彦坐王の血統⑤丹波道主の妻:丹波「河上之摩須」の郎女
「彦坐王(日子坐王:ひこいます王)」の一族について伝承を調べています。この「彦坐王」は 開化天皇(9代)の皇子ですね。
その息子で最も有名なのが「丹波道主」で崇神天皇(10代)の御代に四道将軍となる人物です。
丹波道主命(彦多都彦)の妻については、古事記では『丹波之河上之摩須郎女』と書かれています。
※「郎女」(いらつめ)は若い女性のこと。
つまり「丹波」の『河上之摩須』(かわかみのます)という方の娘と書かれています。
<衆良神社>(すらじんじゃ)
所在地:京都府 京丹後市久美浜町須田
御祭神:河上摩須 (かわかみます)
御由緒:
丹後一覧記には垂仁天皇の朝の勧請と伝ふ、所在に就ても諸書異説あれど信憑するに足らず。大字須田は『河上摩須』の居住地にして、小字下山は その館跡なりと言い、古来平民のこの山に居住するを忌む。また殿垣、オノミヤ(王の宮か)などの地名ありて、此処を館跡なりともいへど、下山の方正しきが如し。
『河上摩須』は丹波道主王の外舅にして、上代地方の豪族たりしなり。祭神を按ずるに当国式社考に『河上摩須良』とあり、『良』は「摩須の郎女」(いらつめ)の『良』なので、正しくは『河上摩須』なり。
⇒ このあたりの統治王である『河上摩須』が住んでいたという伝承が残っている。
<陵神社>(みささぎじんじゃ)
所在地:京都府 京丹後市久美浜町橋爪
御祭神:丹波道主命
御由緒:
陵神社の御祭神は『丹波道主』命を奉祀し、山頂の古墳は、『道主命』の墳墓にして、西麓宮の谷なる部落は御陵守なりきといひ伝ふ。されど伝説其の他四囲の事情を考察するに、何れも確証を得ざれば断定する能はざれど『海部直』の子孫が神職として奉仕し、『海部直』の館跡所在地たる字海士より通路ありといひ、『海部直』は孝霊六世の皇孫なれば、陵といふ社名にも適へるより考ふれば神服連『海部直』の奉斎せりと見る方真に近きが如し。暫く伝説を記して後証に竢つ。
⇒『丹波道主』の御陵があるとの伝承が残っていました。
<伊豆志彌神社>(いずしやじんじゃ)
所在地:京都府京丹後市久美浜町
御祭神:
出石心大臣命 ※物部氏の祖神の1柱
御由緒:
『丹後舊事記』に、「垂仁天皇(11代)の御代に、川上摩須郎が勧請した」という伝承がある。
※郎は郎女を指す。
<この記事のまとめ>
ここで紹介した3つの神社を地図で確認すると以下のようになります。
その当時、久美浜湾は、「潟湖」を形成していて、日本海航路における天然の良好な港となっていたと考えられています。
この「潟湖」を拠点として活動していたことが想像できます。
しかも、この周辺でも特に大きな「潟湖」であり 大きな勢力を誇っていたことが示唆されます。
<参考までに>
丹波道主命の妻「河上之摩須郎女」を祀る神社は他にもあります。
・「芦高神社」(京都府京丹後市久美浜町芦原)
・「方県津神社」(岐阜県岐阜市八代三丁目)
興味のある方は調べてみてください。