『孝元天皇が物部氏と連携』⑥近江にて
ここからは、【大綜麻杵と伊香色雄の親子】より前の世代について、所縁のある神社や伝承について見ていきたいと思います。
<物部氏の系図>
物部氏の系図はいくつかあり、【伊福部氏 系図】などが有名だが、ここでは【諸系譜 第1冊】にある【物部大連 十市部首】をベースに記載する。
※なお、「諸系譜」は国立国会図書館などで無料で閲覧が可能です。
<多くの嫁を輩出する一族について>
大綜麻杵と伊香色雄の親子より前の世代について足跡を探索すると、諸説あり選択を悩むのですが、ここでは この一族に多くの嫁を輩出した一族に着目したいと思います。
それは「天津彦根命」を祖とする一族です。
ここに書かれている 婚姻関係をつなげると下記のような図となります。
※ちなみに、この一族からは、開化天皇(9代)の皇子である《彦坐王(日子坐王)》の妃も輩出しています。
<天目一箇命(天御影命・天津麻羅)>
次に、この一族の2代目《天目一箇命(天御影命・天津麻羅)》に着目して、その詳細を見ていきます。
この天津麻羅は『古事記』において、「岩戸隠れ」のシーンで登場します。
「鍛人である天津麻羅を呼んで」という登場だけであり、通説では、「鍛冶職人」で、「イシコリドメ」が八咫鏡を作るのを手伝ったとされています。
また、『先代旧事本紀』天神本紀によれば、天津麻羅は《物部造等の祖》としても紹介されています。
そして『古語拾遺』によれば、天目一箇神は、《筑紫国・伊勢国の忌部氏の祖》とされています。
これらのことをまとめると、この一族は、《天目一箇命(天御影命・天津麻羅)》をルーツにしていることから「筑紫・伊勢の忌部氏」や「物部氏」と繋がりのある一族であり、「鍛治集団」とも関係がありそうな事がうかがえます。
そして、この一族の伝承は、「琵琶湖の東岸・野洲川流域」にあるようですので、その詳細について 次回以降に紹介していきたいと思います。
(つづく)