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同人女が考える、完成に必要な熱意の話

こんばんは、二次創作の小説書いてる者です。最近ちょっと考えたこと聞いてほしい。

たとえば一つの作品仕上げるのに熱意が10必要だったとして。
「そのジャンル/キャラ/CPへの愛」と「そもそも小説書くのが好き」って気持ちを比率にしたら、私は3:7くらいで小説書くのがそもそもわりと好きなタイプの字書きなんですが。
この比率が極端に異なるタイプだと、同人界隈で友達にはなりにくいような気がしている、という話。
 
※便宜上、私が字書きであるが故、「小説」の創作する人中心の話として書いてますが別に「絵」や「漫画」でも変換できると思う。
※※以下は、両極端な人というイメージです。あくまで偏見。どちらが好きとか悪いとかもないよ。
 
「そのジャンル/キャラ/CPへの愛」:「そもそも小説(漫画/絵)創作するのが好き」
・9:1くらいの人
この推しが好きで好きで好きであふれる思いを形にしたかったので、文章書くの嫌いだしめんどくさいけど考えたことを表現する手段としてとりあえず小説書いてみた!って人のイメージ。フォロワーと集まると、ひたすら推しの話で盛り上がる。創作するしない問わず、推しキャラやCPが合えばジャンル内での友達は作りやすい。
 
・1:9くらいの人
文章が書きたくて、創作をしたくて、ジャンルやCP探してるような人。こういう文章が、物語が書きたいな~っていう希望がまずあって、それにしっくりくるものを探しているイメージ。フォロワーで集まると、推し語りより字書きあるあるとかの話題が多くなりがち。ジャンル内での友達作りはちょっと苦手。でも創作への姿勢やこだわりで繋がれるので、ジャンル離れても長年仲良しな友達が数人いる。
 
という感じで、あくまでイメージ!何度でもいうけど想像の話ね!!
ここまで極端な人は少ないと思うけど、同人やる人の自己分析の指標のひとつとして「ああ私6:4くらいかな」とか、「どっちも大好き!5:5!」とか考えてみるの面白くないですか?こういう話好きなの私だけ?
 
冒頭でも言いましたが、どちらかというなら私は後者寄りの3:7くらいかなと思っている。時期にもよるけどね。人間はいつだってグラデーション。無常が常。
 
「小説書くのが好き」だけでちゃんと書ききれるならたぶん二次創作はやっていない、私は。一次創作で途中投げ出した作品が昔のフォルダにごろごろある。プロットまで仕上がってるものも多いのに、どれも完成させられなかった。小説を書き続けられるほど、自作の物語やキャラに熱意が足らなかった。完成させたら人に見せるんだ!って意欲も。
でも、二次創作だったら違った。推しCPの小説なら、ちゃんと書き上げることができた。本も何冊か出せるくらい。「見て~この二人かわいいでしょ~~」って人に見せたくなった。
昔一次で考えていたあらすじを、推しに使えるようにアレンジして完成させたとき、足りない熱意を推しへの愛が補ってくれたんじゃないかって気がして、こんなことを考えてみました。
 
二次創作だろうが、小説や漫画を一作品仕上げること、特に本なんか作れるくらいのもの仕上げるのって大変なことだと思うんですよ。
情報と技術の発達で調べれば大概のことが分かるご時世、昔に比べれば年々同人誌作るのも楽になってってるし人も増えてると思うのですが、それでも。「完成させる」そのこと自体がめちゃめちゃ大変なんだ。
同人やってる人みんな、あなたの熱意がどこからだろうが、みんなめちゃめちゃすごいよ、すごいことをしている。悩むこと多き同人生活でも、その点だけはどうかいつも誇っていてほしい。
 
あと、はじめに友達になりにくそうとか言ったけど、同人界隈でもどこでも、良好な人間関係の基本は互いへのリスペクトだと思うので、何かが両極端だろうがリスペクトがあればいくらでも良好な関係は築けると思う。
(私は最近小説書くの嫌いな字書き(=10:0の人)の話めちゃめちゃ聞いてみたい。書くの好きでも苦しいのに、キャラ愛だけであの苦行乗り切ってるのすごすぎないか。その愛の大きさ聞かせてよ)
 
人間もオタクもいろいろいるからこの世は面白いですね。
 

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