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幼馴染のこと

私にいわゆる「幼馴染」と呼ばれる人は、ほとんどいない。強いて言うなら小学校の同級生が2人だけだ。そのうちの1人と久しぶりに電話で話をした。

その友人にとって、私の存在は当時とても大きかったのだという。しかしとても残念なことに、私にはその頃の記憶があまり残っていない。友人から思い出話を聞かされれば聞かされるほど、自分が何をしたかはコロッと忘れていることに驚かされる。私の近況もSNSを通じて良く見てくれていた。話せば話すほど、私のことを知ろうとしてくれていた気持ちが伝わってきた。20年以上もろくに連絡を取っていなかったのに、覚えてくれていて、今でも会うのは数年に一度である。そんな関係なのに、今の私にずっと興味を持ってくれているなんて、こんな嬉しいことはないと思う。

友人の直面している現実は、決して楽ではないと聞いている。辛い過去もあったと聞いている。「人生は戦い」と友人は私に言った。ある部分ではたしかに自分との戦いなのかも知れないし、私にも辛いことはそれなりにあったと思うが、私は友人ほど、自分が置かれた環境の厳しさに目を向けて生きていないのだと思った。生きるうえでの厳しさを強く感じてきた友人にとっては生ぬるい言葉に聞こえるかもしれないけれど、それでもあえて私は、まずは今、自分を幸せにすることを考えてほしい、と伝えたかった。誰だって、人は大なり小なり互いに迷惑かけあいながら、すでに今を懸命に生きている。これ以上歯を食いしばってがんばる必要はない。戦わなくていい。自分の心の声を素直に聞いて、自分らしくいてほしい。そう願うばかりなのだ。

話の中盤くらいに、友人のパートナーと初めて話をした。パートナーにも同様に「自分を幸せにするために生きてほしい」と伝えた。「はい、ありがとうございます」という穏やかな音で嬉しそうな返事があった。この人が側にいてくれて、支えてくれているならば、きっと大丈夫だ。お互いに自分を大切にできれば、おのずとお互いを幸せにできる関係が築けるだろう、と思った。どんなに友人が自分の至らなさを私に語ろうと、私には昔の私を知り、今の私を見ていてくれる、ありがたい友人に変わりない。常に友人の優しさや、これまでの厳しい人生を生き抜いてきた強さに、ひたすら承認を送り続けたいと思う。大丈夫、きっとうまくいく。どんなことが起こっても、人生は必ず佳きようになる。深夜の友人との語らいは、私の人生に対するスタンスを確認させてもらうための、大切な時間に思えたのだった。

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