愛息子の話
2008年、16才で父になった。
生まれてきた我が子を見て、愛おしさのあまりに泣きじゃくってしまった。
「これが、俺の子か。」
訳あって、戸籍にはいない我が子。
【事実上の父親】
ちょっと形式が複雑だが、我が子はずっと我が子だ。
お調子者で、甘えん坊で、すぐにキレる。
そんな何処にでもいる子供だったが、情緒が不安定なことに父は気付いた。
理由は、母親が男を作っていて、ネグレクトに近い扱いを受けていたこと。
毎週末に俺が会いに行ったところで、残りの5日間は彼にとっては地獄そのものだったのだろう。
「2人で、どっか遠くに行こうか。」
そう言って、手続きを済ませて向かったのは北マリアナ諸島、サイパン。
1ヶ月、2人で生活した。
まだ息子はスマートフォンを持っていなかったから、デジタルデトックス+息子だけと向き合うために、スマホの電源は切りっぱなし。
本当に、右も左も分からないような生活。
何が困ったって、ゴミの出し方が分からないってこと。
向こうのダストボックスは青くて、それぞれに番号が割り振られている。
何も分からないので貸別荘で出たゴミをダストボックスにまとめて出していたら、怒られた。
息子はそれを見て、ずっと中指を立てて笑っていた。
レンタカーのフォード。
海と夕陽を見ながら、親子で自然と触れ合う時間。
タポチョ山で見た眩し過ぎる夕陽。
今まで見た中で1番綺麗な海の青さ。
本当に良い時間だった。
しかし、そんなことで息子の精神が安定することはなかった。
母親にキレ、フライパンを持って追いかけ回したり、手当たり次第に物を掴んでは、それを母親に投げて、
「死ね!」
と叫ぶ息子。
それでいい。思いっきり感情を外へ出せと、父は思った。
高校進学を期に、地元を離れて俺の住む県へ引っ越し。
ここでもトラブルが多発。
入学式の1週間前に、「僕、学校やめる。働く!」と言い出し、唖然。
おばあちゃん(俺の母)は、「もう、意味がわからない。」と、距離が縮まったはずだったのに結局離れてしまった。
そんな愛息子は、一生懸命工場勤務をしている。
息子のパートナーは、なんと俺の幼馴染。
しかも同棲までしている。
最初は、頭を悩ませまくった。
何が起きているのか、自分でも分からなかった。
結局、どうこう思ったって、受け入れるしかない。
何があっても、俺が息子を心から愛している気持ちに変わりはない。
最近、親離れしつつある息子に少し寂しさを感じているが、きっとこれが健全な15才の姿だ。
自分の人生に責任を持てとしか、父は言えない。
だが、何かあったら全力で守るつもりだ。
愛息子は母親に捨てられた。
母親から愛を与えられずに大きくなった息子は、極度に女性を嫌悪している。
それでいい。
自分のペースで、しっかり自己形成していけばいい。