日向の彼岸花を見にいく
秋の彼岸過ぎに彼岸花を見に行ってきた。
自分は神奈川県民で、去年は県内の小出川の彼岸花を見に行った。
今年も同じく県内の伊勢原市にある日向地区の彼岸花を見に行った。
わざわざ花を見に足を運ぶくらいに彼岸花は好き。
以前から日向薬師にも行ってみたかったので日向行きが決まった。
日向までは小田急線で伊勢原駅にいき、そこからバスに20分ほど乗る。
9時前にバスの終点、日向薬師についた。
天気は曇りだった。
まずは日向薬師を参拝した。
道のところどころに指紋のようなうずまきがある。
凝灰石が収縮、膨張をくりかえすことによってつくられたそうで、ボタン岩と呼ばれている。
写真で見るとイマイチだけど、なにこれ青い!って思った葉っぱ。
コンテリクラマゴケ(紺照鞍馬苔)というシダ植物
だそう。
あとから来たご夫婦も「青いねえ」と言っていた。
こんな山道を5分ほど歩いて本堂に到着。
日向薬師は716年、行基が開創したと伝えられる。
かつては日向山霊山寺(ひなたやまりょうぜんじ)と呼ばれた大寺院だったが、廃仏毀釈で多くの堂舎が失われた。その後は、霊山寺の別当坊であった宝城坊が寺籍をついだため宝城坊と呼ばれるようになった。
今では、日向薬師と略称され親しまれている。
行基は奈良東大寺の大仏造立に奔走した僧侶。
結構古いお寺なんだな、という感想。
鎌倉期には源頼朝が娘大姫の病気平癒を願って自ら参拝、妻政子に至っては数回参詣している。
「鎌倉殿の13人」見てた自分としては上がるスポット。
他にも日向地区は、頼朝の痕跡がたくさんある。
仁王門の下に衣裳場(いしば)という踊り場がある。
頼朝が参詣した際に、ここで旅装から白装束に着替えた場所といわれる。
また、薬師に向かう途中に「洗水(あろうず)」というバス停がある。
ここは頼朝が参詣した際に家来が沢水で馬を洗ったことが地名となっている。
お参りして、彼岸花の季節の限定御朱印をもらった。
日向薬師は仏像好きにおすすめしたいお寺。
本堂横の宝殿にご本尊、四天王、十二神将がいらっしゃる。
拝観料300円。
中央の厨子の中には本尊の鉈彫りの薬師如来様がいるが普段扉が閉まっていて、年5回開扉される日がある。
そのまわりを四天王、十二神将が護っている。
私以外に見学してる人がいなかったのでゆっくり見ることができた。
拝観を終えてバス停近くの日向薬師珈琲焙煎所で休憩。
晴れてきて嬉しい☺️
彼岸花を見物する人も増えてきた。
いい景色!
彼岸花はまだ咲き始めとい感じでつぼみのものも多かった。
今年は少し遅いのかな。
晴れてるのに暑すぎず、カラッとした秋の空気サイコー!!
気持ちが良すぎたので日向路を少々お散歩してみた。
来た道と反対に歩いていくと日陰道の標識がある。
源頼朝が日向薬師に参詣する際に家臣達が通ったとされる道。
ここも彼岸花の群生地なんだけども、夏はヤマビルが出るそうで行くかかなり迷った。
ちょっとだけ、足を踏み入れて見たけど山側への道は熊が出たとかでゲートが閉まってて、反対側はかなり草が鬱蒼としてたのですぐ引き返してしまった。
浄発願寺
1608年、弾誓上人によってひらかれたお寺。
徳川家康から広大な森林を寄進されるなど厚い庇護をうけた。
殺人、放火以外の罪人が駆け込めばその罪を許される「駆け込み寺」としても知られていた。
以前、浄発願寺はここから1.4キロ上流にあったが、1938年の台風による山津波で全山が流されてしまった。
旧跡は奥之院とされ岩窟が残っている。
浄発願寺から10分ほど歩くと石雲寺がある。
壬申の乱(672年)で敗れた大友皇子のお墓がある寺。
皇子は叔父の大海人皇子に破れ25歳で自害したが、実は近江国から逃れてこの地に暮らし、没後に葬られたと伝わる塚があった。
もともとは日向川の岸にあったものを令和2年に境内にうつした。
現在旧地にはレプリカがある。
史跡いっぱいの日向でした。
ここからターンして駅方面に歩いて行った。
途中、農産物直売所に寄って、産みたて卵や栗を買った。帰って美味しくいただきました。
再びバスに乗って伊勢原駅へ。
ちょっと遅くなったけどランチは伊勢原駅近くの麻釉(まゆ)のロースカツ定食。盛りがよく安い。
楽しかったな、と思いながらカツを頂こうとしたら、職場から電話がかかってきた。
明日の勤務変更の電話だった。
実は去年も彼岸花を見に行った時に職場から勤務変更の電話がかかってきた。
何ならさっき、彼岸花を見ながら「去年は電話かかってきたな〜、今年もかかってきたりしてw」
とか考えてたけど、まじか。
2年連続⁉️
びっくりして、なんか彼岸花の美しさとか飛んでいった。
カツは美味しかった。
来年の彼岸花ツアーはちょっと躊躇するな。