサン鉛筆を忘れ先生が届けに走ったために授業に遅れてやってきたのを覚えています。)
二つ目は、私の高校の裏にあったから。
漠然と建築士を目指していた私の目の前で
オシャレで個性の強い学生さんが行き来する姿はとても魅力的でした。
しかも美術大にも建築科があるというではありませんか。
これで目指さない手はありません。
美大を目指すということは
美術系予備校に通うことになります。(独学の方もいます)
すると、デザイン科の方が
学力的努力をするより楽しそうだとなったのです。
そうして無事デザイン系の学部に入学できました。
おかげで、その後、長い時間を掛け建築士資格を手に入れるわけですが・・・。
私の経験はほんの一例でしかありません。
確かに、大学の仲間には
親御さんがアーティストやデザイナーであるケースが
珍しくありませんでした。
なぜなら、それらに触れる機会が圧倒的に多いからでしょう。
でも、私たち一般家庭の子供でもその機会が多ければ、機会をつくれば、
同じく興味を持ち、同じステージに挑戦します。
では、今お子さんに可能性を感じている皆さんは
どうしたら良いのでしょう。
可能性があるから、触れさせるのですか?
才能を感じないなら、触れさせないのですか?
語彙力の少ない幼児さんは、お絵描きや工作が大好きです。
たくさんのことが伝わるから、
気持ちがいいから、
出来たことが楽しいから。
それだけです。それだけでいいのです。
下手とか上手とか、成績とか誰かと比べる必要はありません。
私の素質は才能ではなく、
やってみた、何度もやった、
色んなことを見た、触った、聴いた、
そういう体験の積み重ねが育ててくれたものです。
大切なのは、好きという気持ちと些細なきっかけ(出会い)です。
絵が上手でも、工作が大好きでも
美大に行かない人はたくさんいます。
でも、やってきたことはその子の人生で絶対にそれは活きています。
好きな気持ちを大きくすれば必ず進む道にたどり着きます。
そのための体験に惜しみなく機会をつくることが
私たち親のできることだと思います。