もう一度会いたい
2004年12月、当時アメリカで大学3年生だった私は、冬休みをどう過ごそうか思案していた。日本に帰国するお金はない。というより、日本に帰りたい気持ちはない。住んでいた大学の寮は、冬休み中に閉鎖されるわけでもないからここにいてもいい。だけどキャンパスから人はほとんどいなくなるし、連日スーパーとレンタルDVD屋を往復し、一人で20日間ほど過ごすのは虚しい。ここは田舎町で外は雪に覆われている。ネットで検索し見つけたのがホームステイ。私のように冬休み期間に行き場を失った留学生を温かく迎えてくれる優しい機関を見つけた。費用も決して高くない。早速申し込む。行き先はミズーリ州カンザスシティ。少しややこしいのだが、私が訪れるカンザスシティはミズーリ州の中にある。ミズーリ州の隣にカンザス州があり、カンザス州にもカンザスシティと呼ばれる都市が存在する。カンザスシティはミズーリ州とカンザス州の2つにまたがる都市というわけなのだ。
カンザスシティに到着すると、私を含めて留学生は15人ほどいた。その機関はキリスト教の団体で、日本人や中国人、台湾人、アフリカ系留学生のわたしたちを優しく迎え入れてくれた。私は2つの家庭に滞在させていただいた。どちらの家庭でもとても優しく接していただき、感謝してもしきれない。キリスト教の人助けの精神に基づいた団体だったのだと、あとで気がつく。忘れられないホストマザーが、ノーマ。ノーマは夫と二人暮らし。ノーマは当時60代。子供はおらず、犬が1匹と猫が2匹いた。一緒にクリスマスの準備をし、アメリカならではのクリスマス当日を迎えた。豪華な食事をし、クリスマスプレゼントをみなで開け、楽しむ。
2005年10月。私はまた思案していた。11月の後半にThanksgiving Dayという祝日があり、大学が一週間休みになる。ノーマに会いたい。会いに行こう。そして私は再びカンザスシティを訪れた。サンクスギビングは、家族で集まる日とされている。ノーマと一緒に七面鳥を調理し、ノーマの夫アーサーと一緒に祝日を祝った。とても充実した時間だった。
2024年の今年、私はふと思い立って検索エンジンでノーマのことを調べた。個人名でも何かヒットすることはある。検索がヒットし喜んだ一秒後には気持ちが沈んだ。私が見つけたのは、訃報を知らせるサイトだった。2020年にノーマは亡くなっていた。81歳だった。自分のホットメール(アウトルック)を調べる。削除してしまったと思っていたが、メールはまだ残っていた。最後にノーマからのメールを受信したのが2007年だった。それから17年も経っている。その間私は結婚し、2回出産しているが、結婚報告も出産報告のメールも、私はノーマに送っていなかった。母親業に日々邁進していたためだ。人生とは往々にしてそういうものだろう。ライフステージによって付き合う人が変わる。連絡を取り合う人が変わる。子供が大きくなり、過去を振り返る余裕ができた今、会いたくても会えない人がいることを知った。
2005年11月。カンザスシティの空港でノーマと別れる時、私は泣いた。I'll see you again. Keep in touch. See you again. また会おうと言いながら、その”また”が来ないのだろうと、22歳の私はそう思っていたから泣いた。ノーマも泣いていた。翌12月に私はアメリカの大学を卒業し日本へ帰ることが決まっていた。日本で就職し、アメリカに来ることはしばらくはない。いつかまた会おう。いつかきっと。その気持ちに嘘はない。
国や年齢が違っても心が通い合ったよね。
May your soul rest in peace.
どうか安らかに。