話すこと・聞くことについて、今感じていること
話を聞けるようになりたい、良き聞き手でありたいと、長く色々な場で学んできた。しっかりと聞いてもらうと、人には何が起こるのか。私自身が最近セッションや講座をやるようになって、感じていることをまとめてみた。
「話す」という行為には、「ただ話す」と、「伝える」の二つがある、と私は考えている。文字で書いてしまうと、何となく「伝える」という行為の方が有意義そうに見えるが、「ただ話す」を積み重ねた先に「伝える」がある、と私は感じている。「ただ話す」ことが十分にできないことで「聞いてもらえない・分かってもらえてない」と感じている人がかなり多いような気もしている。
「ただ話す」ことは、それまで心の中だけに存在していた気持ちを、音や言葉にしていく作業だ。そうすることで現状を整理したり、これからについて考える余裕ができる。独り言で事足りるなら必要ないが、一人ではどうにもならない時に、話し手の自問自答のお手伝いをする存在が、聞き手である。時には心にたまった思いで、感情が激しく揺れて涙が止まらなくなったり、厳しい音が発せられることだってある。でもそうした現象にとらわれず、ひたすら話し手に寄り添い、話し手からどんな思いが出てきても、それを受け止められる在り方が、良き聞き手には求められる。
「伝える」人に対しては、聞き手として「聞いていますよ」というサインが必要になってくる。コミュニケーションを円滑にするスキルとして「相づち」「うなずき」「繰り返し」が有効、とよく言われるが、これはあくまで「伝える」側を前提とした話だと思う。私も講座の講師として話している時は、基本的に「伝える」側なので、聞き手がしっかりうなずいてくれたり、時には笑ってくれたりすると、より安心して講座を続けることができる。しかし、オンラインで開催される講座の場合、必ずしも聞き手の様子を把握できるとは限らない。それでも「伝える」時には、何を伝えるのかがはっきりしているから、相手からの反応が分かりにくくても、何とかやりきることができる。
「伝える」側に立ってみて感じるのは、「ただ話す」経験において、良き聞き手に恵まれてきたかどうかが、「伝える」際にとても重要なのではないか、ということだ。「伝える」という行為は、自分の想いをしっかりと聞いてもらい「私はこれで大丈夫」という実感が積み重なって初めてできることだと思う。究極、たとえ聞き手がすべからく無反応であったとしても「私はこう思っている」ということを「伝える」ことは何とか出来る。しかし、聞き手を目の前に「ただ話す」時、自分のありのままを受け止めてもらえているという感覚がないと、自分の気持ちを深いところまで確かめに行くことはとても難しい。だからこそ良き聞き手は重要であり、必要なのだと思う。
そんなわけで、講座の講師として「伝える」ことも、私にとってはとても有意義な時間だが、その一方で「ただ聞く・ただ話す」ことの重要性も感じている。聞きあいの場や個人セッションを通して、まずは私が良き聞き手でい続けること、そして、私とご縁あった話し手の皆さんが、誰かの良き聞き手になっていける、そんなつながりが広がっていくような聞き方を、これからも続けたいと思っている。
※2020年11月度の気学体験講座は、3回予定しています。詳細は「智慧の雨音」HPをご覧ください。 → https://rain-sound.jimdosite.com/