昭和的実録 海外ひとり旅日記 予測不能にも程がある トルコ編 13
日記_015 お手上げの7日間
1/ 2/ 3/may 1978
(月が丁度改っての久し振りのIstanbulではあったのだが、どういうわけか日記は3日間記載がない。
勇んで戻っては来てみたが、再び待たされることになったことへの諦観(と言ったら全てを理解して悟ることだろうからチョット違えて)、観念、お手上げ感ナンだろうなあ。)
(日記に忠実に 「記載なし」とします。)
コラム_20 日々是好日なり
「記載なし」に思うこと
Istanbulに戻ると何事もなかったかのようにホテル チャラヤンに向かう。
ホテルの主人からも特別な声かけも扱いもない。
それはホテル代の前払いをして出て行ったからなのだろう。
イスタンブールを離れる折に10日分を 前払いして、大きな荷物は部屋に置いて、サブバックだけの出立ちで出掛けたという訳だ。
3週間程空けたので、その不足分の清算さえすれば全て何事もなかったかのように元通り、Okai爺さんもまだ宿泊中ではあった。
日々是好日なり
やっぱり仮とはいえ、変わらずに帰る(戻る)処があるというのは人間、ホッと一息付けるものなのだろう。
高々3週間程度の滞在でフルサト気取りも些か気の引けるものなのだが、戻ってくるや以前から気に入っていた道順をなぞっては確かめたり、夕刻のあの辻の自転車のバクラバ売りのおじさんが健在であることに胸を撫で下ろしたり、しばらく振りのロカンタ(食堂)の料理の種類に変化のないことに安心してみたり、どうも自分の現在の存在意義を再確認しているようなフシがある。
それは多少アップダウンの激しかった日々に一喜一憂することなく、あるがままを受け入れようとすることに気付き始めたかのようにも見えてくる。
些か違うとすれば、夕方になると領事館に「何か動きはありますか」と電話する必要に迫られていることだけ。
日々是好日なり
おい、おい、禅宗の教え、そのままじゃないか。
悟りの境地かぁ〜
日記3日間「記載なし」に思うこと
4/may 判決降臨
今日も晴れ。(ふうぅ)
延々3時間待たされた挙句に、検事と裁判官のいらない儀式のやりとりが15分間続いて、無罪の判決が降臨してきた。
この15分のために。(ひと月半・・・待った)
そしてまた7日間、待たねばならない。(パスポートを手にするまでに)
しかしすでに怒る気も起こらない。
(とにかくイスタンを離れよう、それが精神衛生上のベスト・・・)
5/may 渋いぜ、黒海
まだ攻めてない黒海方面を目指すことにした。
黒海を見逃しては映画好きの名が廃るというものだろう。
何故か。映画創成期、トーキーでありながら映画を芸術の領域にまで高めたあのセルゲイ・エイゼンシュテイン「戦艦ポチョムキン」の舞台こそが黒海なのである。
案の定、南へとは様相が一変し、寧ろ日本の空気・景色に似通った印象が深くなっていく。山々は種々の緑を纏い、辺りは明らかに肥沃な農業地・酪農地の様相を呈し始める。
牛のたずなを母さんが前で引き、後ろでは父さんが鋤を畑に噛ませる。
荷役に駆り出された牛も、馬ほどは従順ではなさそうで簡単には進んでくれない。
(おーい 畝が曲がってるぞ)
大きな街に入れば、精錬所らしきコンビナートなどの産業の出で立ちも見え始めてくる。
Şileは崖の上から黒海を見下ろす街で、黒海に寄りかかった典型のリゾート地、今はシーズンオフだ。
陽気なイスタンブールのハイスクール5人組と出逢った。
試験休みの小旅行らしく、解放された彼らの高いテンションは、言葉の障壁など何するものと俺との意思の疎通ゲームを楽しむ如くアテもない駄弁り合いとなり、時は時間を忘れ夜半まで続いていく。
勿論、俺のテンションも引きずられて行かない訳はない。
”卒業間近・_^¥ソルジャー志望、/大学・:目指す@」;メルセデス*10万円%高い$買えるけど^買わない>/日本#物価-]べらぼう*/}トルコ」)住み易い;&?・・”
結局、 ”>アシタ:^ミンナ:DE*%ピ_クニック]。イコウ!#・・”
コラム_21 黒海 「戦艦ポチョムキン」
そう、丁度この岬のずーっと向こうはオデッサの街なのだろう。
キナ臭い政治色を抜きにしても、「黒海」の名から「陽」の印象は持ちづらい。
モノクロームの戦艦ポチョムキンの鋭角な舳先のシーンから始まるこの映画もその「陰」なイメージに拍車をかけたようだ。
映画史に残る乳母車の駆け落ちるオデッサの階段シーンは人々に深い傷痕をも残したかもしれない。
しかし希望の光も残した。
共産党のプロパガンダとして製作されたとはいえ、エイゼンシュテインの試みたモンタージュ理論は映画に限らない、その後の時代を創る原動力の視座を教えてくれたように思う。
重厚長大な時代の中に埋もれてしまいがちな「個」が、現代のような軽薄短小な時代にあっても変わらず多種多様な切片として存在していることをきっぱりとした真実として示してくれたことは、「個」を発見することこそ時代を創ることなのだという大きな示唆となったはずだ。
では現在の映画界はどうなのと見ると、残念ながら「個」が持つ多重なポテンシャルのたった一つの「エンターテインメント」という面にしか眼が向いていないように思えるのは、些か淋しい思いがする。
6/may
朝から隣街、Kunbabaの海岸まで6人でピクニック。
早速、硬い砂浜の上で3対3に別れてフットボール。
(ははぁ〜ん、彼ら3対3でフットボールやりたかったんだぁ。俺、ただの数合わせ要員じゃん)
ヘトヘトになりながら、みんなが持ち寄ったランチをご馳走になり、今度は海に繰り出しボート遊び。
頭の中、カラッポ。
翌日は黒海沿いに北を目指す、と告げたら仲間の1人が同じ方向のAkçakocaに里帰りするというので同乗することとなった。
そのIrfanの説明では、ここからAkçakocaへのダイレクトな道のりは絶壁の海沿いの道、険しい山道の連続で3倍時間が掛かる。だからIstanbulに戻ってからAkçakocaに行った方が良い、ということで渋々(こういう話には苦難を選ぶ性癖があるのだが)従うことにした。
コラム_22 酒と言葉とサッカーと
この3つさえあればどこの国でも旅は楽しめる。
言葉はコミュニケーションの原点だから当然としても、俺のようなカタコト英語では、意思の疎通までは難しい。
(しかし機能だけなら現地語でなくともカタコト英語は十分(時間は掛かるけど)力を発揮する)
特にヨーロッパを旅するに当たっては、酒が下戸であっては楽しみは半減するだろう。
同様にサッカーの知見・経験は必修。
若者であれば何処にいってもまずはサッカー。
それは親愛の情の発露のみならず、ヒト試しさえも含まれていそうだ。
土埃の空き地で試合は始まる、のっけに社交辞令の2・3本のパスがくる(易しいグラウンダー、次に浮いたパス、そしてかなり走らされるパスと)。
サッカーの経験の無い俺は、当然不様にミスをする。
その後は自分より遥か離れた向こうで、サッカーボールは試合をすることとなる。
品定めをしているのである。
「カタコト英語・下戸・サッカー知らず」
これは旅の楽しさを相当損なう。
7/may 黒海の向こう側
翌朝Irfanとヒッチで行こうと勇んだのだが、不発。
バス待ちまでしばらく時間があったので砂浜に降りたら、子供の頃”タカラ貝”と呼んで珍重していた貝が点々と打ち寄せられているのに気が付いた。
(タカラ貝があったあの浜には、巨大なゴジラの滑り台もあったなぁ・・・関係ない)
へぇと思いきや、沖合の灰色のトルコの軍艦が視野に飛び込んで来て、再びあの戦艦ポチョムキンのくだりとダブってしまう。
膨らもうとしていた日本への望郷の思いは、見てもいないオデッサへの想いに奪われようとしている。