シェアハウス・ロック(or日録)0227
無伴奏チェロ組曲(バッハ)を聴く
前回お話しした『戦争論』(西谷修)を図書館で借りるついでに、バッハを三枚借りてきた。アンナー・ビルスマ(無伴奏チェロ組曲1、3、6)、シモン・ゴールドベルク(ブランデンブルグ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲)、それから特に名を秘す演奏者による無伴奏ヴァイオリン組曲。
アンナー・ビルスマはバロック・チェロも、モダン・チェロも弾く人で、その解説に書かれている発言がおもしろかったので、それを紹介する。おそらくライナーノーツの筆者がインタビューし、それへのビルスマの答えが中心になっている。
彼の答えが、昨日わかりにくかった<存在><無><脱存><体験>といったあたりの解説になるのではないかということから紹介するわけである。ただし、翻訳がひどく、日本文もひどいので、なるべくその通りに紹介するつもりだが、目にあまるところはリライトしている。
なお、ビルスマは1934年生まれ。私の好きなチェリスト、ヨーヨー・マ(1955年)、ミシャ・マイスキー(1948年)と、 ロストロポーヴィチ(1927年)の間に生まれたことになる。
ビルスマはなかなか愉快な人で、次のように言う。
私は(中略)バッハを聴かされるといつも飽きてしまう。それどころか初めのうちは自分で奏いていても飽きてしまっていた。
おいおい、大丈夫か。でも、そのあとは至極まっとう。それどころか、なかなか鋭いことを言う。
チェロ組曲のサラバンドを、ついつい大げさなドラマにする演奏が多いが、あれは決してドラマではない。サラバンドは舞曲なのです。
そうそう。そういう演奏が確かに多い。
バッハのチェロ組曲の偉大さは、そこに書かれている音符と同様に、そこに書かれていない音符によります。
バッハの作品は全て、極めて単純な基礎の上に組み立てられています。その基礎とは確固たる低音(バス)の進行です。
低音の順次進行が、実際に音が鳴っていないのに聞こえて来るのです。
これはものすごい発言である。これが、私には、前回申しあげた「なぜ存在が在って、無が在るのではないのか?」の解説に聞こえる。<非在>の音は私にも聴ける。<非在>がわかるようになると、<存在>もよりわかるようになり、<無><脱存>もわかるようになる。私は、音楽を軸にして、いろいろなことがわかってきたと、このライナーノーツでまたまた確認したことになる。
次の発言は、なかなかの名探偵ぶりである。また、「解説の解説」になっている。
ヴァイオリンではチェロよりも沢山の音が一度に奏けるので、チェロの場合ほどは多くの<暗示>を与えません。そんなことが、無伴奏ヴァイオリンのための曲集の方が先に出た理由なのでしょう。
最後になるが、特に名を秘す演奏者による無伴奏ヴァイオリン組曲は全然ダメだった。これだけひどい演奏を、私は聞いたことがない。もちろん下手ではない。どちらかと言えば、上手い部類であることは間違いがない。だけど、全然ダメ。
一番近い言葉で言えば、お嬢さん芸である。もちろん、お嬢さんに生まれたのはこの人の罪ではない。でも、それを超克しなければ演奏家としてはダメだろう。
ああ、昔々、チッコリーニというピアニストに感じた違和感と似ているな。私は、チッコリーニに、「指が速く動けば偉いのかよ」と思ったのである。