百襲姫が過ごした讃岐②船山神社
引き続き、「孝霊天皇」(7代)の皇女である「倭迹迹日百襲姫命」に関わる神社や伝承を調べていきたいと思います。
<船山神社> 香川県高松市
<御祭神>
・倭迹々日百襲姫命
・彦五十狭芹彦命
・猿田彦命
・天隠山命
・天伊田根命
<社伝>
(人皇第七代孝霊天皇の皇女)倭迹々日百襲姫命、上古、讃岐の東部に来り給い、更に移りて当地船山に登り給う。此の地讃岐の中央にして好き所なりと賞でし給いしにより、祠を之を奉ず。地名百相(もまい)(倭名鈔 百相 毛毛奈美)は命の御名によって起れりと。
彦五十狭芹彦命は百襲姫命の御弟に座し、他の三神は配祀せるという。
創建は天平年間といい、初め浅野村船岡山に鎮座あり。
※吉備津彦神社では「倭迹々日百襲姫命」は彦五十狭芹彦命の『妹』とされます。どちらが年上かどうかは、諸説あるようです。
<場所>
場所は香川県高松市の内陸部
田村神社からは徒歩で行ける距離です。
そして、倭迹々日百襲姫は、讃岐の東部から来たとされています。
この神社は当初「船岡山」にあったようです。その「船岡山」には古墳群が残っています。
<船岡山古墳群について>
・『墳長 44m の前方後円墳(1号墳)』と『墳形不明(2号墳)』の2基の前期古墳が存在する。
・船岡山 1 号墳は墳丘の形態と出土埴輪の様相から 3 世紀代(古墳時代前期前半)に遡る古式の前方後円墳と考える。
・2 号墳もほぼ同時期に築造された可能性が高い。
・船岡山 1 号墳出土の埴輪は円筒埴輪の一種であるが,筒形の器体上部に壺形土器の口縁部をとりつけた特異な形態をもち、これと同型式の埴輪はこれまで確認されていない。
・石清尾山古墳群の所在する鶴尾神社 4 号墳など、今知られている最古段階の前方後円墳より若干後の時期に、築造された古墳である。
<境内>
他の神社でも 五角柱 や六角柱の塔が祀られていることを見かけます。
調べてみると「五神名地神塔」と言うらしいです。
次の五柱が、一面ごとに刻まれていました。
天照大神
倉稲魂命
埴安姫命
少彦名命
大己貴命
<この記事のまとめ>
倭迹々日百襲姫が、讃岐の東部から来て、 船岡山というところで過ごしたという伝承が残っていました。
そして、その船岡山の古墳は、古墳時代前期の築造で、特異な円筒埴輪が出土しているということで、吉備地方にも縁のある方が埋葬されている可能性が示唆されました。
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