必要とされるうちは、幸せなこと
働けることは
幸せなことではないのかと、思う。
健康でなければ働けないので、自己管理は当然の前提のこと。
知り合いの不動産屋の社長は、よく嘆いていた。
息子は、跡継ぎとして、会社に入ってくれた。良かった、ひと安心だと言っていた。
社員も優秀な人がいてくれるから、育ててくれている。結婚もしたし、文句はないのではないのかと、思っていたが
書類の最後は、社長が立ち会い書類を完成させなければならないというのである。
早く、引退したいのに出来ないと嘆き始めた。
息子は、そんなにバカな子ではないと聞いているのだけれど
どうしても、宅建の試験が受からないというのだ。
昔は割と簡単に受かったらしい。
講習に行けば、受かったらしい。
近年は、それではならぬと
まともな試験になったらしくて、何回受けても、受からないらしい。
だから、
いつまでも、現役で社長として契約をしているというのだ。
良いじゃないの
いつまでも、必要とされるのは、価値ある存在でもあるし、元気でいられるのではないのと
本当に思ってます。
いまは、
もう、お役御免になったかな?
会長になり
息子が社長就任したから
あの嘆きごえは、
生き甲斐に現役で働かせてもらえるエネルギーだったのかも知れない
ふと思います!
必要とされることは
幸せなこと。
今日はディケアに出掛けてくれた。今は、毎日ぴったりの生活をしている。
これが幸せなのか
面倒くさいのか、
厄介なのか
お昼に帰ってきて、ひとりカレーうどん作って食べた。
居ないから、ホッとしてるんだけど、なんとはなしに寂しさ覚えた。
わたしを今日は必要としてくれないんだ。ディケアで過ごしてるんだ。
ふと、居ないとは寂しいんだと味わった日です。
ブルーベリーは夫の植えた物。
今年も実を付け始めました。