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スマホケースと千社札シールとよそ行きの服

ここ数年私は推し活をしているけれど、日常生活で特にそのことを表に出して話したりはしていない。多分。

先日親族でちょっとしたお祝い会があり、お昼に和食のお店に移動をした。私は記念写真を撮ろうと提案しお店の人にカメラマン役をお願いした。着物姿の店員さんは「よろしいですか」と笑顔で言いながら手渡した私のスマホをたおやかに構えた。

その時私の顔の温度は上がったのか下がったのか、とにかく一瞬パニックになった。
皆の視線が集まるスマホの背面からナナメにどーんと黒い太字で「香車 澤田真吾」「王将 虚心」と書かれた大きな千社札シールが見えていた。

うつ伏せに置く習慣がないので、これまで意外な程自分のスマホの背面を意識することはなかったと気がついた。
私がLINEやXなどしている時、対面の人からはあんなにもはっきりと千社札シールが見えるものなのか。ヲタク丸出しである。既に若くないのに。
見えてほしくないなら何故スマホに挟んだのか。
何より今日の服装と全く合っていなかった。

写真を撮り終えてスマホは私の手元に戻ってきたけれど、誰1人何か言うことはなかった。何の興味もないのは分かる。あるいは触れない方がいいと思われたのかもしれない。
ただ、この際誰か一言何か言ってくれた方が嬉しかった。そうすれば「アイドルじゃないですよ、将棋の棋士ですよ」と言えたのに(他の人にとってどっちでも変わらないというのは重々承知だけれど)。

そういえばまだ千社札シールを挟む前に、初対面の若い子にいきなり
「ディズニー好きなの?」と訊かれたことがあった。
さて? 特にディズニー好きな訳ではなかったから、何故いきなりそう言われたのか数秒考え、
「あぁ、私のスマホケースがミニーちゃんだから? それなら、特に好きって訳じゃないけれど前に使っていたのが壊れて新しいものを買ったのね。近くのお店にあんまり種類がなくて、消去法でコレに」とバカ正直に答えたことがあった。
若い子は「ネットで買えばいくらでも種類あるのに」と教えてくれた。

どんなスマホケースを選んでいるかで、結構個性が出るのかもしれない。

そんな体験をした後も、私のスマホケースは千社札シール付きのままだった。もうなにも怖くない。むしろ何か言われたら「将棋の棋士推しです」と笑顔で答える準備さえ出来ている。
虚心のシールも「推しが好きな言葉です」だけではなく「心になんのこだわりも持たずにすなおであること」と意味も答えられる。

虚しいとか空虚とか虚偽とか虚血とか虚数とか「虚」という漢字にははっきり明るくないイメージがあったけれど、推しのおかげで虚心は座右の銘にしたいほど好きな言葉になった。
私がスマホの背面を堂々と見せられないのは世界中でただ1人、推し本人にだけである。

そういえば千社札シールを手に入れた棋士ファンの方々はどうしているのだろう。携帯して推し本人に見せても平気という人の方が多数なのだろうか? 

私が持っている推しの色紙は「悠然」(意味は物事に動ぜず、ゆったりと落ち着いているさま)の揮毫なので、このnoteの見出し画像は推し友の貴重なお宝扇子を写させていただいたものを使用した。
そして千社札シールもその友からの頂き物であるという事実に気づき、とても感謝をしていると共に、「自力でなんとかしなさいよ!」と自分にツッコミを入れながら今さら動揺していたりする。

澤田ファンからだけでなく、記者や将棋YouTuber、そして師匠からも仕草や佇まいなどを賞賛される、綺麗な湖面のような印象の推し。
揮毫に虚心や悠然という言葉を選ぶ心持ちに自分も少しでも近づきたいと思いながら、推し活動はこれからもまだまだもだもだしながら続いていくだろう。

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