大彦命と武渟川別命④三重 敢國神社
「大彦命」と「武渟川別命」の親子について伝承を調べています。大彦は 孝元天皇(8代)の皇子ですね。
奈良から比較的近い 三重県伊賀市にも 「大彦」を祀る神社がありますので、ここで紹介したいと思います。
<敢国神社>(あえくにじんじゃ)
所在地: 三重県 伊賀市
奈良盆地から東に進むと「伊賀の地」にたどり着きます。
また「伊賀の地」から北上すると琵琶湖の東岸に抜けることができます。
当時の大和王国からすると交通の要所の1つとなる。
御祭神:
主祭神:大彦命(おおひこのみこと)
配神:
少彦名命(すくなひこなのみこと)
金山比咩命(かなやまひめのみこと)
伊賀国の一之宮で立派な神社です。
神社の名にある「敢(あえ)」は、「伊賀国阿拝郡」という古い地名とも繋がりがあります。
この神社の伝承によると、大彦の北陸遠征の後、伊賀国を拠点としてその地名から末裔が「阿拝(あえ)氏」を名乗るようになったとのこと
==以下、神社の伝承ママ(HPより)==
当神社は今から1300年以上前に創建されました。くわしくは、7世紀の中期658年に創建と当社には伝わっています。
当社の主神である大彦命は、350年頃第8代孝元天皇の長子として大和の国に生まれ、大和朝廷創建期の武人と云われています。
又、その子建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)と共に北陸・東海を征討する役目を負われ「四道将軍」のお一人として第10代崇神(すじん)天皇の詔により、日本の東目の攻略を果たされた後、大彦命率いる一族は伊賀の国にお住みになり、その子孫は伊賀の国中広がっていきました。
伊賀の国の阿拝(あえ)郡(現在の阿山郡は阿拝郡と山田郡が合併してできたもの)を中心に居住した為、阿拝(あえ)氏を名乗るようになり、後に敢・阿閉・阿部・安倍と呼ばれるようになりました。
「あえ」とは、「あべ」の原音であり、あべ姓の総祖神でもあると共に伊賀にお住まいの方の祖神でもあります。
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『記紀』にも大彦命が「阿倍臣、阿閉臣などの祖」と記載されています。
==以下、『日本書紀』より==
大彦命は是 阿倍臣、膳臣、阿閉臣、狭狭城山臣、筑紫国造、越国造、伊賀臣、凡て七族の始祖なり。
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「大彦」の子孫が、「阿閉臣」や「阿倍臣」となり、その末裔から「安倍 晴明(土御門家の祖)」などが登場している。
ちなみに大阪市の「阿倍野」という地名も、この一族と繋がりがあります。
そして、「阿閉」氏は、この三重県の「伊賀国 阿拝郡(あへぐん)」を本貫の地としていた。