今、この時点で、たくさんの恵みをもらっている

君はローソンで売っている『からあげクン』って知ってるかな?

レジの横にあって、5個で200円の唐揚げなんだけど。

僕はそれが大好物で、しょっちゅう買ってるんだ。


この『からあげクン』、時々キャンペーンで6個入りの時もあって、
その期間は、3日に1回くらい買ってるんだ。


最近は、6個入りのキャンペーンにも慣れてきてね。

「なぜ、7個入りのキャンペーンをやってくれないのだろう?」

なんて、図々しくも、本気で願っている自分がいるんだ。


こうした強欲な考え方って、人生でも共通する部分が
あると思うんだ。

突飛な考えなんだけど、神様がいるとするよね。

その神様が、気まぐれで僕に幸せを与えてくれたとするね。

『幸せ』っていうのは、『上司に褒められた』とか、
『偶然面白いテレビ番組を見た』とか、小さい事でも
構わないんだけど。

まぁ、とにかく、「幸せをくれた」と僕は喜ぶ。

で、僕は神様に「もう1つ幸せをください」とお願いする。

すると神様は、1つ与えてくれた。

欲深い僕は、「もう1つ幸せをください」と願う。

すると神様は、また1つ幸せをくれた。

強欲な僕は、「さらにもう1つ幸せをください」とおねだりをする。

しかし今回は、神様は幸せをくれなかった。

それに対して僕は、「神はケチだ!」と悪態つく。


さぁどうだろう。

神様は意地悪をしたのだろうか?

していないよね。

今まで与え続けてくれていたよね。


この時の僕の正しい反応は、

「今まで幸せを下さって、ありがとうございました」

という『感謝』であるべきだよね。


でも僕らは、人生の中で嫌な事や悲しい事があった時、
パニックを起こして、

「なぜ神様は私にこんな意地悪をするんだ」

と怒りを感じてしまう。


「良い事をカウントしよう」と言ったけど、その良い事は、
「宝くじが当たった!」とか、特別な事を出なくても良いんだ。

たとえば、「今日も体に痛みは無く、元気に過ごせた」とかね。


なぜなら、世の中を見渡せば、今日も病気で苦しんでいる人が
いっぱいいる。

その人たちからすれば、痛みも無く、日常生活を送れるというのは、
このうえなく幸せな事だからね。

そういうふうに、「幸せだな」と感じられるハードルを
下げられれば、毎日、とても幸せだと思うんだ。

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