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百襲姫が過ごした讃岐④艪懸明神と袖掛神社

 引き続き、「孝霊天皇」(7代)の皇女である「倭迹迹日百襲姫命」に関わる神社や伝承を調べていきたいと思います。

「倭迹々日百襲姫命」は、「奈良の黒田」から船で、讃岐の東部にやって来たという伝承が残されています。その場所が「艪懸明神」とされています。
 また「袖掛神社」のあたりという情報もあります。

<袖掛神社(香川県 東かがわ市)>

 国道沿いにある階段を登ります。


丘の上にある小さな祠でした。



場所は ゴツゴツした岩場であり、上陸には不適そう。すぐ東にある砂浜(海水浴場)から上陸して、そこから山中に潜んだものと推察します。

<艪懸明神(香川県 東かがわ市)>

ここも高台に位置します。見晴らしが良い場所です。敵が来ることに備えたのでしょうか?


拝殿


摂社ですね。


昭和12年に刊行された『標注訓読 全讃史』より
https://www.library.pref.kagawa.lg.jp/digitallibrary/sonota/komonjo/detail/DK02100.html



「孝霊天皇第一皇女倭迹迹日百襲姫、この邦に謫され、皇舟初めて大内郡馬篠浦に着き、その艪を掛けし地 に、祠を立ててこれを奉じ、艪掛大明神といふ。しかして皇女、居を求めて東行し給ひ、安堵に至りて心すなはち安かりき。祠を立てて之を奉じ、安堵大明神 といふ。」と書いていますね。

 「倭迹々日百襲姫命」は「艪掛明神」付近に住むことが好ましくなく、東に向かったようです。

<安堵大明神>

 「安堵大明神」は今は残っていませんが、「口訳全讃史付三教一帰論訓釈」によると安堵大明神は「大内郡」にあったようです。
https://www.library.pref.kagawa.lg.jp/know/local/local_2080
「大内郡」は、今の「東かがわ市」付近です。「水主神社」との間にある「香川県東かがわ市大内」付近と推察します。

大内郡
  引田八幡宮・白鳥大神宮
  達生八幡宮・誉田八幡宮・安堵大明神・引田三十番神祠


このような移動をしたと推察します。

その後、西に向かい「高松市」の「船岡山」(船山神社)に移動したということでしょうか。



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