3.11

またこの日が来ましたね。
1年は巡るのだから当たり前だけど、アレから9年。
早かったような長かったような。

         ☆

あの日、東京は秋葉原に資格講習の途中参加をするべく、会社の同期のヤツと自分の運転する車でその5分ほど前に到着し、近くの公園で煙草を吸っていた。
「どうする?」「一服して、キリがいいから15時から入るか」
そんな他愛もないやり取りをしていたらその瞬間を迎えた。
「おい!地面が揺れてるぞ!!」
ガチャガチャ凄い音がする方向を見ると、雑居ビルに掛かった作業用の足場が激しく横揺れしていた。
しばらく経つと周りのビルから沢山の人が外に避難してきた。
講習に先に来ていたヤツらもそこへ。
「マジ、ヤバいと思ったよ!」興奮気味に話す先輩や後輩たち。
すぐにコレはとんでもない事になったと理解した。

講習は途中打ち切りとなり、解散になったがまずは状況の把握をと、近くにあった有名チェーンの喫茶店へ。
TVに映っていたのは…目を疑う津波のシーンだった。

その頃には電車が動いていないという情報も入ってきていた。喫茶店も今日は早仕舞いするという。
自分は車だったので同じ方向から来ていた一緒に来た同期のヤツと、同じ事務所で働いていた先輩をクルマに乗せて出発した。

普段なら高速を使えば1時間少々の道のりだが、高速は使えないとの事で下道で帰途についたが、その頃には帰宅難民の方が歩いて帰ろうとしており、赤信号でも止まらない。我先に帰ろうとしていた大行列が交差点で曲がらせてくれない。

建設中だったスカイツリーをずっと見ながら東へ、東へ。
自分の家は秋葉原から見たら北西の方向。
全く違う方向へ進まざるを得なかった。

途中で空腹を覚えたのと生理現象もあってコンビニに寄ると食料品は既に殆ど無く、お菓子(煎餅やチョコレートなど)で空腹を凌いだ。

同期のヤツの家の近くで下ろせたのが既に21時ぐらいだっただろうか。
その後先輩の家の近所で下ろせたのが22時半ぐらい。
そこからウチまでは通常そのぐらいの時間ならば30〜40分ぐらいだったが、結局自宅へ着けた時には日が変わって3月12日になっていた。
まさかの8時間移動。
家族とペットが無事な姿を見て、初めて少しホッとした。

その時聴いていたカーラジオは殆ど国営放送だったかなぁ。
正直うっすらとしか思い出せない。

         ☆

アレから9年。
今は新型コロナウイルス禍に悩まされている日本。
今回の災害は日本だけでなく世界規模だ。
あの時もそうだったが、情報に踊らされる事なく正しい方向へ歩んでいきたい。

そんな事を考えている2020年3月11日の午後。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?