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オンラインとリアルの違い・「自分ちゃん」から教わったこと。

久しぶりに「この人とはお友達になれないな」と感じる人に出会った。人がそれぞれ違っていて、個性を持っていることは素晴らしい。でもそのことと「この人と仲良くなろう」と決めるかどうかの判断は自由だと思う。どうしても分かり合えない人はいるものだし、一度しかない人生、せっかくなら自分が大切に思う人と共に生きていきたいと思っているからだ。
私がその人とどうして友達になれないと感じたのかについて、少し冷静に考えてみた。掘り下げてみると、昔から私が苦手な人に共通するパターンが見えてきた。自分をわかってほしくて自己主張に走る人、自分を認め切れず、その欠乏感を他者に埋めてもらおうと求める人が苦手なのだ。かつてある人がそんな人たちを総称して「自分ちゃん」と呼んでいた。あぁ、そうそう、昔から私は「自分ちゃん」が苦手なんだった。
自分ちゃんはどこから生まれるのか。何となく、オンラインの世界で自分ちゃんの振る舞いは必要以上に目についてしまう気がした。私が以前自宅に友人を呼んでやっていたお話会でも、自分ちゃんキャラはその場に一人はいたけれど、そんなにストレスにはならなかった気がする。しかしオンラインの世界はリアル以上に、自分ちゃんの発信力が強くなるようだ。自分ちゃんのメッセージの奥底にあるのは「私を見てほしい・わかってほしい」という思い。いつもオンラインで聞く自分ちゃんの話から私が感じてきたのは「私はここにいます、皆さんどうか忘れないでね」と、ちょっと切ないくらい念押ししてくる感覚だった。自分ちゃんにとってオンラインの世界は、自分の存在を何度も何度も発信して確認しなければ安心できないのかも知れない。オンラインで自分ちゃんの承認欲求が満たせる場づくりをするには、かなりのエネルギーが必要なのではないか。そう考えると、自分ちゃんに向けていたイライラが少しだけ和らいだ。
だからといって、次にまた自分ちゃんに会った時、急に仲良くなれるとは思わない。でももし一呼吸おいて、自分ちゃんから「あなたってどんな人?」と聞かれることがあるならば、話せる範囲で話せるかも知れないな、と思えるようにはなった。どんな人が目の前に現れても「まぁ面白い、でもお友達にはなれそうにないね!」と、すっきりストレスなく判断できる境地を身に付けたいと思いながら、自分なりの人との距離感を探る日々なのである。

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