分娩台の自発光
2人目を出産したのは、予定日の12日前だった。夜中2時ごろ、下腹部にじんわりとした痛みを感じて目を覚ます。いよいよその時がやってくるのか。布団から起き上がり、父のゴルフバッグに詰めた、お産に必要な入院グッズの中身を点検した。入院カバンに不備なし。いつでも病院に向かえる。しかし、真夜中に外には行きたくない。太陽の光には、不安を消し去る力がある。日が昇るまで待ってほしい。朝日が現れるまで、あと数時間、どうか待って。
無事に布団の中で朝を迎えた。じんわりとした痛みの波は一旦引いたようだ。朝7時半。家族とともに朝食を食べ、何気ない日常生活の一場面を装いながらも、スマホアプリを使って陣痛の間隔を測る。じんわりではなく、ずんどこずんどこ、と、調子が変わってきているか。
もう少し待ってほしい。確かに朝日は昇り、真夜中に比べたら、気持ちは落ち着いている。しかしあと数時間。お昼になったら、胎児よ、あなたのお父さんがこの家に来るんだよ。里帰り出産をするため私は実家にいた。あと数時間経てば、私の実家に夫が車で到着する。
お昼になった。夫が私の実家に到着するのとほぼ同時刻に、私は母と一緒に病院へ向かった。夫よ、父よ、長男を頼んだ。3歳の長男を男性陣と祖母にたくす。
病院で、子宮口が全開になるその時を待つ。長男を出産した時と同じ病院なのだが、その病院は移転と統合を行ったため、全く新しく生まれ変わっている。中の方も結構広いんだな。ベッドもカーテンもきれいだな。10分間隔で、お腹の中は、ずんどこずんどこ祭りだわっしょいと盛り上がっているのだが、心中穏やかでいるよう心掛ける。
ほどなくして夫が病院に到着し、母が実家へもどる。付添人のバトンタッチだ。ずんどこ祭りは大いに盛り上がりをみせ、いよいよ私は陣痛部屋を出て分娩室へ移動する。分娩台にあがる。
分娩台に上がるとき、夫いわく、私は輝いていたようだ。きれいと形容していたか。
自発光という言葉がある。もともとの使われ方はよくわからないが、今は肌が美しい人を表現する時に使われている。主に男性アイドルに使われているのを見聞きする。だれだれが自発光してる件について。
中高時代はニキビヅラ、社会人になってもスキンケアはお気持ち程度だった私が、自発光するはずがない。霊感が0%の私にたいして、霊感を5%は持ち合わせていそうな夫だから、感じ取ったのかもしれない。生命の誕生という美を。
出産時の出血が多かった。通常、産後2時間ほど分娩台の上で休むところを、あとさらに2時間休みましょうと言われ、計4時間、分娩台の上で休むことになった。はい、それでお願いします。動きたくないし、動けない。このまま寝かせて。4時間はあっという間に過ぎ、分娩台の近くに車椅子が用意され、私は車椅子で入院部屋まで移動した。もう夜になっている。
分娩台の上で私は光ったのか。もし光ったとして、その光をたどれば、きっと自分の祖先にたどり着く。きっと祖先も喜んでくれている。また新たな生命がそこに誕生したことを。