うつ体験記⑥ 泣き叫んだ心
こんにちは、ぽちといいます。
うつ病をきっかけに、6年目で会社を退職しました。
約5年ほど勤務できていた会社で、どうしてうつになったのか
ありのままをお話していきたいと思います。
前回のブログのように、
感情を無にして働いていた私は、
次第にこう思うようになりました。
環境も、周囲の人間も、
もちろん自分のことも
大キライ。
何のために働いているんだろう。
何で生きてなくちゃいけないんだろう。
何で生まれてきてしまったんだろう。
何でここにいるんだろう。
子どもの頃からこんな哲学的なことを考えて
苦しく思うことも多くて。
この世に生まれてきたくなかったから、
いっそ消えてしまいたい。
生きたくても亡くなってしまう人の尊い命と
交換できたらいいのにと、
こんなことは誰にも言えないまま、
自分の胸に抱えて生きていました。
幼い頃から生きることへのモチベーションがあまりなく、
そこに過労が重なったことで、
自分をただの働くロボットとして、
ボロボロになるまで使い果たしていきました。
夜もいろいろなことを考えて全く眠れなくなったり。
一人の時間は、泣いてばかり。
きちんと会社を辞めるという手順さえも
踏めそうにないほど追い込まれた私は、
私がいなくなれば、身体を壊して働けなくなれば、
この環境から逃げられるのになぁとそう思い始めました。
ケガしないかなぁ。仕事中に倒れたりしないかなぁ。
この線路に飛び込めば。ここから飛び降りれば。
きっと楽になれる。
早く楽になりたい。
そんなことばかりを考えていました。
朝は身体を誰かに押さえつけられているように感じるほど
身体が重く感じてベッドから起き上がるのさえ辛くなり。
夜中まで携帯で、ネガティブワードばかり調べてしまって
全く寝れなくなり。
そんなある日、職場で上司から急に
新規顧客の担当を言い渡されました。
全く自分としては興味のない業務。
その上、管理職の都合で
膨大な時間がかかる無駄な作業が付け加えられる危機になり、
これ以上もう我慢できないと思った私は、
上司に話しましたが話にならず、その上の上司とも話しました。
その時「私の意図をうまく伝えられていない」と指摘され、
もう一度上司と、リーダーを交えて話す機会がありました。
事前に意見をもらいたく
上司とその上の上司にメールを送信しましたが、
特に何の反応ももらえないまま、話し合いの日を迎え。
今でもはっきりと覚えていますが、
結局のところ、上司としては、
「その上の上司から言われたように私に業務をしてほしい。
自分として理由はないが、さらに上が決めたことだから仕方ない。」
の一点張り。
全く私の話に耳を傾けてもらえず、全く納得のできない状況で、
同席のリーダーも太鼓持ちで座っているだけで完全に上司の味方。
組織の抱えた課題は、私が担当であったとしても
最終的には組織として共に考え、判断・責任を取るのが上司の仕事だと
考えていました。
そんな状況で、
「じゃあ君はどうしたらこの人員不足の中でもより業務が回ると思う?
アイデア考えて」と一言。
2年半にもわたる責任のなすりつけと多数の上司の業務の丸投げに
その瞬間、「これ以上我慢できない。もう限界だ。
もうこんな会社どうでもいいや、私には」
私の中に張り詰めていた糸がプチンと音を立てて切れました。
数日前から感じていた後頭部から肩にかけての
強力な電流が流れるような痛みも走り。
その瞬間、過呼吸になり、その日の話し合いは終わらせてくださいと言い、
トイレに駆け込み。
個室で自分への情けなさと大嫌いな上司たちへの悔しさで
嗚咽がしばらく止まらず、泣き続けました。
感情を無にしていた私の身体へ、
心がもう、ついていけないと
限界のサインをたくさん出していました。
生きた心地がしていなかったこの時、
友人や家族の勧めで、心療内科の予約をし、
有休を無理やり取りました。
友人・家族・病院の予約の電話など、
全てで涙がこらえられず、
会社で過ごしたこの前後の日々はあまり記憶がありません。
今回はこの辺りで。
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