シェアハウス・ロック1128

宇和島紀行2

 松山空港に降り、宇和島に向かう前に道後温泉に寄った。夏目漱石の「坊ちゃん」が下宿から汽車の「上等」に乗り、通った温泉である。
 バスを降りた真ん前に「坊ちゃん時計」があった。毎時ちょうどに「坊ちゃん」の登場人物が姿を現し、音楽に乗ってパフォーマンスを繰り広げる。人が大勢集まり、一方向を向いているので、「なんだろう?」と思っているうちに、それが始まったのである。
 最上段は「マドンナ」で、その直ぐ下に「坊ちゃん」がおり、その隣の女性は、たぶん「清」だ。「清」は「坊ちゃん」の家の婆やであり、「坊ちゃん」にとっての母親代わりである。その斜め上にいるのは、「たぬき」(校長)「赤シャツ」(教頭)。その下にいるのが「山嵐」だろうと思う。「山嵐」の両隣は誰だかわからない。ひとりは「うらなり」だろうか。
 これらは、60年以上前に読んだ記憶なので、相当にあやしい。出版社も忘れてしまったが、文庫本サイズでヘンに分厚い本で『坊ちゃん・三四郎・それから』というものを読んだのだった。『三四郎』は途中で挫折。『それから』は一文字も読んでいない。あたりまえだよなあ、小学生だもん。『三四郎』がわかる小学生なぞ、気持ちが悪い以外の何物でもない。
 松山から宇和島へはJRの特急で。駅までマエダ(夫)が迎えに来てくれていた。
 その足で「ほづみ亭」に案内され、そこで夕食。マエダ(夫)の強要によって、次の日運転手を務めてくれるマエダ(夫)の親友・セイケさんに紹介される。すみませんねえ、明日はよろしくお願いします。
「ほづみ亭」は、穂積陳重にちなんでいるのだろう。穂積は平生「老生は銅像にて仰がるるより万人の渡らるる橋となりたし」と言っており、死後銅像建立の話が持ちあがったとき、遺族は生前の穂積の言葉からそれを固辞し、本当に橋になってしまった。
 この話だけでも、宇和島市民の民度がわかろうというものだ。言った穂積も偉いが、本当に橋にしてしまった市民、行政も偉い。
 その橋の傍には、上述の言葉が刻まれた石碑があった。その石碑から小さな川を挟んだ向かい、その橋を渡ったところが「ほづみ亭」である。魚が全部うまかったが、太刀魚は絶品。地酒も絶品。
 穂積陳重は、1866年アーネスト・サトウの宇和島来訪時、サトウを自宅に泊め歓待したことでも知られている。

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