可愛がってもらった記憶
幼少期は両親に溺愛され、
中学に入ってからは友達のお母さん、先輩たちにめちゃくちゃ可愛がってもらった。
俺が風邪を引いて家に戻って寝ている時は、誰かが必ずお見舞いに来てくれたし、
情緒不安定でパニックを起こした時や、こっそり見えない場所をカッターで切り刻んでいるのを見つけると、いつも抱きしめて一緒に寝てくれる人がいた。
喧嘩が弱いくせに口だけは一丁前な俺が、
相手を煽りまくった時は、庇ってもらって後でちょっとだけど怒られたし、
バンドのチケットはみんなで買ってくれて、
必ず観客が居るという優越感に浸れた。
後から聞いた話なんだが、実は
「あの子には強くモノを言ってはいけない。」
と、凄く気にかけてもらっていたようだ。
中〜高と、俺を育ててくれたのは両親ではなく、間違いなく周りの大人たちだった。
「子供が出来た。」
と言った時は、
親以上に親身になってくれた。
人の縁とは実に不思議で、
当時、本当に少しだけ関わっていた人が世帯を持ち、今同じマンションで暮らしている。
もうお互いにお互いが分からないほど見た目が変わっていたが、ひょんな会話からお互いの素性を知って、
「あ。」
となった笑
息子を溺愛出来たのは、
母親からの愛情だけではなく、
彼らの愛情も大きかったのだなと思う今日この頃。
世間一般的にOUTとされる人間関係、出来事の中にも、本当は沢山の愛が溢れていて、
それに生かされた人がもっと沢山いるのだと俺は思う。
今の息子も、正しくその状況。
結局のところ、
何もかも「感謝」に立ち替わる。
ここのところ、そういう出来事が続いて本当に軽くなった。
軽くなったところに、とんでもないほど重たいものがのしかかって来たが、
人生いいことばかりな訳じゃない。
テキトーくらいが丁度いい。
俺はめちゃくちゃ神経質になって、必死に息子を育てさせてもらった。
パパも軽くなったんだから、
お前もすぐ軽くなるよ。
パパが居なけりゃ、
お前は「子供」じゃなくて、「男」で居られる。