手紙 ブレスト

拝啓

新入社員が後輩として入ってから、久方ぶりに会社でお名前を呼ぶ機会がありました。もはや気恥ずかしさはなく、誇り高いばかりで、お金のために居るところが変わっても、全く社会人として尊敬するばかりです。

こうして長い文章で何かをお伝えするのは初めてですが、言葉を選ぶのを楽しみながら手紙を書くことにします。この頃は短いセンテンスと高次元の情報のやりとりが主流で、文章を伝えることを怠っていたと反省もしています。

私は、人間関係を観察して勝手に言語化してしまう質でして、要は、斜に構えた態度をしています。私の口から、誰彼構わず攻撃的な文句や、見当違いの人相占いが飛び出すのは、そういう性格が由来しています。対照に、あなたは、他者の思想が絶対的に未知であることや、ファジーな関係性のあり方をよく理解しているように思います。これもまた私の妄想の域を出ないのかもしれません。私の観察眼の曇っていることを差し置いて、それが私たちの人生観を隔てている大きな命題なのかと思っています。

人間観に違いのある私たちが、一緒にいる理由は明確にはできません。これは私があなたと過ごして学んだ、他者の思想が絶対的ではないという法則から、他者を含めた関係性など理論化できないとわかっているからです。母が子を愛す血縁や、師から教え子への煩慮のような、道理の愛のようなものではないと思っているからです。また、私たちは互いに定量化して差分を出して優劣をつける関係性ではないから数値化も法則化もできないのです。

そこで、私の眼鏡を通して私たち二人を見るしかないのです。私たちは鷹と虫、天と地、凸と凹であり、なにもかもが異なっていますが、二人とも同じ方を見ています。二人が同じ方向を見ているので、お互いは見えません。何をそんなに凝視して浮足立っているのかは、少々遠すぎて視認できません。ただ、従って同じ方向を見てるのではなく、共感と信頼があって向く先を決めています。お互いの姿型すら影にしか見えませんが、緊張や不安とはまた違った好奇心や出来心を感じます。一生懸命形容してみましたが、要は、二人で歩んでいく未来が、一日千秋の恣意をめぐらすだけの私の期待と希望だというだけです。

ところで、こんなくどい言葉で手紙を書いて偉ぶって渡しても、何の意味もないのです。短いセンテンスと多次元の情報のやりとりからたまに逸れた遊びでしかないからです。和歌を詠んだり、戦禍に飛び込む恋人を想うのとは訳が違います。価値なんてものは一様でないからこそ、私は、せめて少しでも客観視できる価値を自分に見出したいです。あなたにとっての社会的資本、享楽対象、哲学仲間でいたいです。ついでに、ただ、性的なコンプレックスを満たせたらいいのです。偶々、審美眼と聡明な頭脳、容姿を親に与えられたからです。

要領を得ないで駄文を書き連ねていますが、考え出せばたくさん想いが溢れるものです。あなたと毎夜過ごせないばかりか、病に倒れても駆けつけて診られない自分の無力さに途方に暮れるばかりです。私は遠くにある分、燦々と光り続けないといけないのだと思います。ダイヤモンドは指先で瞬けばいいけれど、私は、あなたの足元まで明るくしないと、暗くてあなたから見えないのを忘れないようにします。

いつもはただただ溜まったものを放出しているのですが、たまには、特定の対象に向けて想いを綴るのもよいと思いました。何故なら、私がまた一段上がり、創作活動の切れ味が増す経験だったからです。

さて、貴殿におかれましては、どうか健やかにお過ごしください。何か、少しでも不便や苦悩がございましたらお申し付けいただけますと幸いです。何もできないかもしれませが、どうにかしようとするあなたの手元足元を照らしたいです。

引き続き、よろしくお願い申し上げます。

敬具

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