葛木坐火雷神社(笛吹神社) <天香山命を祀る>
神武東征より先に大和を治めていたとされる「饒速日」(ニギハヤヒ)を追いかけています。これまでの記事から「饒速日」には「天照国照彦火明」という別名があり、その息子が「天香語山」、その孫が「天村雲」であることが分かってきました。これらの名前を頼りに、大和地方で情報を進めています。
「葛木坐火雷神社(笛吹神社)」
(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ:ふえふきじんじゃ)
主祭神
笛吹連御祖神 天香山命(あめのかぐやまのみこと)
宮中大膳職坐神 火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)
「火雷(ほのいかづち)」という言葉から、「鬼滅の刃」のファンがやってくることも多い神社です。
参拝するとまず驚かされるのは、神聖な境内に「日露戦争で使われたロシア製大砲」が現れ、不思議な世界に紛れ込んだような感覚になります。
拝殿の前を左に回るとすぐに古墳があります。
(以下はHPの情報より)
神社に伝わる旧記には、『笛吹連(ふえふきのむらじ・祭祀を代々受け継ぐ持田家の先祖)の祖 櫂子(かじし)は火明命の後にして崇神天皇の十年 建埴安彦を討ちて功あり 天皇より天磐笛を賞賜せられ笛吹連の名を命ぜられる』とある。そして、天香山命の子孫 笛吹連が代々この地に住み、祖先神に奉仕しこの土地を笛吹と称えた。
つまり、神社の裏にある古墳群は、櫂子を祖とする「笛吹連」が眠る古墳ということになる。
神社には「波々迦木」というものがあるらしい。
「波々迦木」(ウワミズザクラ)は鹿の肩骨を使って行う「太占(ふとまに)」(占いの一種)に使われた木。この木の樹皮を炭火にしたもので肩骨を焼いて、骨表面の割れ目模様で占っていたようです。
「古事記」にも、この「波々迦木」は登場します。天照大神が「天の岩戸」に身を隠した時、どうしたらいいかを占った時に「天香山の天之波々迦」を使用した。つまり、神話の世界では「天香山」の「波々迦木」が登場しています。
その一方で、古代天皇が大嘗祭の際に行う「卜定」には、笛吹神社の「波々迦木」が使われたようです。皇室と繋がりの深い木でした。
『波々迦木は大和笛吹の社からこれを請け取るなり』(古事類苑)
『笛吹のはゝかの木をきりて都に奉りぬれば神司亀の卜する事にぞ侍りけるとかや』(奥儀抄)
出雲系の「事代主や下照姫(妹神)」を祀る『鴨都波神社』(下鴨社)などの近くにあります。出雲族が大和に進出した拠点である「葛城山周辺」のすぐ北に位置します。
丹後地方から「天香語山」や子の「天村雲」がこのあたりに移住して、その子孫が古墳などを遺したということだと思います。
ようやく、具体的な足跡を掴むことができました。
(おまけ)
「麺祖祭」「菓祖祭」といったお祭りがされていた記録もあるとのこと。
どういった経緯で始まったのか、興味が湧きます。
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