卒練の克服をする最高の方法は、克服しないこと

 失恋が哀しいのは、別れるという行為自体、五秒と掛からなくても、別れたという状態は五秒で終わりそうもないからだ。下手すれば五年も引きずり得る。
そしてもう互いが生きているかどうかも分からないということ。
 別れは続く。失恋に終点は存在しない。
 相手の幸せを願えたら初めて失恋の終わりだという人もいる。
 でも私たちはキリストでも仏陀でもない。他人の幸せなんて祈ってたまるか。
 元恋人にはちょっと不幸でいて欲しいという人しか、私は有用できない。
 失恋したらどうするか。どうすべきなのか。私の話をする。
 前向きになれよと居酒屋で慰めてくれる知った顔した友人の顔には、ハイボールをぶちまけたくなったのを覚えている。そんな時は、こちとらどちらが前か後ろかも分からない。
 もう絶対に綺麗さっぱり忘れてやろうと決めて、TSUTAYAで「エターナル・サンシャイン」を借りた。ケイト・ウィンスレットの髪の青は元恋人の使っていた携帯電話と同じ色だった。「ブルーバレンタイン』を借りた。そういえば元恋人とはセックスがまったく上手くいかなかった。「ロスト・イン・トランスレーション』で思い出す。なにを見ても、その人のことを思い出す。この世はそうできていたし私もそういう仕様だった。なにを読んでも、なにを聴いても、どこを歩いても、同じことだったのだ。
 だから忘れようとするのも、前向きになろうとするのも、綺麗さっぱり諦めた。
 世界史のどうしようもない年号も古文のどうでもいい単語の意味も忘れられない私たちである。特に昭和後期から平成元年生まれまでは、一度覚えた携帯電話番号を一つか二つ、いまだに忘れられない人もいるのではないか。
 それらすべて、もう忘れなくてもいいのだ。忘れたら、失礼だ。その時、持ち得るすべての感情を相手にぶつけて生きていた自分に、失礼なのだ
 せっかく付けてくれた傷と、一緒に生きていく。前向きになる必要なんGないのた。落ち込むまで落ち込む。どこまでも傷つく。そうしたら、いつか落ち込だ自分にも飽きる。そうしてまたふらりと外に出かける。交通事故のように誰かと出会うだろう。気付いたらまた、間違って誰かに騙されてもいいか、と思える日が来るだろ
う。
 なにかを忘れる方法なんて、笑止干方。まったくもって、ナンセンス。
 失恋を忘れる方法なんてない。ちょっとばかり薄める方法はあるだろう。でも最後は、受け入れるしかない。克服しないことで、克服するのだ。ハードルは跳び越えるものではなく、ハードルの下を潜り抜けるか、そもそも蹴り倒せばよい。
 こうして憎むほど愛せたことに、感謝しつつ、そして元恋人が今はちょっと不幸でいることを、正々堂々と今日も私は祈る者である。

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