「饒速日」を考える 小まとめ
『日本はどのように建国されたのでしょうか?』
このテーマで、これまで記事を書き綴ってきました。
【トピック1】:「初代天皇」とされる「神武天皇」やその后となる「媛蹈韛五十鈴媛」やその家系について調べてきました。
⇒「神武天皇」のモデルとされる「人物」が大和地域の有力者の元に、平和裏に婿として迎えられた「ストーリー」が、「記紀」の「神武東征神話」とし
て「勇ましく脚色を付けて描かれた」と推察しました。
【トピック2】:この「日本の建国」の時期について調べていきました。
⇒「日本の建国」は以下の2回あると仮説立てしました。
・1回目の「建国」:1世紀頃に神武の平和裏な婿入り。
・2回目の「建国」:3世紀半ばに九州勢力(銅鏡の文化)が大和にシフト(実質的な日本の建国)
そのまま古墳時代となり、4世紀初頭には大和が鉄器の中心地となる
※3世紀半ばの【実質的な日本の建国】を7代天皇から10代天皇のころと仮定すると、初代天皇はもう少し前に大和盆地に登場しているということになるため、上記のように2段階説を取りました。
【トピック3】:神武東征より先に大和を治めていたとされる「饒速日」(ニギハヤヒ)とは誰なのか?
⇒こちらについて、直近の記事で調べて来ました。
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【直近の記事からの情報まとめ:饒速日とは?】
「記紀」では、初代天皇は「出雲の勢力」から大和を譲り受けたのでなく、先に大和を治めていた「饒速日」から譲り受けたとされます。
この「饒速日」はどこから来たのでしょうか?いったい誰なのだろうか? 創作された人物なのだろうか?
・「饒速日」が降臨したとされる場所として「磐船神社」や「矢田坐久志玉比古神社」がありました。また「饒速日命墳墓」もありました。
⇒しかしながら、これらが位置する「大和盆地の北西部」は大型の弥生遺跡がなかったことから、また水運に便利な拠点集落となるような場所でもなかったことから「饒速日が生駒山の東山麓を拠点に大和盆地を治めていたとすること」は「創作」であると推察します。
・その一方で、大阪や奈良には「饒速日」にゆかりのある神社が多くありました。これらは「伊香色雄」を中心とする「饒速日」の子孫が、祖神である「饒速日」を祀っている神社でした(石切劔箭神社、星田神社など)。
⇒このことから「饒速日」は完全に「創作」された人物でなく、「モデル」となる人物があり「神武東征」を脚色するために、大きな創作が入ったものと考えます。
・「饒速日」は「天照御魂大神」や「天照国照彦 天火明命」といった名前で祀られていることがありました(新屋坐天照御魂神社など)。
この名前は、海部氏の祖神である「天照国照彦火明命」や「天照国照彦火明櫛玉饒速日命」と重なるものと考えます(籠神社など)。
⇒この人物に「神武東征より先に大和を治めていた」というストーリーが脚色され、追加されたものと考えます。
・「天照国照彦火明命」には、「天香語山」という息子や「天村雲」という孫があり、葛城山の北東山麓にある「葛木坐火雷神社(笛吹神社)」の辺りに移住して「その子孫が古墳などを遺した。」ということが見えてきました。
⇒このあたりは、出雲系の鴨一族が拠点としていた「鴨都波遺跡」の近くあり、交流があったものと思われます。
<まとめ>
・「饒速日」が「生駒山東麓で治めていたこと」は「創作」と考える。
・「その後裔」が「饒速日」をしっかり祀ったことから「全くの創作」でなく「モデルとする人物」がいた。それは「海部氏」や「尾張氏」の祖となる「天照国照彦火明命」。
そして、どこかで物部氏に繋がる家系。
また、「天照国照彦火明命」の息子「天香語山」、孫「天村雲」は大和盆地へ移り、出雲系の鴨一族が拠点としていた「鴨都波遺跡」の近くに住んでいた。
『ここからは強引な解釈が続きます』
彼ら(天香語山や天村雲)のイメージは、『「神武天皇」のモデルとされる「人物」が大和地域の有力者の元に、平和裏に婿として迎えられた』という内容にピッタリときます。
なので、丹後半島から来た「天村雲」が「鴨一族」に迎えられ「媛蹈韛五十鈴媛」に『婿入り』したという「ストーリー」を展開してみたいと思います。
本来は、「天村雲」が初代天皇であったはずが、西暦7世紀~8世紀に「古事記」や「日本書紀」を書く際になって、名前が書き換えられたのかもしれません。
西暦7世紀~8世紀になると、古代に勢力を誇った「葛城氏」や「物部氏」、「蘇我氏」、「忌部氏」は既に衰退し、「藤原氏(中臣氏)」が勢力を誇っており、そういった時代背景の中で「天村雲」をそのまま初代天皇とするのは、不都合があったのかもしれません。
『「天村雲」の名前が書き換えられた際に、その「祖父」である「天照国照彦火明命(饒速日)」は孫の「天村雲」の華々しい即位の引き立て役として脚色に使われた。』というような解釈です。
推察というより、願望に近い考察でした。
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