日本の建国の時期は?【2】水田稲作から
『日本はいつ頃、建国されたのでしょうか?』
『いつ頃に建国されたのか?』という<時期>について理解を深めてきたく、いろいろな角度で考察をしていきます。
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【水田稲作の普及時期】
ここでは「水田稲作」の普及について調べたいと思います。
なぜ「水田稲作」を取り上げるか?というと、この「水田稲作」という技術革新は、クニのような「大きな集団の形成」に大きな影響を与えたからです。
また「稲」は栄養が豊富な食物でしかも長期保存が可能です。この「水田稲作」は始まった当初は、鉄製農具もなく木製農具での開拓であり、「畑作」や「狩猟」よりも大きな事業でした。「水田稲作」は、更なる分業を生み、貧富の差や地位の差を作るきっかけとなりました。
さらに「水田稲作」には、土地が必要で、しかも、どんな土地でも良いと言う訳でなく、利水に適した土地が必要です。そのため、集団同士の争いを生み出しました。「平和だった縄文時代」が、「騒乱の弥生時代」に変わっていきました。
日本で最古の水田遺跡は、佐賀県にある菜畑遺跡で紀元前930年頃の水田跡とされています。そこからゆっくりと普及が進み、出雲地方では前7世紀ごろに、近畿地方では、前7-前6世紀ごろに水田稲作が始まっています。
大和地方(奈良県)の水田跡を掘り下げると2020年頃に相次いで見つかっています。
・2019年に弥生時代前期で県内最大規模の水田跡として、BC500-BC400年ころの秋津・中西遺跡(奈良県御所市)が見つかっています。
・2021年には弥生時代前期の県内最古級の環濠集落と水田跡として、BC500年頃の慈明寺遺跡(奈良県橿原市)が見つかっています。
つまり、BC500-BC400年頃の大和地方では水田稲作が本格的に始まったことが示唆されています。
記紀(※古事記・日本書紀)では、初代天皇が九州から大和に来て即位した「建国の年」が「紀元前660年」とされています。しかし、そのころの大和には水田稲作はあまり普及していなかったということになります。初代天皇が、九州からやってきて水田稲作を大和の地に普及させたのでしょうか?
記紀には、初代天皇が来る前に「出雲族の国造り」があり、大和地方では「饒速日の統治」があったという内容があります。つまり、初代天皇が来る頃までに、大和盆地において水田が開拓され、初代天皇が来たくなるような魅力的な土地になっていたはずです。
【1】「出雲族の国造り」
≒日本各地で【水田の発展】に貢献
↓
【2】大和で 饒速日の統治
⇒このころには、魅力的な土地に
↓
【3】初代天皇と呼ばれる人物がやって来た
=【日本の建国】
<ここからの学び>
「紀元前660年」は大和で本格的な水田稲作が始まる前のタイミングであり、初代天皇がやって来るには早すぎます。
大和盆地で大規模に水田稲作が行われ始めたのは「BC500-BC400年頃」であり、それ以降に初代天皇となる「人物」が大和地方にやって来て「建国」したものと考えます。