【復活のルルーシュ】ルルーシュはナナリーの提案を何らかの形で聞き入れている可能性がある
初めまして。三部作⇒復活のルルーシュの順に観ました。TV版は昔観たっきりですが、考察するにあたり一通り見直しました。
考察文書き込むなんて初めてなので文章が拙いです。ご容赦ください。
違和感を覚えたきっかけは、ナナリーとの別れ方があっさりしすぎていたこと。ナナリーが「一緒に暮らそう」と提案してルルーシュが「俺がいても邪魔になるだけ」と断るのみ。本編における二人のすれ違いって、そんな軽く済ませていいものだったか?と。
言葉にできない不満を抱えながら観返している内に意図の読めない描写を幾つか発見し、本編における二人の関係性も併せて自分なりに整理した結果、描かれなかったナナリースザクとの別れのシーンで、ルルーシュは提案を聞き入れたのではないかという結論に行きつきました。
■ナナリーへの心残りの存在
「ナナリーを置いていくのはC.C.との約束以外に未練が残ってないから」とよく言われてますが…『復活』におけるルルーシュはナナリーに何か未練を残しています。作中での描写を見る限りそう判断せざるを得ません。
物語冒頭、C.C.がシャーリーと通話しているシーンでナナリー拉致の速報が流れた際、虚ろのルルーシュがテレビに反応しています。
このときテレビは車の荷台に積まれており、ルルーシュが画面に映りこんだ段階ではテレビの方を向いていたんです。その後C.C.が音量を下げたことでテレビから関心を無くします。「ナナリー」の音声に反応していたということです。
それとC.C.が料理してるときのシーンでも、横になった虚ろルルーシュはテレビを見ています。ルルーシュの顔がアップで映っているとき、よくみると瞳孔の位置が上瞼の方に寄っている=目だけが上を向いており、実際にテレビの位置も顔の角度から見て上方に位置してます。上目遣いでテレビを見ていたわけです。
C.C.が話しかけても動きが無かったのにチャンネルを変えた途端動き出したのも、ニュースに集中していたためでしょう。
そもそもC.C.がテレビの音量を下げたりチャンネルを変えたりして虚ろルルーシュを(危機に陥ってる)ナナリーから遠ざけようとしていた様子自体が、普段からナナリーに反応していたことを仄めかしています。
虚ろのルルーシュは”心残りの成れの果て”であり、心残り以外の記憶は失われていると考えるべきです。他の記憶が残っているならカレンの顔を見て怯えるのも変ですし。
よって虚ろルルーシュがナナリーに反応できる時点で、ナナリーに何か思いを残していることが確定します。
この時点でもうおかしい。そんなものを匂わせたら兄と一緒に居たいというナナリーの想いを連想させてしまいます。最終的に拒否するならナナリーに執着していると捉えられかねない描写なんて入れる必要ありませんし、もしも一緒にいてあげられなかったことが心残りの正体なのだとしたら、ルルーシュの未練を消化し切らないまま物語が完結したことになってしまう。
なってしまうからC.C.以外に未練を残してるはずが無いと考えられてるわけで。
■ルルーシュの選択はすれ違いの物語を否定する
本編における二人の関係性についておさらいしてみます。
ルルーシュは上記の約束と共に、”ナナリーが幸せに過ごせる世界”を作るために行動を始めます。(ナナリーとの約束が原動力の一つとなっていることは、『R2』11話のシャーリーとの通話で示唆されています。)
ルルーシュの作ろうとする世界はあくまでもナナリーの未来を優先したものです。『R1』17話の時点で「いずれナナリーの傍にいられなくなる」と考えているあたり、ルルーシュの考えるナナリーの幸福とは、自分が共に居ることを前提にしたものではありません。
しかし『R1』22話、自分との暮らしを強く望んでいる事実をユフィから知らされ、同時にルルーシュがやっているのは本人の意思を無視した一方的な押し付けであることが示されます。
加えてナナリーの言う優しい世界とは”他人に優しくなれる世界”、”皆で明日を迎えるための世界”であり、自分の将来のための世界ではありません。
ナナリーの未来を優先するあまり、傍に居てあげることの大事さも、優しい世界がどういう意味なのかも理解できてない。初めのうちはナナリーの意思が全然見えていなかったわけです。
とはいえナナリー自身の姿勢にも問題があります。「お兄様の迷惑になるくらいならわがままは言わない」と考えていたり、ルルーシュではなくユフィに自分の願望を話すあたり、ナナリーはルルーシュの負担になるのを怖れて想いを伝えきれずにいます。
迷惑をかけたくないがための善意と言えば聞こえはいいですが、結果としてルルーシュはナナリーの意思を見誤ります。初期のルルーシュはナナリーの幸せを第一に考えており、当人の願いを他の誰よりも把握しておきたかったはず。ルルーシュと同じ、相手の意思を見ない押し付けです。
結局この二人はちゃんと話し合わなかったせいですれ違います。
ルルーシュが一緒の暮らしに唯一触れているのが、最終話ダモクレス内での会話時。
ナナリーとの暮らしを拒否しているように聞こえますが、ここでルルーシュが否定しているのは一緒の暮らしではなく望みそのもの。「一緒には暮らせない」ではなく、「それはお前の望みではない」と言っています。
ルルーシュが明日を迎える世界の実現を目指したのには、ユフィの他、ナナリーへの弔いが含まれていることを『R2』22話で仄めかしており、実際にナナリーの目指す世界と一致してます。初期とは違い、最終話時点でのルルーシュはナナリーの願いが見えていると考えられます。
なので上記の洞察も当たっている可能性が高い。ナナリーはルルーシュと暮らせれば何でもいいわけでは無かったことになります。
ではルルーシュと同じように、一緒に居ることより将来の方が大事だと考えてたんでしょうか?本人は口に出して否定しているのに?
なんてことはありません。一緒にいること、優しい世界の実現、自分の未来、全てひっくるめたのがナナリーの本当の願いだったってだけの話です。(コードの引継ぎによる死よりも深層心理に秘めていた愛されたい願望を本当の願いと捉えた、というC.C.のケースと同じ構図になってます)
とはいえルルーシュは本人から「人殺し」と拒絶されている上に、見限った両親と同じくナナリーの命を一度切り捨ててきてます。もはやナナリーの願いの中に自分は存在してないし、真相を知った後も自分を許すことは無い、と考えていてもおかしくありません。
ナナリーもルルーシュと同じく最終的に憎しみの連鎖を断つつもりでいます。それを知ったルルーシュからしてみれば、下手に真相を話すと共犯者にしてしまいかねず、役割を貫けばこれ以上罪を重ねさせることもなく、願いも叶えてあげられる…と思える状況。
ナナリーの意志を捻じ曲げられずにいたルルーシュを後押しします。
真実を明かせないルルーシュはギアスのかかったナナリー相手にしか本心を伝えられず、ゼロレク時のナナリーの本心も僅差でルルーシュに伝わらなかった・・・という悲劇的なすれ違いが兄妹の物語として成立していました。『復活』が出るまでは。
この”すれ違い”はコードギアスにおけるテーマの一つとなっています。ルルーシュとスザクの関係然り、スザクとカレンの関係然り、根っこのところで目的は共通しているのに何かが噛み合わないせいで対立してしまう。
最終話におけるナナリーの「私はお兄様だけでよかったのに」というセリフは、二人のすれ違いを端的に表しています。原因となっていたのは「一緒に居たいという願いをルルーシュに伝えなかったこと」と「幸せになってほしいという願いをナナリーに伝えなかったこと」、その原因を生む発端が折り鶴に願いを込める一連のやりとりであり、ゼロレク遂行直前でのニーナ達の会話が暗に示す"些細なすれ違いからきた出発点"なのでしょう。
再会したナナリーはとうとう本人に一緒の暮らしを望みます。これこそまさに二人がナナリーの本心を基としてすれ違ってたことの裏付け…になるはずだったんですが。
すれ違うきっかけとなっていたはずの願いを、しかも物語を締め括ってる場面で断ってしまったら、それはもう初めからナナリーの意向次第で行動を変えるつもりが無かったことを示唆してしまいます。
すれ違いとは何かが一つ違えば別の運命になるからこそのすれ違いです。そこを改めてもルルーシュの行動に変化が生じないなら、そもそもすれ違ってすらいません。
でもナナリーの本心をユフィから聞かされた際に、決して呑めない提案であるはずの特区日本設立を受け入れようとしてましたよね。あれはナナリーの願いを知ったからこその決断でもあったはずでは?
また、本編ではルルーシュとスザクの共闘が実現されてますし、『復活』においてもスザクとカレンが同陣営下で戦えていることについて「君とこんな話ができる日が来るとは」なんて言わせているあたり、ギアスではすれ違いを正せたら相応の結果が実るのを作り手も意識しているはず。
あとは帰ってきたルルーシュがナナリーの願いを受け取るだけで作中最大級のすれ違いの結末を描ける状態だったのに、いまさら撤回だなんてことしますかね。
■願いを断る立場とは思えない返し方をするルルーシュ
ローデュスの民家でナナリーが思いを伝えるシーン、ルルーシュはナナリーの提案に対しとても優しい笑顔で「ありがとう、ナナリー」と返します。
ナナリーの成長を感じた、自分の中にある罪悪感を察してくれた・・・など色んな受け取り方ができますが、笑顔を見せた意図が何であろうと願いを叶えてあげられないという事実に変わりはありません。
ナナリーの願いに自分との暮らしがあったことを把握してないわけがなく、ルルーシュからすれば笑顔なんて見せられたものじゃないはず。
本来なら申し訳無く思うべきなのに、あの表情からはそんな気配が欠片も感じられない。こうなるともう、ルルーシュはナナリーの願い自体に興味が無いとしか言い様が...。
しかし人の願いを大事に思うからこそ約束を重要視するし、願いを抱いて未来に向かえるようにするゼロレクイエムの動機へも繋がるわけで、よりにもよってナナリーの願いに興味が無い…というのはいくら何でもルルーシュのキャラ像に合いません。
■ナナリーの提案の意図
二人の対話シーンでは、まるでナナリー自身がルルーシュとの暮らしを求めているかのような描かれ方をしていましたが、ナナリーは自分のことを第一に何かを願ったりしないはずです。
C.C.やスザクも言えますが、ギアスにおける善性のキャラクターは自分のためだけに他者に何かを求めはしませんし、したとしても因果応報として返り、過ちとして本人に受け入れられます。逆にシャルルやマリアンヌなどは、自分のことしか考えない身勝手な願いを持つ人物として描かれています。
『R1』5話でルルーシュとC.C.が婚約関係にあると思い込んだ際、自分の傍からいなくなってしまうことを残念に思いながらも受け入れようとし、『R1』12話では「今だけは手を握っていて欲しい」とも言っており、いつまでも一緒に居られるわけではないと考えていた節はあります。
『R2』6話では「ずっと兄に守られてきた」「兄に見られても恥ずかしくない選択をしたい」と言っており、この時点で既に願いを諦めているように見えます。
その上『復活』時点で責任ある立場にいて、フレイヤ関連で罪を負っていて・・・正直な話、(本心を伝えなかった結果ルルーシュの死を招いた後悔があるとしても)いまさらナナリーがルルーシュを求め出すのは不自然です。そりゃまあ一緒にいられるものならそうしたいという気持ち自体は持ってるでしょうけども。
昔の暮らしに拘るのも変です。ナナリーは一貫してルルーシュと共にいられる「だけでいい」と言ってます。そこに条件を付けるのはナナリーらしくない。
上記の台詞を言う直前に、ルルーシュは「ここ(この世界)には居られない」と言い、ギアスのかけら回収の旅に出て行きます。つまりルルーシュは依然として平穏と程遠い世界に身を置き続けるつもりでおり、ナナリーが昔のような暮らしを求めた理由もそこにあるのだと思います。
また、ここには居られない発言に関係することですが、なり損ね化したルルーシュは人間の世界に干渉しないスタンスをとっています。
撃たれても死なない自分は撃たれる覚悟の持ち様が無い。だから人間の命を左右する立場にいられない、という意味でしょうか。
つまりルルーシュに寄り添おうとした場合、必然的にナナリーも俗世を捨てなければなりません。
「罪が平穏に生きることを許さないなら自分もすべてを捨てて傍に寄り添う。だからもう危険な世界に居続けるのはやめてほしい」という意味に解釈しています。
ルルーシュの信念を尊重するために世を捨てる選択をし、ルルーシュの安全を求めたら昔の暮らしを求める形になり、同時に過去持っていた願いと一致することにもなったと。
■スザクの提案の意図
スザクは作中で二度、ゼロをルルーシュに返そうとします。
結団式中と、上記台詞、ナナリーがルルーシュに提案を伝える直前。
結団式でゼロの役目を返そうとしたのはルルーシュの方が適材だからってことで納得できます。しかしゼロをやれない理由を説明されていたにもかかわらず再度、それも「しかし」と食い下がってまで返そうとするのはおかしい。何か他の事情があることになります。
と言っても他人本位の塊みたいなスザクが「ゼロをやりたくない」だとか「自分の傍にいてほしい」なんて自分本位な動機でせがむとは思えません。
ゼロに戻すことでルルーシュをナナリーの傍にいさせようとしたんだと思います。仮初めでいつ消滅するかもわからないんだったら尚更ナナリーの傍にいてあげてほしい、とスザクなら思うはずです。何せナナリーが泣き叫んでいるところを一番近くで見ましたからね。
つまりナナリーとスザクの提案の意図とは、それぞれ「ルルーシュに安心して過ごせる世界で生きて欲しい」「ルルーシュをナナリーの傍にいさせたい」だったわけで・・・。
気づいた人もいるでしょうが、この二つはかつてのルルーシュが二人に対して一方的に押し付けた、そして最終的にちゃっかり叶えてる「ナナリーに安全な世界で生きて欲しい」「スザクをナナリーの傍に置きたい」願いが自分自身に跳ね返ってきたものです。
■ナナリーの願いを受け入れるためのシチュエーションが整い過ぎている
ルルーシュが旅立つ直前のやりとりは、特区日本設立時のユフィの願いを彷彿させる場面になっています。
仮にルルーシュがゼロに戻った場合、結果としてスザクは自分の地位を捨てることになります。そしてルルーシュとナナリーをくっつけることがゼロを返そうとした理由の一つにあった場合、スザクの動向はかつてのユフィに重なります。ユフィが自分の皇位を捨てたのは、特区日本にゼロを受け入れることで二人が離ればなれになるのを防ぐためだったので。
ナナリーの台詞の「一緒に暮らしましょう、昔みたいにまた」も、明らかに『R1』20話でのユフィの「ルルーシュ、また昔みたいに(ナナリーの傍に居てあげて)」を意識してますし、ユフィの願いが再度ルルーシュに伝えられる構図になっています。
また、このシーンはゼロレクイエム周りの構図も再現されています。(両手でルルーシュの手を取りながら話すナナリーや、ゼロ服を手に掛けたスザクが二人を傍で見ている点など)
ナナリーが伝えられなかったことを伝えている場面なのは間違いないのですが、ゼロレクイエムの状況を再現することで演出を強めているわけです。
それとルルーシュ、Cの世界で落ち続けてたときにナナリーの意志を汲もうとしてるんですよね。
『R2』ダモクレス戦時はナナリーの意志よりも未来を優先、ギアスを使い意志を捻じ曲げ、ナナリーが背負おうとしていた罪を一方的に受け継ぎます。
『復活』で似たような状況になり、「せめてナナリーだけでも」と、再び自分の命を度外視しナナリーの身を優先しますが、今度はギアスの使用をためらいます。
ナナリーに対する姿勢が最終回のときから変わってないならわざわざ問いかける意味は無いので、罪の行き処をナナリーに選択させようとしたということです。ダモクレス戦時とは対称的に、ナナリーの身より意志を優先します。
直後に周りの意識から助けられて事無きを得た結果、ナナリーの意志を受け入れる話が宙に浮いたままになります。ナナリーからの返答はローデュスでの会話時点まで先延ばしになり、「お兄様だけが罪を~」へと繋がっていきます。
ギアスを使った結果が『R2』での「ナナリーから鍵を取るルルーシュのシーン」に、ギアスを使わなかった結果が『復活』での「ルルーシュの手を取るナナリーのシーン」へと繋がりますが、どちらもルルーシュがナナリーの前に片膝をつく画で完全に一致してるあたり、ルルーシュの選択同士及びその結果同士でそれぞれ対比ができあがっています。
その後どちらも「ありがとう、ナナリー」と続き、やはり画が完全に一致(※『皇道』だとダモクレスでのセリフの下りはカット)。こちらでも対比関係が作られていると考えられます。前者はナナリーとの「別れ」を暗示するニュアンス、ならば後者は別れの対比的な意味合いとなります。
ルルーシュが台無しにしたユフィの願いを彷彿させ、ゼロレクエイム時の状況を再現し、ナナリーの意志を受け入れる素振りを見せ・・・。すれ違いの存在を匂わせる提案内容といい、最終的に断るならここまで下地を整える意味がありません。
ルルーシュの笑顔が拒否前提のものと思えないことも加味すると、『復活』での「ありがとう、ナナリー」は提案の承諾と解釈すべきです。
■C.C.をまっすぐ見ずに話しているルルーシュ
といっても、現にC.C.を追ってきたときのルルーシュの台詞によって断られたことが示されてしまってます。
その上で受け入れている可能性を探るならば、ルルーシュが嘘をついていると考えるしかないでしょう。
そして実際に、このときのルルーシュはC.C.の顔を見て話していないという、嘘をついていると判断でき得る描かれ方をしています。息を切らせているせいで終始わかりづらいですが。
ルルーシュは後ろめたさのある嘘をつくとき、相手の顔を見ずに話すことが多いんです。『R2』の土下座回がわかりやすいですね。
「ナナリーは・・・」と息を整えているところまではC.C.を見ているはずですが、その後「ナナリーはもう立派に~」と話し出す際に頭が少し下がったことで視線が下を向きます。
そして「ナナリーはもう立派に生きられる」と「そこに俺がいても邪魔になるだけだ」というセリフ時の二つの絵。
これらは、一息つくモーションを挟んで存在します。私は最初、前半と後半でまったく同じ絵を使い回していると思っていたんですが、よくみると新規に描き直されていて同じではありません。そして視線の向きだけが明確に違う。後半では上目遣いになっています。
まとめると、「ナナリーはもう一人でも立派に生きられる」と言っている間はC.C.の顔より下を見ており、「そこに俺がいても邪魔になるだけだ」の間は顔を見てはいるが上目遣いで見ていた…となります。
ようするに、説明の間C.C.の顔をまともに見てなかったってことです。
■ルルーシュの説明を受けて不機嫌になるC.C.
ナナリーと別れた理由を説明をした後、C.C.の機嫌はどんどん悪くなっていきます。(両腕で押しつぶされて怒り顔に歪んでいくもこちーがC.C.の心情を表している)
ただこれ…よくよく考えると、怒る理由がわからない。ルルーシュは聞かれたことに答えただけです。これが例えば、「なぜ私について来ようとするのか」って問いに対し、ナナリーやらシャーリーやらの話を持ち出されたのなら怒るのもわかりますが。
来るのが遅かったから不貞腐れたのか?とも考えましたが、別れを惜しんでいたところにやってきたのですから、そこは幾分か嬉しむはず。少なくとも怒りはしないでしょう。
ひょっとして嘘をつかれていると思ったから怒ったのでは?ルルーシュの目を逸らす嘘はバレるまでがセットなので。
また、後述しますがC.C.はルルーシュがナナリーの願いを聞き入れたと確信できるほどの何かを目撃しています。そんなC.C.が上記の説明だけで納得するとは思えません。
それにルルーシュが嘘をついてると仮定した場合、そのことに気づいてなければラストのC.C.の笑顔が茶番になりかねませんしね。
■ルルーシュの元を去ろうとするときのC.C.の挙動
C.C.はそれ以前にも不自然な挙動を見せています。
ナナリーとルルーシュが話し合ってスザクの微笑むカットが挟まれた直後、俯瞰視点でC.C.が民家からゆっくり去っていくカットでの話。
ルルーシュのことを想って自ら身を引くC.C.を表現している場面と取れるわけですが、このときのC.C.の目の前にある家はルルーシュたちのいる建物。そしてC.C.が向いている方向は建物の開口部分。つまりC.C.は二人のやりとりを遠目にずっと見ています。
(本当にC.C.からルルーシュたちが見える位置関係かどうか一応検証しましたが、ナナリーが「一緒に暮らしましょう、昔みたいに」と言ったときの角度で見える位置取りになってました。横向きになったナナリーとルルーシュが互いに向き合っている絵です)
このカットが入るのは二人が話し合ったシーンの直後ですから、普通に考えればルルーシュが誘いを断るような絵面になっているはず。
にもかかわらず、座ってルルーシュ達を見ているC.C.がゆっくり立ち上がり、後ずさりし、方向転換し去っていく、という・・・本来ならC.C.がその場に残って然るべきタイミングで、真逆の行動を取ってしまう。
しかも方向転換する直前、前のめりになって何かを注視する妙な動きをとったりもしています。
つまり、方向転換する直前まではルルーシュがナナリーの願いを受け入れると思えるようなやりとりが行われており、C.C.が注視した段階で受け入れたと確信できる何かがあった、と考えられます。
■ルルーシュに呼び止められたC.C.の反応の仕方がおかしい
その可能性を後押しする奇妙な点が、ルルーシュがC.C.を追いかけてきた際、なぜ追ってきたのかをまったく理解できてなかったこと。
二人とも表に出られない存在なのだから、ルルーシュがC.C.と共に行動しようとする可能性は客観的に見ても十分あります。ましてやC.C.は作中で「ルルーシュが公に救助されるわけにはいかない」「私は表だったグループに入れない」と発言しています。約束のこともありますし、ルルーシュが実際に追ってきたのなら、自分と共に行こうとしてることに感づかないはずがありません。
その上でナナリーの方をどうするのか聞いてきたということは、「ナナリーの願いを放置していくはずがない」とC.C.は確信していた、つまり、そう判断できるだけの何かを目撃していたということではないでしょうか。
■現にナナリーを置いてC.C.についていったが?
実際に去って行ってるわけですから、その上で聞き入れているとなると最低でも「いずれ一緒に暮らすつもりでいる」と考えなければなりません。
とはいえ一緒に暮らすと言っても本当に昔の、学園生活をおくっていた頃のような状態に戻るのは考えられません。経験の積み重ねを非とするコードギアスのテーマにも背きますし、本来ナナリーにとっても好ましい形ではないはず。
人は未来に進み続けるべきと考えるからこそルルーシュと同じ世界を望んだわけで、それでも昔に戻ろうとしたのは、わがままに対する対価、謝罪に対する誠意という側面が強い。
また、二人とも世界に対し責任を負っているという問題もあります。そこも解決しつつ一緒に居られる方法となると、スザクの言うようにルルーシュがゼロに戻るしかないと思うんですが。
結論を言うとルルーシュとスザクが二人ともゼロになり、交代でナナリーの傍にいるよう取り決めたのではないかと思ってます。
スザクとルルーシュ二人でゼロを担うのであれば、仮にルルーシュが突如消滅してしまったとしてもスザクがフォローできますし、説明は省きますが、C.C.はもとよりスザクとの関係性も尊重する道となると相当絞られるので。
また、ルルーシュは俗世に手を出さないスタンスをとってましたが、実際にスザクとナナリーの救出に介入してしまってる以上、完全に否定できる根拠にはなりません。
■C.C.とナナリーの扱い方がテレビ版のオマージュ?
『R1』が『R2』の話の流れに倣っているように、『復活』は所々で本編の話運びをなぞっています。
テレビ版ラストはナナリーとの関係を引き立てる一方でC.C.との関係を適当に扱い、しかし二人の願いがいずれ叶うと推測できるだけの伏線を残してた(C.C.はダモクレス戦時での約束、ナナリーはラストの折り鶴によって)わけですが、『復活』は立ち位置を入れ替えた上で同じ手口を使ってるんじゃないかと思うんです。
C.C.の願い成就を目立たせる一方でナナリーの願いは軽くあしらい処理、そのまま物語を完結させた・・・ように見せかけることで、受け手に心残りを作らせようとしたのではないか。
コードギアスはそういうことする気がします。『R1』も『R2』も見終えた側にダメージを残す作りになってましたからね。
■最後に
色々書きましたが、ルルーシュC.C.ナナリーよりスザクに着目する方が結論に行きつきやすいかもしれません。
何せルルーシュをナナリーの傍に置くことがゼロを返そうとした理由の一つにあった場合、スザクが最後に見せた意味ありげな笑みは、ルルーシュがナナリーの願いを聞き入れたことへの確信・安堵としか捉えられなくなります。あの表情はスザクの頼みが断られる流れを踏まえたものなので。
…スザクについても語りたいことが色々あるんですが、あくまでナナリーが話の本筋なので・・・。他にも、
・L.L.を名乗ることは過去を捨てるどころか過去を捨ててないことを意味する
・ナナリーはコードギアスにおけるもう一人のヒロイン的立ち位置
・心残りがあったのは最終話のナナリーの慟哭が聞こえてたから
等々書きたいことが山ほどありますが、記事が膨れすぎるのでこの辺にしときます。
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