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「今は」許せなくてもいい。大事なのは、あきらめないこと。

人生それなりに生きていれば、許せないことも、嫌いな人もいる。

あんなことを言われた、こんなことされた、嫌だった。そんなことする人、信じられない。傷ついたんだから謝れ。いや、あんなんじゃ謝罪になってない…とか。長いこと信じて慕っていたような人から、裏切られたように感じることもある。信じてたのに、何でこんな仕打ちを受けなくちゃならないんだ。お金も時間も使ったのに…とかとか。

許せないことに怒ることも、許そうと努力することも、どちらも相応のエネルギーが必要だ。でも、今本当にやりたいことに全力投球したいと思ったら、過去にされた色々にエネルギーを向けるなんて、全く生産的なことじゃない。そんなこと、頭では分かっている。

かつて、全てを許すことで、過去の色々を手放そうとしたことがある。痛みを伴いながら必死に向き合って、実際に手放せたこともなくはない。しかし、あれから何年経っても、未だに刺さって抜けないトゲがあるのを感じる。まだあの時のアイツのこと、許せてなかったのか…と気付くたびに「自分、ちっせーなぁ」と、地味に自分を責めてしまう。未熟さで自己嫌悪に陥ることは、残念ながら、ある。

最近、友人と話す中で、相手が劇的に変化していく様子を目の当たりにする機会が何度かあった。かつての私が外に振り向けていたような「許せない」「嫌い」、といった感情が、実は自分の中で置き去りにしていたものだったと、本人が自己対話を通して気付いていったのである。己の中から湧き出してきた感情が、実は自分自身からのメッセージだった…と納得できた瞬間から、友人の使う言葉や空気感が瞬く間に変化していったのを覚えている。私はただ、友人の側でひたすら「聞き手」に回らせてもらい、自分が感じたことを伝え、本人自身の気付きのお手伝いをさせてもらっていた。私がいたから気付きが生まれた部分も当然あると思うけれど、それは間違いなく、自分に向き合い、気付きを得たいと本人が真摯に願ったから起こった現象であった。人は変われる、成長できる。それを肌で感じさせてもらった。

変化や成長には、適切なタイミングがある。自分のネガティブな感情に折り合いをつけることは「今・この瞬間」の自分には難しいかも知れないが、これから先、経験を積み、気付きを得た自分なら出来るかも知れない。そんな自分になりたいと願い、あきらめないことが大事なのだ、と思った。あと一息で乗り越えられる、乗り越えたいと心から願う時に、「良き聞き手」である誰かが側にいてくれれば、もっといい。でも究極、もし一生乗り越えられなくても、それはそれ。許そう、変わろうとした自分の努力は変わらないのだから。

友人の変化に立ち会わせてもらったことで、私自身の聞く力や、自分の成長を信じる力も、より深まったのを感じている。あの時成長と変化を心から望んだのは友人だが、あの場に「良き聞き手」として立ち会ったのは、他の誰でもない私だった。私自身の中に許せないこと、嫌なことがあるからこそ、より良い心のあり方を望む伸び代もある。だから私だったのかな。それってとても光栄なことだったな…と思う、今日この頃なのである。

※私にとって、人に何かをお伝えすることは、その行為を通して学ばせていただくことだと思っています。それが友人でも、初めてご縁をいただく方であっても、それは一緒。そんな気持ちで気学体験講座、開催中。ご参加お待ちしています。今月の開催日程(オンライン)は以下の5回。

1月15日(金)20時~21時半
1月20日(水)20時~21時半
1月22日(金)20時~21時半
1月24日(日)14時~15時半
1月29日(金)20時~21時半

詳細は「智慧の雨音」HPよりどうぞ→ https://rain-sound.jimdosite.com/




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