蝿の王と蛆の姫⑧
監督の言葉を思い出す。
「昔読んだジュブナイル小説のタイトルがどうしても思い出せないんだ」
「それも冒険ものなんですか?」
「いや、それはどちらかっていうとアレだな。ボーイ・ミーツ・ガールって感じだな」
「恋愛小説?」
「うーん、なんというか恋愛未満小説という感じだったかな」
本音を言うとき、監督は目線をわざと逸らす癖があった。
「できればそういうのを撮りたかったんだ。けど、もう俺の年齢ではそれは難しい」
監督はいつものポーカーフェイスに戻る。
そんなやりとりをした事をふと思い出す。
「まってくれ、撃たないでくれ」
物陰から低い姿勢で飛び出すと、案の定少女が、こちらに向かってボーガンの矢を向けてくる。
常に装填した状態ということは、警戒していたという事だろう。
「あれれ? こんなところに人?」
まだ幼い顔つきの少女が前に一歩進む。
「イノシシ狩りとか?」
場を和ませる為の冗談のつもりだったが、我ながら面白くはない。
体格のいい少年は、笑わないどころか少し怒った口調で
「そうだ。俺たちは大きな獲物を狙っている 」
と言った。
「イノシシじゃなくて、熊だった?」
これも、全く面白くない。
「雪人、こいつ撃っていい?」
少女はさらに近付いてくる。
「お嬢ちゃん、駄目だよ。飛び道具を持ってるなら距離を詰めない方がいい。そして、ここまで近付かないと当てられないなら、尚更意味がない」
普段の中年の身体なら、そのような跳躍はできなかっただろう。
主人公補正とか、あまり信じていないが思ったように身体が動く。
武器を奪って、少女を組みふせる。
怪我をさせたくないので、手が自然に離れるように関節を軽くひねる。
少年が逆上して襲いかかってくるのを目の端でとらえ、ボーガンの矢だけを少女の首筋に近付ける。
気休めだが、この距離でボーガンを構えるのは愚策だろう。
「正当防衛だからね」
「リカを離せ!」
「こっちは撃たないでくれって言ったよ」
「離せ!!」
こうなると、人質があろうが関係ない。
しかも、こっちは本気で傷つけるつもりがないのだから分が悪い。
「ばぁかぁ、おに〜」
暴れる少女を抱えるのは難しい。
下手に動いて怪我をさせてしまったら、殺されそうだ。
「わかった、わかったから」
解放すると少女は雪人と呼ばれる少年の方に駆け出した。
ふたりとも戦意は喪失しているようだが、矢で間合いだけはとっておく。
「僕のこと見覚えないかな?雪人くん」
「リュウジ、てめぇの顔を忘れた事はねぇよ」
明確な敵意を感じたが、同時にそれは路木リュウジと虹坂ユキトとのライバル関係からくるものだと悟った。
「君達はNPCか?」
「……なんのことだ? 」
少女もプレイヤーとしての自覚があるようには見えなかった。
「まぁ、いいや。これから話すのは僕の独り言でしかないし、君達にはなんの関係もない話かもしれない。福籠寺の山賊共が村を襲撃しようとしているらしい。でも、今から村に戻っても僕達に出来ることはたぶんない。」
「なんだと!ふざけるな!」
「お母さんとマコちゃんが」
「子供だけでは太刀打ちできない」
少なくとも、こんな玩具のボーガンでは無理だ。
「リュウジ、それを知っててお前はここで何してんだ!」
「うるさい!ちょっと黙れ」
自分でも、出したことのない声が出る。
「今はまだ駄目だ。戻ったところで襲撃を早める結果にしかならない。でも、なんとかしようとは思っている」
見ず知らずの村人だが、この世界にいる自分にとっては家族なのだ。
「たしかに、リカを連れて行くわけにはいかない。でも、俺は村に行かせてもらうぞ」
「私も行く」
このゲームの根幹は、襲撃そのものの回避ではない。
ユキトは、恐らく死なないのではないだろうか。
「分かった。助けられるなら、できるだけ多くの人を逃して欲しい。でも、無茶はするな」
「お前に言われなくても、解ってるよ」
「あぁ」
「リカに怪我をさせたら、ぶち殺すからな」
「わかった。ところでユキト、今朝俺のことを殴ったりしたか?」
「今朝?なんのことだ?」
「いや、知らないならいいんだ」
「じゃあ、俺は一足先に村に戻ってみる」
ユキトはそう言うと、木々の間の道なき道を滑り降りていく。
残った少女は付いていきたいようだったが、なんとか踏みとどまっていた。
「リュウジ、いつもと雰囲気違うな」
「そうかな、リカはいつもボーガン持ち歩く系の女子なのか」
「ばぁか、そんな訳ないじゃん。さっきそこのお堂で見つけたから試しに雉でも討とうかなって思ってさ」
躊躇なく人間に向かってボーガンの矢を向けるとは信じ難い。
大きな獲物を狙っているというのも、比喩ではなかったのか。
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